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「社会的処方」の負の側面ってあるのかな

2月に入りましたね。皆さん2月はどんな月にしていきましょうか。
あっという間に1月が終わってしまったという感じですが、一日一日を丁寧にということで過ごしてきたんですけども、振り返ると今絶賛開催中のCancerXのイベント準備や連載の執筆、会社の行動指針を見直ししてるよみたいな話も少ししたと思うんですがその準備、
朝が大事!という府中市の講演もさせてもらったりなどなど色んなことをしてきた1ヶ月でした。その他にも今までにないような新しいお仕事をいただいた1月になったと思います。
 
年始に、今年のテーマとして「かすやを全面に出していこう」と宣言をしましたが、それに対して会社の仕事だけではなくて、個人の仕事がポンポンと入ってきたんですね。
 
何が言いたいかというと、やっぱこの、心持ちというか、何て言うんでしょうね、日々の心構えがすごい大事だなって改めて思いました。
 
すごく軽い言葉で言ってしまうと「思えば叶う」みたいな言葉ってあるじゃないですか。なんかあれって本当にそうだと思ってて、10年前くらいから意識しはじめたら、意外と思った方向に行くんですよね。
 
ウォルト・ディズニーが自分の夢を語ること大事だよみたいなことを言ってますよね。他にもサッカー選手の本田圭佑さんも人の夢を笑うやつは自分の夢は叶わないぞみたいなこと言っていて。
 
僕も10年前くらいからそんなことを意識しはじめているわけですが、結果、動いてくるんですよね。だから、やりたいことを自分の中でクリアでなくても良いから思い描くことはすごく大事かなと思っています。
今年に入ってからは、会社がどうなりたいかもそうですが、自分がどうなりたいのかを意識してやってきた1ヶ月だったかなと思います。
 
そんな感じで1月も動きがたくさんあって、また2月も忙しくなりそうだなという感じです。2月も頑張っていきたいと思いますのでよろしくお願いします。2月も頑張りましょう!!

このnoteの音声ver.はこちら。聴いてね。

 
さて、今日はWorld Cancer Weekの話です。絶賛開催中のWorld Cancer Week2024ですが、昨日は3日目が終わりました。その中でも初日に行った、「CancerX社会」のセッションの話をしたいと思います。
 
セッションの中で「社会的処方」という言葉が出たんですね。深く掘り下げられたトピックではないのですが、登壇者の一人が話をしてくれました。
 
「社会的処方」を簡単に説明すると、医者が処方する医学的な介入だけじゃなくて、社会的な活動とか、機会や場とかを提供して、その人の健康に関連する社会課題を解決しようという考え方です。2006年くらいからイギリスで広まって、医者が直接動くのではなくて、リンクワーカーと呼ばれる人たちが伴走して、社会との「つながり」をつくりながら地域の健康に貢献しているような動きです。
 
日本でも、厚生労働省が出した骨太の方針に孤独とか孤立対策として「社会的処方」の活用というのが明記されたんですよ。いま、各都道府県でモデル展開をしていて、すごく重要視されている考え方なんですけども、これに対しての話題が少し出ました。
 
もちろん、僕自身は「社会的処方」は前から知ってるし、川崎の暮らしの保健室の西さんや、CancerXメンバーの横山太郎ちゃん、兵庫の守本陽一さん、『社会的処方』という本の中に事例出している軽井沢の藤岡聡子、そして、今回登壇してくれたstudio-Lの西上さんだったりとか、中心になって進めている方達の存在も知っているし、議論をしたこともあります。
 
その後、Xで「社会的処方は形骸化されているんじゃないか」みたいなことを呟いたんですね。いま書いたような皆さんの取り組みは知っているし、想いも聞いたことがあるからこそ思うんだけど、「社会的処方」という言葉が出てくれば出てくるほど、それっぽくやって、「私は社会的処方やってます」みたいな人たちが出てきたりとか、そういう姿にちょっと違和感を持つようになってきたんです。西上さんからも英国の真似をすれば良いわけではないという話もあったから、納得!と思って。
 
僕自身、もちろん「社会的処方」は良いことだと思っています。だからこそ、違和感を持っているということは言っておきます。
 
これに対してのリアクションが結構多くて。なので今日はこんな話をしています。
 
実際、みんなはどんな風に思っているんだろうなーって、単純に疑問に思っています。さっき書いたような人たち、「社会的処方」を進めている人たちは、今の活動の広まりをどのように見ているんだろうって、そこが気になっていて。
 
「社会的処方」はこうだって答えを出すものではないとは思っていますが、もしかしたら、「社会的処方」はこうあって欲しいとか、「社会的処方」はそれぞれの捉え方で自由で良いとか、色んな想いがあると思うんです。
 
日本でここまで広まっていない数年前と、いまと、この先をどのように考えているのかなって、聞いてみたいなって思っています。思った通りに来ているのか。
 
厚労省を動かしたのは彼らだと思うし、みんながやってきたこともすごく良いことだと思うし、でも違和感を持つような動きをしている人も多くなっているんじゃないかなって思うんです。
 
例えば、病院の医師がいきなり地域に出てきて、私のやっていることは社会的処方です!なんて言って1dayイベントを開いて、また次の日には病院に帰っていく。
 
「あー私良いことをしたなぁ、みんな喜んでくれたなぁ、いっぱいつなげたな、またやりたいね」
 
こういうことじゃないと思うんですよね。これも活動としては「社会的処方」なんでしょうけど。押し付けになってないだろうかみたいなことを感じるわけなんですよ。
 
繰り返しますけど、「社会的処方」が大事なのはめちゃくちゃわかっているんですよ。何度も繰り返しますが笑。医療だけでは解決できないものがあるっていうのはもちろんわかっているし、あのWHOが出してる「健康の社会的決定要因」を考えると、「社会的処方」の考えがどれだけ大事かってことはわかっています。
 
これに対して、社会的処方研究所さんからもコメントをいただけたりしたので、機会があれば議論ってしてみたいですね。
 
めちゃくちゃいいことだと思っているんです。ただ、目的はわかるし、「社会的処方」の先にある見たい世界もわかる。でも、パイオニアたちは、この現状をどう考えているんだろうってところがめちゃくちゃ気になるんです。
 
 
東日本大震災の後に、「つながり」と絆ってすごく重要視されてきたじゃないですか。みんなが「つながり」が大事だ、絆が大事だ、って言って、つながろうとしてきたわけですよ。特に災害時は地域の「つながり」は、健康面や復興の面においても、大きな後押しになるとも言われているし、みんなも実感していることだと思います。実際に「つながり」の研究でも効果が言われています。
 
ただ、ここで僕が言いたいのは、「つながり」の押し付けになっていないかということなんです。あまりに、「つながり」が前面に出てきてしまったので、「つながり」の押し付けの横行みたいなのがあったと思うんですね。
 
いまは「つながり」たくないのに、「つながり」を押し付けがあったりとか。
 
「つながり」の負の側面って、いま改めて考えていかなきゃいけないことだと思ってます。で、それと同じように「社会的処方」の負の側面も考えなければいけないのかなと思います。
 
あの時と同じように、「社会的処方」という言葉が広まれば広まるほど、一人歩きしてしまい、集団思考のようになってしまうのではないかと思っています。考え方は良いんだけど、それを行う上では、人と人とのコミュニケーションや距離感みたいなところを考えた上で、行う必要があるなと思ってしまいます。
 
ましてや、厚労省がね骨太の方針にも入れているわけだし、どんどん仕組み化されていくことも考えられますよね。だから、もう少し議論していかないといけないなというのが僕の考えです。
 
どんどん広めてください、どんどんやってくださいなのか。ちょっと、このところは慎重になって欲しいなのか。こんなところを話してみたいんですよね。今年のどこかのイベントでセッションつくるかな。そしたらみんな登壇してくれるかな笑。
 
また、いろいろコメントくれたら嬉しいです!
では今月も楽しみましょう!
 
でわ、またー。


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