「電話」の授業

 スマホを「携帯電話」と呼ばずにスマホと呼び始めたこととなにか関係があるのかプライベートで電話を使わなくなった。だが私の幼少期に、祖母の家にあったのはアンティーク調の黒電話(これもまた珍しいものだったが)だったし、家にはファクシミリの機能がついた電話機があり、今でも使われないながら鎮座ましましている。何かを伝えるために電話が役割が人と人を繋ぐために大きな役割を果たしていたのは事実だ。
そのようなことを改めて感じた「電話は愛情を伝えるための道具だよ」の巻。

明日、一時的に帰国する娘の父方おじいちゃんに電話をかけた。イタリアンのおじいちゃんは娘を目に入れても痛くないくらい大好きで、娘も会えばいつもじゃれて遊ぶのだけれど、ビデオチャットで、邪険な態度をとる娘。この日は普段よりもひどかった。

ベランダに出てうなる私。困りごとがあるとベランダに出て東京タワーを父に重ねてぶつぶつ言うのはもう癖になってしまった。娘に「感情」の押し付けはできない、彼女は何を考えているのか、なんと言っていいのか・・・と冷たい風に吹かれながら深呼吸してまた部屋の中に戻る。

私は娘に、電話はなんのためにあるでしょうか?と尋ねてみた。
「・・・・・・」
じゃあ、ママが出かけているときに学校から帰宅して鍵が開いていなかったらどうする?
「・・・・・・」
もし、その時に電話を持っていたらどうする?
「ママにどこにいるの?早く帰ってきて、と言う」と娘。

そうだね。困りごとがあると、電話があると便利だよね。
じゃあ、おじいちゃんはなぜ電話をかけてきたのか分かる?
「・・・・・・・」

おじいちゃんにも、「困りごと」があったんだと思うよ。分かる?
「・・・・・・・」

じゃあ、ママが思ったことを言うね。
おじいちゃんの「困りごと」は、くーちゃん(娘)に会いたいのに遠くに住んでいてお互いにお仕事や学校があるから会えないこと、なんだと思うの。


 電話は気持ちを伝えるための道具だと思うよ。「困りごと」の中身はいろいろあって、「感情」とか「気持ち」とも言えるかもしれない。会いたくても会えないさみしい気持ち、楽しかったことを伝えたくて仕方がない気持ち、悲しくてワンワン泣きたい気持ちを伝えたい相手に伝えるための道具なの。
 だからくーちゃんがおじいちゃんを大好きなら、おじいちゃんの気持ちを真正面に受けることが大事だと思う。おじいちゃんはくーちゃんが好き、何の条件もなく、くーちゃんを好きなの。会いたくてたまらないけれど遠くに住んでいて会えないからお電話をくださるの。
だから、ありがとうという気持ちを持って電話をうけてもらいたい。
 言葉が分からないからは言い訳だと思うの。伝えたいことがあれば、横にいるママに頼んだり、ジェスチャーで表現したりできるはずなんだけど、くーちゃんはそうしなかった。くーちゃんの中におじいちゃんへの気持ちが全くなかったと感じた。ママはそれが一番悲しかった。

 私に、電話の受け手として大好きなおじいちゃんに返す気持ちが無いと言われた時に、娘はぽろぽろと泣き始めた。
 それを見てホット胸をなでおろしたのは私。一人っ子で他のお友達との会話の量自体少なくて、他者への感情が鈍磨しているのか、と心配した馬鹿な親でもある。子どもは未知の世界に住んでいて、言葉で説明できなくても、テレビを見たかったとか、それなりの理由はあるんだろうと思っている。また、電話で話すことも少なくなった昨今、彼女は電話の機能を知る機会も少なかったんだろうと。

それでも、私は最後に言った。
「これは学校のどの授業よりも大切な授業です」って。

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