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物語のエピローグは残酷な景色~「大阪都構想」という平成の夢物語を終えて

 「大阪市廃止・特別区設置」の住民投票の運動期間中、なんどか社民党の福島瑞穂党首が大阪入りしていた。私も一度、天王寺で街頭演説を聞かせていただいた。相変わらずの、瑞穂節である。だが、立ち止まる人は少ない。同じ日、別の時間にはすぐ近くで山本太郎がゲリラ街宣をしていたが、そのときの人だかりと比較すれば、あまりにも寂しい。

 そもそも、福島瑞穂が党首だったのかと、私自身、今さら再確認した。そのくらい、この政党の存在は国民から忘れられようとしているのだ。

「大阪市廃止」に反対を貫いた社民党の分裂

 そんな社民党は14日の臨時党大会で、自ら党の分裂を容認してしまった。一斉に議員や党員が離党して、新党を結成したり、別の党に合流することはあると思うが、個別の離党OKみたいなことを議案で承認するなんて、まか不思議な政党である。

 社民党は14日、東京都内で臨時党大会を開き、党を存続させたまま、個別の離党と立憲民主党への合流を容認する議案を賛成過半数で可決した。所属国会議員4人のうち福島瑞穂党首を除く3人は離党するとみられ、事実上の分裂が決定的となった。合流組も残留組も今後の道は険しく、老舗政党は大きな節目を迎えた。

 福島瑞穂と一緒に街宣カーに乗っていた大椿ゆう子大阪府連副代表は、社民党に残留するようである。

 ああ、なるほど、社民党分裂を控えて、大阪の住民投票で福島瑞穂は仁義を切ったわけだなと思った。福島瑞穂が反対票の上積みにどれだけの効果があったのか分からないが、一貫して大阪入りしていたのは彼女である。

 言ってみれば、社民党は今回の住民投票で勝者であるはずだ。だが、大阪市を守り抜いた住民投票から1カ月も過ぎていないのに、社民党はもろくも分裂するのである。あの〝祭り〟とは、彼女たちにとってなんだったのだろうか。

 日本において社民党の終焉は、歴史的には必然だと思う。旧社会党時代は自民党との〝55年体制〟を支えた。革新全盛期には全国の自治体に社会党系の首長が誕生し、革新自治体が広がった。だが、80年代に入ると、東欧諸国の不穏な動きに呼応するように社会党は右旋回を始めた。1980年の社公合意を契機に、社会党は全国の自治体選挙のほとんどで共産党との革新共闘を拒否し、共産党を除くオール与党が支える自治体が主流となっていくのである。

 大阪もしかり。

 オール与党体制に支えられた官僚組織はどの党派にもいい顔をしようとする。世界的に東西冷戦が終結する中で、国内のイデオロギー的には「保守も革新もない」という考えが主流となり、一党一派に偏らない行政運営が理想とされていくのだ。だから、首長は八方美人の政策を打ち出し、議会のチェック機能が働かない。

 その後、全国の自治体でバブル経済に浮かれた大規模開発やリゾート開発が行われ、どのような結末をたどったのかは、皆さんのご存知の通りである。そのバブル時代の開発行政に、多くの自治体で旧社会党や社民党が「与党」として加担した事実は、今一度、思い起こすべきだろう。

橋下・松井の失脚の功労者・公明党の迷走

 大会には、住民投票期間中に応援演説のため大阪入りした山口那津男党代表も出席。山口氏は「住民投票で大阪市民の民意が賛否両論に二分された。こうした分断を取り除く努力をすべきだ」と訴えた。
 山口氏が「分断」に言及した背景には、次期衆院選で府内4選挙区の現職の議席を維持する上で、支持者らの結束と、連立を組む自民党の協力が欠かせない事情もある。実際、公明党内には住民投票で対決した自民党と早期の関係修復を図るべきだとの声がある。

 公明党は、党内の民意を無視して「都構想」賛成へとかじを切った。本当に党内が賛成でまとまっているならともかく、報道機関の世論調査では公明党支持者で賛否は真っ二つ。党執行部の暴走と言われても仕方あるまい。今回、党大阪府本部の代表が交代したのは、一定のけじめをつけたということだ。私は、市議団と府議団はどうした?と問いたい。

 住民投票で反対が多数となったことで、維新の会は松井一郎代表が辞任することが決まっている。2015年の住民投票では橋下徹が失脚。今回は松井一郎が失脚。そのどちらも、公明党が住民投票にゴーサインを出していなければなかったことだ。

 「大都市特別区設置法」は、特別区設置協定書が議会で承認されなければ住民投票は行われないことが明記されている。2015年も、今年も、議会が承認しなければ住民投票はしなくてもいい。では、賛成の維新、反対の自民、共産以外で、誰が承認したのかといえば、公明党なのである。

 つまるところ、公明党は橋下・松井失脚の功労者なのである。

 いや、もしかすると、維新にすり寄るふりをしているだけの維新キラーなのかもしれない。

総合区制度は大阪市を残したまま区長の権限を強化するもので、かつて都構想に反対していた公明が対案として示していた。石川氏は都構想の住民投票について「大阪市を残したい、より良い大阪に変えたいという2つの民意が表れた結果だ」と総括。「府・市が協調して取り組める成長戦略や今後の大都市制度のあり方を検討していきたい」と話した。

 そして、公明党は「総合区」と言い出した。

 公明党は2016年2月に「都構想」の代案として「大阪創生ビジョン」を策定している。

 この「大阪創生ビジョン」は悪くない。公明党はこういう政策立案能力はあるのに、なぜ政治的な駆け引きに弱いのか、なかなか理解できない。維新の脅しにあっさり負けてしまう。

 このビジョンは、基礎自治体同士の連携の力で行政を効率化し、大阪の活力につなげようというものだ。

 ただ、一点気になるのは、やはり大阪市の「総合区」だ。

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 「現行の24区の人口格差を解消するため、ブロック化を推進」とある。そもそも、行政区における人口格差にいかほどのデメリットがあるのか分からない。しかも、議員定数を削減するという。

 正直、私は都区制度でないのなら、総合区であろうが、特別自治市であろうが、大阪は好きなようにすればいいと思う。だが、公明党の総合区案が維新の「都構想」を引きずった「代案」になっているのであれば、もう一度ゼロベースから考え直してはどうかと思う。このままの総合区案では、仮に実現すれば、「都構想」の下地になってしまう可能性がある。

 地域自治区は、言ってみれば〝なんちゃって行政区〟でしかない。現行の行政区のままでも同様の住民自治の機能は持てるので、現在の24区のまま条例で定めればいいだけだ。

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 すでに神奈川県川崎市で行政区単位の区民会議を設置している。行政区が多すぎるとか、少なすぎるとか、不毛な議論をするより、まずは現行の行政区に住民自治の仕組みを設けるほうが先である。

 とりわけ、区長の準公選制には慎重な判断が必要だ。それこそ、三重行政になりかねない。

 相手側の土俵に乗っかると、また不毛な政争に巻き込まれることになる。仮に総合区制度を導入するにせよ、24区から始めるのが妥当だ。

都抗争に巻き込まれた自民党の若手政治家

13日開かれた府議団の総会で、原田幹事長は、住民投票での否決を受けて、いまの定例府議会が閉会する来月21日に幹事長を辞任する考えを明らかにしました。
これに対し、出席者から異論は出なかったということです。
このあと、原田氏は記者団に対し、「住民投票で反対多数となり一定のけじめが必要と考えた。党の大阪市議団などとの今後の協議で、賛成派の私では議論をしづらい部分もあり、反対派の議員が幹事長をしたほうがいい」と述べました。

 34歳の幹事長。まだ若い。要するに吉村世代ということだ。維新の仕掛けた政争はこうやって若い政治家に傷をつける結果につながっている。

 最近の吉村人気の影響もあるのだろう。都区制度の危険性も知らないのだと思う。

 自民党は今回の住民投票で反対多数となり、勝ちはしたものの、今後はこうして吉村世代の政治家が増えてくれば、これまでのように反維新で一枚岩になることが難しくなってくるのではないか。

 自民党はこれから、吉村維新にすり寄る若手と、従来の既得権益を代表する議員とのせめぎあいが続くだろう。菅内閣としては維新は政権維持に必要な補完勢力で、全面対決は避けたいところだ。自民党なりに大阪をどうしていくのかというビジョンを出していかなければ、先行きは厳しいのではないか。

 初会合は10日、府連所属国会議員や大阪市議らが参加し、国会内で開かれた。岡下昌平内閣府政務官は、「大阪都構想」の住民投票について「5年間で2回行われ、血税が使われた。『勝つまでじゃんけん』の問題がある」と述べた。

 前回、「大都市地域特別区設置法」について言及したが、自民党大阪府連が同法の改正に向けた検討を始めた。「廃止」ではないが、法律そのものの立て付けに問題があるという認識は正しい。維新はおそらく、住民投票の削除をもくろんでいるだろう。さすがに法律として一度しかチャレンジできないような条文化が可能なのか疑問だが、〝特別区設置協定書には反対だが、住民投票には賛成〟みたいな公明党の立ち振る舞いができないよう、制度の詳細を研究していただきたい。

 仮にこの法律が廃止されても、誰も困ることはない。大都市制度改革は、都区制度抜きに考えればいいだけだ。日本に「都」は一つだけでいい。根本的には廃止するのが筋だと思う。

〝〇〇しないと死ぬ〟という発想をやめる

 「吉村世代」の一人の横山英幸府議は「立候補は微塵みじんも考えていない。『松井・吉村路線』の延長で吉村さんがリーダーになり、体制を支えたい思いが強い」と話す。
 吉村世代とは別のある議員は、複数人が出て党の方向性を議論すべきだ、との考えから立候補を検討してきたが、「都構想の否決で最重要政策と代表を失い、一つにまとまっていくことが大事だと考えた」と見送ることを決めたという。
 維新の議員からは「次の看板政策がほしい」との声も多く、維新幹部は「どのような代表選になろうが、挙党態勢を築いて前に進むしかない」と話した。

 そして、住民投票で敗北した大阪維新は当然ながら松井一郎代表が辞任する。政治家の身の引き方としては妥当だが、大阪市長の仕事にも飽きていたようだから、ちょうどよいタイミングなのではないか。

 維新はもうカルト政党化していて、「都構想」なき大阪の未来を展望することはできないだろう。今回の住民投票ではずっと、「10年前に戻ってはいけない」と連呼していた。彼らにとって今が「おらが春」だったわけで、「都構想の実現を目指して大阪の抵抗勢力と闘っている」自分たちが一番かっこよかったのだ。

 吉村洋文が「都構想まちかど説明会」で、「住民投票が否決されたら、なにも残らない」と言っていた。その通りだと思う。

 都構想なき大阪を展望できている政党はいない。せいぜい「総合区」で〝なんちゃって行政区〟〝なんちゃって区役所〟をやる公明党のビジョンくらいしかない。維新も含めて、どの党派も机の引き出しは空っぽだ。

 せいぜい望みをつなげるのは大阪万博だが、そういうイベント行政がむなしい結末を迎えるのは、オリンピック開催を目指してきた東京を見ていれば分かる。コロナ禍で観客を入れて五輪を強行しようという玉砕思考は、ただひたすら昭和世代のプライドを死守するためだけでしかない。

 音喜多駿参院議員のブログ。

この統治機構改革が成れば、◯◯できる!✕✕という未来がやってくる!
…というビジョン・物語が(皆無ではなかったとはいえ)弱かったことに、やはり平成最後の集大成たる「改革」が敗北した原因の一端があったのだと思います。

 まさしく、その通り。ブログの内容がクローズドな配信なので、断片から文脈を推し量るしかないのだが…。

 「都構想」とは要するに、大阪市役所をやっつけることでしかない。既に維新がカルト化しているから、そういう短絡的な見方は否定されるだろうが、自分たちで脳内を開いて冷静に眺めてみればいいのだ。

 その物語を描いたのが、維新の創設者たる橋下徹と、維新のブレーンであった上山信一だ。

 〝改革派〟を自認する若手政治家は、この橋下・上山ラインから距離を置くことをおすすめしたい。

 維新(それに類似した改革派)が肝心なときに失敗するのは、橋下徹の「成功体験」が忘れられないからである。典型的なのは、小池百合子東京都知事だ。

 壮大な仮想敵を作り上げ、それらと闘うことで社会が改革されるという思考から抜け出すべきだ。維新信者は自分のTwitterのタイムラインを眺めてみてほしい。誰かに石を投げ、批判するつぶやきばかりではないだろうか。自分が想像する大阪の未来は描けているだろうか。市役所の官僚や自民党の政治家がやっつけられて悲鳴を上げているのが楽しくて仕方ないだけではないだろうか。

 誰かを倒して留飲を下げるだけの「改革」なら、小泉純一郎だって、小沢一郎だって、小池百合子だって、今までやってきたのだ。

 それによって生まれたのは、社会の変革ではなく、「改革」を掲げながら党派を放浪する若手政治家の〝龍馬ごっこ〟だけだ。その終着駅が維新であり、最後にすがりついたのが、橋下徹という成功体験なのだ。同時に、その挫折も「都構想」の否決という形で共有されている。

 今の社会になんとなく漂っている「〇〇しないと死ぬ」的な発想自体を、私は否定したい。みんな、自然に「今、変わらないと終わる」と考えてはいないだろうか。

 これは左翼も同じ。

 社会の最先端を走る企業や団体も同じ。

 挫折しても終わってはいけない。死んではいけないのだ。

 私は、維新の落日の向こう側に、分断のない、「〇〇しなくても死なない」社会を展望したい。

 いや、口で言うには簡単だが、それを形にするのは大変だと思うが。物語のエピローグは難しい。


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