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レーシックをして約10年経つ。

当時私の裸眼視力は0.01とかだった。なかなかに目が悪くてね、コンタクトと眼鏡を併用していたんだけど余りに不便。そして2011年3月11日に震災が起きて、非常時に備えるという意識が強まり、翌年2012年にレーシックを受けた。約10年経った今、私の視力は1.5を維持している。

決断した理由。ワンデイコンタクトと比較したコスパ。3年でペイする計算。どうせ20年後に老眼になるならば、せめてそれまでは便利で快適でいたかった。国内海外出張多くてさ、特に海外出張のときは何かと面倒でね。飛行機の中で外したり液体持ち込み制限あったり、本当に地味に不便だった。あとは装着して10時間も経つと目がシパシパしてくる。夜になるとパソコン作業が辛かった。あと思い出した、通勤は湘南の端っこから都内に電車で爆睡なんだけど、都内に着いて起きるとまず目がシパシパ。朝寝とか山手線一周昼寝の後の不快感があったなー。懐かしいな。本当に不便で不快だった。

だからこそ、受けた次の日起きた時は魔法にかかったみたいだった。確か当日術後は視界がボヤけたまま帰った気がする。スカウターみたいなの両眼に着けて就寝。翌朝。世界が変わった。誇張なしにね。あれ、コンタクト付けて寝ちゃったかなって。あの感動はずいぶん経ったけどまだ覚えてるな。

よく言われるドライアイやハローやグレアも何も気にならなかった。だってそもそもめちゃくちゃ目が悪くて不快だったんだもん。

術後1年経った頃かな。めちゃくちゃ二日酔いの土曜の朝に睡眠不足で朝イチ鵠沼でサーフィンしてね。うねりに揺られてグッドウェイブを待ってたらなんか突然映像に微小な黒点が入ってね。本当に突然だった。所謂飛蚊症と言うやつだ。原因はよく分からないけどきっかけはその日のサーフィンで、以来私は左眼に蚊を飼っている。ほぼ気にならないが、そいつは確かに存在する。1年点検で品川近視クリニックに申し入れたが、失明するようなモノでは決してないと。鷹村さんを見てビビってた私は少し安心した。ただし彼らはレーシック手術と飛蚊症発症の因果関係はドライにハッキリと否定した。別に良いんだけどね。

術中の恐怖はまだ覚えている。工場の生産物になった気分で機械的に色んなところ回され、準備が整い台に寝転がり、強制目開け器を装着され、水晶体を捲られた時に光を失った。目を開けても真っ暗で何も見えず、やがて緑の点だけが見えて肉が焦げる匂いがする。今また地震が起きたら私の人生は困った事になるなと漠然と思った。10分ぐらい経ったら視界がボヤけながらも戻り、手術完了となった。

その後は朝の忙しい時間も、残業時のパソコン作業も、国内海外出張も、長時間のフライトも、突然のお泊りも、サーフィン中の水中目開けも、何もかも快適。

この手術は多分また人生やり直しても受けるだろうね。飛蚊症や数時間の恐怖や痛みに遥かに勝るメリットをもたらす。今なおそう思うよ。


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