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初めてbonobosのライブに行った日の話

※この記事は2022年6月に書いて、寝かせすぎていたものです。



なんでもないふとした瞬間に、記憶がよみがえることがある。

久しぶりにマウントレーニアを飲んだ朝、香ばしくもミルキーな香りが初めて飲んだ「コーヒー」の記憶を呼び起こした。
「甘いからきっと飲めるよ」と母に勧められてストローに手を伸ばした記憶が蘇る。それが私のコーヒーデビュー。
母は多分、マウントレーニアをプチご褒美にしていた。

bonobosとの出会いについてなかなか思い出せなかったのだが、ライブへ行く道すがら「THANK YOU FOR THE MUSIC」を聞きながら歩いていたら、思い出した。そうだ、仕事の移動中に聴いていたラジオだ。

流れ始めてすぐ。呼吸が浅くなって、ビートが刻まれるたびに腹の底の方が突き上げられるよう高揚感を感じた。
歌の喜びを紡ぐこの曲は、そのまま生命の喜びに聞こえた。

どことなく聴いたことがあった。

リリースされた2005年は、親が自宅にCSアンテナを立て、チューナーを購入し、加入したスカパーの見放題パックか何かで、スペシャやMTVでMVを観ることに熱中していた私の小学生高学年に重なる。

MVをチェックしてみたら、初めて見た気がしない。というかこのインパクト、見たことある。もちろん当時、どんなことを思ったかは記憶にない。

でもきっとこれは再会だった。

溶けていってしまいそうな夜の闇の中にいても、両肩をそっと支えて立たせてくれるような。聴いているとなぜだか少し上を向けるような。そんなことを、目が醒めるような華やかなサウンドにも、メッセージにも感じる。

その再会から、私にとってbonobosは、静かに静かに心の支えになっていた。
そうだった、と気づいたのは2023年3月の解散が発表されてから、あわててチケットをとったライブでのことだった。それまで私の中のbonobosの熱量は、ライブに行こうとするほどでもなかったのだ。


3年ぶりのライブハウス。運よく潜り込めた2列目でのことだった。

ああそうだ、人って、極度に心震えると吐き気がするんだった。
サウンドがカッコよすぎると、笑いが止まらなくなるんだった。

まともに聴いていると、こことは違う異世界に連れて行かれてしまうような気がした。自分が培ってきた価値観がひっくり返されてしまうような怖さもあった。

心から終わらないでほしいと願った。
蔡さんの詞は、生きる喜びと愛の讃歌だ。
バンドメンバーはそれぞれ好きなように奏でているように見えながらも、全体では回旋していくように重なり合って、とんでもなくカッコいいサウンドを生む。「歌声も楽器」。ある音楽家が語ったその言葉がよみがえった。

マスクの下で口をあんぐり開けた私を差し置いて、彼らは美しかった。


終演後、失恋した後かのように身体が重かった。
気づいたら郡山駅に着いていて、雨が降っていた。

それから2日。THANK YOU FOR THE MUSICをかけてみると、こみ上げてくる何かがあった。ああ、もう以前と同じように聴けないんだな、と思った。

解散の苦しさなのか、揺さぶられた心の揉み返しなのか。今まで見てきたライブでは感じることのなかったこの感情を表現する言葉が今はない。

彼らは私の中でどうなっていくのだろう。


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