見出し画像

墜落の全容 前編 -事故の詳細について- ~第16話 パラグライダーで墜落。そして入院。

今回は墜落の詳細のお話をしていきます。


<事故の詳細がわかっていない頃>

墜落してから1ヶ月と一週間ほどの頃のお話です。
実はこの頃までは墜落に関してはざっくりとした情報しか把握していませんでした。

把握していた情報は大きく分けて2つでした。
・現場にいた人から聞いた情報
・たまたま近くを飛んでいた人の360度カメラの映像に小さく映っていた墜落の様子

なので、
高度30mくらいで翼が大きく潰れて制御不能になって落ちた
くらいのことはわかっていましたが、それ以外の細かいことは全然わかっていませんでした。また、頭を打った関係で墜落時の記憶が全くありません。そうなると自分の中で色んな疑問が出てきます。

・自分が何か致命的な判断ミスや操作ミスをしていたのでは?
・大潰れした後はちゃんと対処操作ができていたの?
・そもそも、なぜ大潰れしたの?

そういったことを自問自答しながら入院生活を送っていました。
ふと一人でベッドの上でぼーっとしている時などにはこういった疑問がふと頭をよぎり、そこから複雑な感情が溢れてきて、とにかくよく泣いていました。

でも実は、それをすべて把握する方法があったんです。
私が実家近くの病院へ転院した時(墜落して10日後)でした。転院先で親が持ってきてくれた荷物の中に、たまたまパラグライダー用のポーチがありました。ポーチの中にはカメラが2つ入っているはずです。

私はパラグライダーで飛んでいるときは2つのカメラをドライブレコーダー的に録画する習慣がありました。1つ目はヘルメットにGoProつけて自分目線の映像が撮れるようにしていました。2つ目は360度カメラで、「フライトコンテナ」と言われる、おへその上辺りの計器を固定する所につけています。

参考画像:コンテナ中央にある、レンズが付いている四角い形のものが360度カメラ。自分の操作している様子から、周りの景色まで、全方位が録画されます。

墜落の衝撃でカメラが壊れていたとしても、MicroSDカードのデータが生きていれば動画は見られます。データさえ残っていれば、墜落の詳細がわかります。

しかし当時はまだ手術が控えており、色々と一杯一杯で確認は後回しにしていました。手術が終わり、落ち着いてくると、墜落のことやカメラのことを考えるようになってきていました。

でも、、、正直にいうと、まだ見る勇気がなかったです。怖かったんです。
墜落したときの記憶は一切ありませんでしたが、動画を見ることでフラッシュバックが起きるんじゃないかと心配でした。自分が墜落して死にかける瞬間をもう一度見ることになるのですから、当然とは思うのですが、、、、。なので、すぐに見る勇気は出てこず、一旦保留にしていました。でも墜落のことを考えるたびに、「動画を見て、全容を知りたい」という思いが強くなっていきます。。。

そんな時に見るきっかけを作ってくれた人がいます。担当理学療法士Kさんです。動画の事を話したところ、仕事終わりに一緒に見てくれることになったのです。「Kさんが隣にいて一緒に見てくれるのなら、パニックになっても大丈夫。安心して見られる。」と思い、お願いをしました。

そして、墜落してから1ヶ月と1週間ほど経った頃です。ついに動画を見る勇気を出すことができました。 

<事故動画を見て>

結果的にGoProも360度カメラもちゃんと映っていました。そこには。。。

まさかの、、、最悪の位置(高度)とタイミングでいきなり翼の約70%が大潰れしていました。即座になんとか制御しようと回復動作をするも、潰れた面積が大きすぎて制御できず、コントロール不能状態になり、そのまま地面に叩きつけられていました。大潰れしてから地面まで5秒もなかった。。。

「あの高度であの潰され方したら、どうにもならない。ほとんどのパイロットはあの状況ならみんな落ちるだろうな。。。」

というのが最初に動画を見た率直な感想です。。。。

幸い、一番恐れていたフラッシュバックは墜落動画を見ても起きませんでした。どうやら墜落時に脳震盪を起こしたこともあり、記憶が完全にないのでしょう。。。。その日は療法士のKさんにお礼を言って解散となりました。

その後、2日ほどかけて動画を見やすい形に編集しました。動画編集をするので何度も死にかける自分の動画を見ることになりますが、そこは不思議と精神的には大丈夫でした。むしろ「この墜落のことをちゃんと知りたい。理解したい。そのためには詳しい人に見てもらい意見を貰わねば。」という思いの方が強かったんだと思います。
1つ目のカメラ、ヘルメットにつけたGoProは自分目線の映像です。編集作業をしながら動画を何度も見ることで、目線の動き方、操作する様子、選んだ飛行コースなどから「多分、こう考えながら飛んでいたんだろうな」という推測もたちました。

編集が終わった動画は自分の師匠や信頼しているインストラクター、パイロット仲間の方たちに見てもらいました。

見てもらった事で、新たに知った事実、今回の事故に関しての意見などを沢山頂きました。ここからはそういった新たに知った情報などを踏まえた話をしていきます。(このシリーズの投稿は基本的に時系列で書いていますが、今回のだけは事故の動画確認から何週間も後に知った話なども含めた話も入っています。)

<事故の概要>

・事故が起きたのはランディング直前。高度処理中で地面から約30mの高度で発生。
・風はちょっと不安定な感じ。でも深刻な感じではなかった。
・何機かの機体が同時侵入となっていた。
・他機との接触事故を警戒して、自分はちょっと良くないとわかっていても山際に近づいて飛ばざるおえない状況だった。
・山際近くを飛んでいる時に乱気流による大潰れを食らった。
・右翼から翼全体の70%が潰れる大潰れだった。
・この機体でこんな大粒れを体験するのは初めて。というか11年のパラグライダー人生でも、このレベルの大潰れを経験したのはおそらく2回目くらい。
・潰れた瞬間は正しい操作をしていて、その後もなんとか翼を制御しようとしていた。
・ただあまりに潰れが激しすぎました。そして、、、、潰れを食らった高度が低すぎました。
・そのまま地面に叩きつけられていました。翼が潰れてから地面までは5秒もなかった。。。

墜落するちょっと前から墜落するまでの概要としてはこんな感じです。細かい話は専門的になりすぎるのでこれくらいにしておきます。


<事故に対する疑問>

自分が墜落後の入院生活で一番気にしていた事というか、疑問に思っていたことが1つあります。それは

「自分が何か大きなミスをしていて、それが墜落の原因になったのでは?」

というものです。
パラグライダーの重大事故は、パイロット側が何か大きなミスをしていることがあります。ベルトのつけ忘れだったり、大きな操作ミスや判断ミスをしていたりなどです。今回の事故で自分が何か致命的なミスをしていたのか、いなかったかは私にとってとてつもなく重要な事でした。

なので動画を共有した信頼できるインストラクターやパイロットに意見を求めました。その意見を踏まえた結果は以下となります。

キーポイントとなる所が2つありました。
・潰れた後の操作が正しかったか
・飛んでいたコースは危なくなかったか
この2つについてなるべくわかりやすく書いていきます。

〈潰れた後の操作について〉
潰れる瞬間からすばやく反応して対処動作をしていました。潰れた瞬間からブレークコードをしっかり引いていました。ただ引く量が浅く、手を戻すのが早すぎました。その結果、翼の翼型が戻りつつあるところでグライダーが一気に前に走るのを止めることができませんでした。グライダーは自分の前で自分よりも低い位置まで走ってしまいました。ラインテンションが抜けて翼が団子状態になり制御不能になっていました。
つまり、潰れた後の操作としては致命的なミスはしていませんでしたが、改善点はかなりありました。。。
ですが、ビデオを見た人全員意見は一致していました。
「あの高度であの潰れを食らったらみんな墜落するよ。病院送りになるよ。」

やはり最悪のタイミングと位置、高度で潰れてしまっていました。パラグライダーは制御不能になった時のための緊急パラシュートをもう一つ積んであります。しかし、それを開いている時間的余裕はまったくありませんでした。やはり本当に不運だったのだと改めて感じました。


〈飛んでいたコースについて〉

飛んでいたコースが今回の一番重要な要素です。そもそも乱気流の中を飛んでいなければ翼が潰されることはありません。なので自分が選んだ飛行コースに判断ミスがあったかどうかは非常に重要です。

動画を共有した人たちの何人かに指摘されました。山の向こう側から風が吹きはじめている状況の中、風が不安定な山際に近づき過ぎていたのではという意見でした。その意見は自分としてもの納得が行きます。動画を見て、確かに山際に近いなとは自分も思いました。

しかし、他の機体と同時侵入になっていたため、空中接触しないために距離をとり、安全マージンを確保する必要がありました。実際、自分の前で少し低いところを飛んでいた機体は「え?ここでそんな急旋回するの??」というちょっと予測不可能な動きをしています。そういった人もいますので、ある程度距離をとる必要があります。

他機との空中接触リスクと山際の少し不安定な風の中を飛ぶリスク。リスクのバランスをとって選んだ飛行コースだったんだと自分は推測しています。そういう意味では「あの状況ではその選択をするのが妥当だよね。大きな判断ミスはしていないよね」というのが自分の考えです。

その後、エリアも最も知っている現地のインストラクターと話す機会があり、こんな事を言われました。
「あの状況では前島は比較的安全な空域にいた。他の機体の方がよっぽど危ない空域を飛んでいた。だから自分はそっちの方をマークしていた。そしたら、安全圏にいてノーマークだった前島が落ちた。だから、一番最初に思ったことは、え?なんで前島が!?だった。」
との事でした。

他機警戒もしながらで、他の選択肢はあんまりない状況だったと思います。もちろん、もっと手前でターンをしていれば?など、沢山の「タラレバ」はあります。ですが、それは事故後に映像をみて分析したからわかることで、飛んでいる瞬間にそういった判断ができていたかと言われれば不可能です。

飛行コースに関しても改善点はありましたが、致命的な判断ミスをしてはいなかった可能性が高いと私は考えています。

では安全圏にいた私がなぜ潰れを食らったかというと、それはもう明確に説明することはできません。目には見えない空気の流れの話です。今から何かを立証することはできません。ただ、空気というのは条件やタイミング次第ではそういった渦巻いた流れや乱流が作られてしまうことがあります。どうやら自分は滅多にない、そういった乱流に不運にも遭遇してしまったようです。。。


<事故の全容を知って>

動画を検証して、信頼している人たちから意見を求め、最後に現地のインストラクターからの情報で自分が致命的なミスをしていないことが判明しました。その時初めて思いました。

「生きててよかった。。。」

素直にそう思うことができました。

入院してから、いろんなことを考えてきました。
「自分はあんな状況でなんで生きてたんだろう?」と思ったこともあります。
周りから「生きててよかった。」と言われて、素直にそう思えないこともありました。

正直、ここには書けないようなマイナスなことも考えてしまったこともあります。それくらい自分が生きているということに疑問や迷いをもっていたんです。

でもこの日、心底思うことができました。

「生きててよかった。」と・・・。


今回は墜落する瞬間までのお話をしていきました。
次回は墜落した瞬間からその後の話をしていきます。
実は自分が「生きていた」のは信じられないようないくつもの奇跡が重なっていたからなんです。
とてもとてもありがたいことなのですが、それがむしろ自分の心を苦しめることにもなっていきます。

次回は墜落時に起きた奇跡と心の動きについてお話していきます。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?