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「一日一生」を読んで

  酒井雄哉著「一日一生」(発行所:朝日新聞出版)を読んだ。
 書店にあった本書の帯で『大阿闍梨』と紹介されており、確か「千日回峰行」のアレだよなぁ、と思って読んでみた。

 著者の酒井雄哉は、現在は比叡山飯室谷不動堂長寿院の住職さん。
 語り口は優しいし、親しみやすいエピソードを添えてるけど、結構、厳しそうな人。そんな感じがする。
 だけど、時には、そんな厳しい人の話もイイ。
 
千日回峰行
 天台宗の事も、比叡山のことも知らない。千日回峰行のことも、「野山をひたすら歩くヤツ」ってこと程度。NHKでチラッと見た事があるけど、何だか壮絶な修行だった。
 Wikipediaによると、千日回峰行は、天台宗の修行のひとつで、7年かけて野山を歩き回る。総歩行距離は4万kmほどで地球一周分だ。毎日、毎日、30~60kmも歩き続けるなんて、精神力だけでなく、体力も必要。普通の人なら、一日だって出来るかどうか。しかも修行半ばでは、9日かけて断食・断水・断眠・断臥の四無行があるとか。ホントに命懸けの修行だ。
 著者は、その過酷な千日回峰行を二度も完遂してる(「満行」というらしい)。凄い、よりも、ナンデ?が先に来るほど。

 さぞかし特別な人の本かと思って読み進めたら、著者は、父と始めたラーメン店が火災に遭い、株式投資を始めたら暴落にあうとか、不幸と失敗の連続で苦労を重ねてきた人。宗教界のエリートじゃないようだ。むしろ、身近にいる人が、一念発起して千日回峰行に挑んだ。そして、何十年も歩き続け、仏門に入った感じ。リスペクト。

頑張り続ける力

 仕事では「徹夜で頑張る」って時も、何度もあったけど、翌日はぐったりで続かない。続けられない。徹夜のつど、「もう、こんなの嫌だ」と思う。けど、また同じような徹夜を繰り返す。 自己嫌悪。後悔先に立たず。
 「今日の予定は全部終わった」ら、「お疲れさま!」で、明日の分もやってしまおうか、なんて、思わない。たぶん、ここが違うんだろうな。明日の分も少しずつ前倒しでやってたら、徹夜しないで済んだのかも知れないけど、出来ないね。
「明日の事は、明日でいい」って、心の声が聞こえてくる。
 マハトマ・ガンジーは、「明日死ぬかのように生きよ。永遠に生きるかのように学べ」と言ったそうだ。
 そうなんだろうな。でも、優等生にはなれない。
 一日千秋の思い、なんて言葉もあるけど、自分は遠い未来のために、今を頑張れないタイプ。その日、その時にも、満足できるものを探してしまう。
人と待ち合わせしても、少し早く行って、本を読んだり何かしてる。「待つ」のは苦痛だけど、待たずに何かしてれば、気楽になれる。
 十年一日の如くってのとも違う。寸暇を惜しまずの方が近いかも。セッカチなのか。わからん。少なくとも、ガンジーさんのようにはなれない。
 著者の「一日一生」も、「今を精一杯生きろ」と言っているようだ。
 そうだろうなぁ。何となくわかる。たぶん、今日一日くらいは頑張れるかも知れない。けど、続かないな。続けられる力がちょっと足りない。
 まぁ、明日頑張るとか、ずっと頑張り続ける、なんて考えずに、その時、その瞬間だけ、懸命に生きていくことぐらいは出来そうだ。

自然体で生きる
 イヌも猫も、鳥も虫も、みんな、明日のことなんて考えない。
今をどう生きるか、しか考えてない。でも、素直に、懸命に、生きている。
 著者やガンジーさんは、こういう姿を見て、考えたんだろうか。
 「明日」って考えるのは人間だけ。
 明日に備えて、来年こそは、老後のために、と、いろんな未来を描いいて生きている。
 でも、未来は誰にもわからない。努力が報われるかも知れないし、あるいは災難に見舞われるかも知れない。千日回峰行を成し遂げた著者だって、行の最中は、もう止めようか等々、あれこれ考えたようだ。そりゃそうだろう。キツイもの。
 分からない明日のことなんて考えない。けど、今日一日は懸命に生きる。
それなら、出来そう。 それしか出来ない。
 「明日をも知れぬ身だから、宵越しの銭は持たない」って、のとは何か違うな。
 「今を精一杯生きる」ってのは、ひと時ひと時を懸命に生きるだけで、その結果を気にしない、というか。
 イイも悪いもない。 野生動物のように、今だけを精一杯生きる。
 だけど、人たるは、今日を無事に過ごせたら、周りの人たちや自然に、信じるものに、心の中でそっと有難うって呟いておきたい。

  なんてことを考えてしまう、不思議な本だった。
    
                             (敬称略)



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