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【阪神・淡路大震災26年】オーラル・ヒストリーから紐解く1・17~③「近傍派遣」で動き出した自衛隊

 冒頭の写真は、1995年4月27日に王子競技場で行われた「自衛隊への感謝のつどい」で、撤収する自衛隊に笑顔で手を振る市民だ。今回も、神戸市役所がオープンデータとして提供している「阪神・淡路大震災『1.17の記録』」から写真の提供を受けている。

 正直、阪神・淡路大震災までは自衛隊の災害派遣というのがピンときていなかった。地元の防災訓練で自衛隊を見かけたことがなかった。自衛隊アレルギーがまだ国民の中に残っていたということもある。リアルタイムに人命救助に出動している自衛隊を、テレビなどを通して見たのは初めてのことだった。

 日本には不幸な歴史があって、自衛隊というナーバスな軍隊が国家に位置付けられている。「違憲」とも言おうものなら、右から左から石が飛んでくる。冷静な議論ができる下地がない。

 私は今回、その不毛な殴り合いに参戦するつもりは毛頭ない。ここから先の論考は、自衛隊が違憲か合憲かを論ずるものではない。現に存在する自衛隊を、現実の大規模災害でどう活用すればいいのかという問題提起である。また、阪神・淡路大震災について語るとき、「自衛隊の災害派遣が遅れたから、たくさんの被災者を救えなかった」という刷り込みがある方に、それが本当なのかどうかを「阪神・淡路大震災オーラル・ヒストリー」にある当事者らの証言から紐解いていきたい。

自衛隊が人命救助した第1号

 黒川雄三元陸上自衛隊(伊丹)第36普通科連隊長の証言。黒川氏は午前5時46分を伊丹の官舎で迎えた。午前6時35分には普通科連隊の情報室に入っている。

 そしたら、大体出勤しておりましたから、「どうだ」と聞いたらですね、いやその、県の防災無線が、駐屯地の方面総監部に置いてあるんですけど、何か全然連絡がないですと。何か機能してないみたい。兵庫県の防災通信システムといえば、通信衛星を使って、100億円もお金を投入して、大変立派なシステムじゃないかと、いやー、あんまり機能していないと。だから自治体の情報は全くなかったですね。仕方ないもんですから、テレビをつけますと、停電で映らないと。7時10分か15分ぐらいに電気がきまして、それからは、私、ほとんどテレビを見てました。

 前回の首相や兵庫県知事、神戸市長とあまり変わらない。とにかく情報がなかったのだ。同連隊の守備範囲である大阪や兵庫では約700万人の人口があり、連隊の人員は700人。1万人に1人弱という態勢である。被害実態が分からないのでは、部隊の派遣ができない。

 そんなとき、第三師団から連絡が入る。伊丹の警察署から要請があり、阪急伊丹駅の中にある交番が潰れているので、助けてもらえないかというのだ。

 とはいえ、この段階では県知事からの派遣要請は来ていない。「どうしますか」と問われ、黒川氏は即断した。

そらもう近傍派遣だから、83条3項の近傍派遣だからと。すぐ出ようということで6時40分ぐらいに第一中隊長が担当でしたから、彼に指示をしまして、まずとりあえず偵察部隊を出しなさいと、ジープ1台、あと途中なんかで行けない時のためにオートバイ2台で行けと、無線機を持って行けと。それが6時45分ぐらいに出発しまして、7時ちょっと前に無線が入りました。

 部隊は8時前には現地に着いて、すぐに救援活動に入り、1時間くらいかけて2人の警察官を中から引きずり出した。1人は生きていたが、もう一人は亡くなっていた。これが阪神・淡路大震災で自衛隊が人を助けた第1号である。

「近傍派遣」に「近傍」の定義はない

 自衛隊法第83条の3には「近傍派遣」という項目がある。

第83条 都道府県知事その他政令で定める者は、天災地変その他の災害に際して、人命又は財産の保護のため必要があると認める場合には、部隊等の派遣を防衛大臣又はその指定する者に要請することができる。
2 防衛大臣又はその指定する者は、前項の要請があり、事態やむを得ないと認める場合には、部隊等を救援のため派遣することができる。ただし、天災地変その他の災害に際し、その事態に照らし特に緊急を要し、前項の要請を待ついとまがないと認められるときは、同項の要請を待たないで、部隊等を派遣することができる。
3 庁舎、営舎その他の防衛省の施設又はこれらの近傍に火災その他の災害が発生した場合においては、部隊等の長は、部隊等を派遣することができる。
4 第一項の要請の手続は、政令で定める。
5 第一項から第三項までの規定は、武力攻撃事態等における国民の保護のための措置に関する法律第二条第四項に規定する武力攻撃災害及び同法第百八十三条において準用する同法第十四条第一項に規定する緊急対処事態における災害については、適用しない。

 最初の項目は、都道府県知事の派遣要請。2はそれを受けて防衛大臣が派遣する。

 以下は黒川氏の解説。

 あの~、83条というのはそもそも、県知事の要請を主体にしてるんです。で、第2項で自主派遣と言いましてですね、要するに緊急避難的に、要するに県知事も何も連絡できないよと、事態は明らかに人命が絡んでるよという時には、私のもう一つ上の師団長の判断で出ろと言えるわけです。第3項が近傍派遣、これはまあ独立部隊長なら全員できる、という非常にあの緩やかな、近傍っていう定義もないですしね。

 「近傍」が連隊の基地から何キロのことを指すのかは定義がない。

 なぜ、県知事による要請が自衛隊の派遣の基本になったかと言いますと、戦前の反省なんですよ。戦前は、要するに、師団長、司令官の判断でどんどんどんどん派兵して行った。その典型が例えば、満州事変。それからノモンハンという国境紛争ですね。

 戦前の軍部の暴走は、戦後の国民の自衛隊アレルギーにもつながっている。自衛隊が動くと国会審議が止まる。国を守るはずの自衛隊が非常にナーバスな存在になってしまった。それは政府のみならず、自衛隊自身も過敏になってしまったのである。

自衛官そのものの保身があって、出ることについて非常に神経過敏だった。できるだけ待とうと、その典型的な表れが、いわゆる83条第1項のいわゆる災害派遣の要請で、基本的には県知事の要請を待つという、待ちなんです。で、私が西宮どうしましょうかと相談した時に、師団の幕僚が、いやー、黒川君、そのうち県知事が要請してくるよ、待っとこうやと。しかし、人が死んでるっていう話ですよ、そうしたら、副師団長が出てきましたね。良いじゃないかと、黒川君の権限で行けるんだからと、こうおっしゃってですね。

 伊丹駅の交番の救出活動の後、師団には西宮の市民から市民病院が壊れかけているから助けてくれないかと出動要請があった。黒川氏はこれも「近傍派遣」で部隊を出そうとしていた。8時の段階で中隊長を呼び、出動を命じ、8時20分には出動した。すると、部隊からは武庫川を渡ると被害が酷いことが報告された。

これはもう近傍のあれで、連絡幹部を地方自治体に出しちゃおうと思いまして。とりあえずテレビはもう大分映るように、ラジオもありましたし、大体神戸の方が被害が大きいというのが感触的に分かりましたので。どうも芦屋とそれから西宮、これがあの人口も多いですし、被害が大きいみたいだと。じゃあ、この二つの市役所に連絡幹部を出そうということで、8時30分にまず。連絡幹部というのは幹部1名と下士官1人、ジープ付き、無線機付き。それでとりあえず、西宮市役所行ってこい、それから警察署にも行け、消防署にも行けと。で、情報とれ、それから自治体の動きをよく見とけ、ということを指示して出しました。

 ノモンハンがどうだと言う割には、黒川氏、即断即決で動いている。ここはさすが、自衛隊の連隊長である。いったん決断すると迷いはない。

 「近傍」がどこまでのことかなんて、どこにも書いていない。政令にもない。そこが突破口だった。

 ところが、この西宮に向かった部隊は市役所まで10キロ余りを1時間もかかっている。渋滞のせいだ。現地に着いたのは午前10時前。県知事の自衛隊派遣要請があり、事態は「近傍」の拡大解釈ではなく、正式な知事の派遣要請に切り替わった。

 兵庫県知事による自衛隊の派遣要請が後手に回ったというのは事実だと思う。ただ、午前10時まで、自衛隊はテレビのニュースを眺めながらじっとしていたわけではない。人命を救助したし、既に動き出していたのだ。

 元陸上自衛隊中部方面総監の松島悠佐氏はこう語っている。

 黒川も、よし分かった、とそう言ってくれる人で、彼に限らず多いですよ。自分でやりますよ、それは。まあ、自衛隊ってのはそういうやりとりの分権をしてですね、中央で集権するところ、統制と分権と言ってますけれど、その按配をきちんとやるところが重要で、気を使って部隊を使って運用してますから、黒川君なんかも、そうやって中隊長やり小隊長やりのですからね。そういうことは染み付いているんです。こういうことは自分の裁量でやると、でも、こっから先は師団長に相談して指示を受けねばならんと。これは俺ができること、これは部下にやらせることと、その使い分けているもので、できるようなトレーニングをやってます。兵長としてのトレーニングでなんか状況入った時に、反対の状況に入る人いるんですよ。下に任せなければいけないことに自分で一生懸命やってしまう人、で、本当は上に判断仰がねばならないことを判断仰がずにやったりね。というのがね、そういうところがね、おかしくなる人もいるんですよ。それを直すことが重要ですよね。その辺の按配力、調整力、できますけどね。これは一番大事なことなんですよね。だから、その辺は軍隊の教育訓練の主眼になってましてね。

 じゃあ、遠慮なく自衛隊を使おうよ、となるかもしれない。それはちょっと違うのだ。

 自衛隊は、自治体が設置する災害対策本部の指揮下で動くわけではない。阪神・淡路大震災以来、自治体の防災会議に自衛隊の代表が入っているのが当たり前になってきた。だからといって、いざ事態が起きたときに、近くにいる部隊が自分の自治体に優先的に駆け付けてくれるわけではない。彼らは彼らの指揮系統で動く。基本的には地元自治体の指揮命令系統とは独立している。「近傍派遣」を当てにしているわけにもいかないのだ。

 では、こういう自衛隊の存在を、いざという時にどう活用するのか。日本ではまだ、9条がどうとか、戦争がどうとか、架空の話ばかりが空回りしていて、こうした議論が熟しているわけではないと感じる。当時、自治体の側が自衛隊の派遣要請をどうとらえていたのかは、別の項に譲る。

自衛官が考える阪神・淡路大震災の教訓

 この自衛隊の一部部隊の「近傍派遣」は、全体の被災者から比べれば小さなものだったが、少なくない命を救った。とはいえ、自衛隊の全国的な動員は遅れてしまったというのは事実だ。もっとたくさんの部隊が駆け付ければ、多くの人を救えたのではないか。そう思う人は多いだろう。

 黒川氏はどう見ていたのか。

 あのね、我々の情報の上げ方にやっぱりその、今一つやっぱり機敏さがなかったっていう。
 木を見て森を見ずという言葉があります。修羅場で森が見れなかったですね。
 結局自分の正面に一生懸命、初めての事態、しかも被災者が結構な数おられるから、そこに一生懸命でですね、森を見る余裕というのがですね、なかった。これは実にやっぱり自衛官の資質、修羅場で森を見るような資質が持ってなかった。
 当時はやっぱり一義的な任務ではないと、だから待とう、という思考もあったと思うんです。もちろん歴史的な背景、さっき申し上げましたのも背景にあったんですけど、もう一つはやっぱり一義的な任務ではないから、県知事の要請まで待とうじゃないかと。それから、あと木を見て森を見ない思考の中にもね。まあ、要請で動いているので、一義的な、要するに戦闘行為でないという認識があったのかもしれないです。これがもうやっぱり企業の利益活動と一緒なんだ、というような任務意識があれば、木を見て修羅場で森を見ると着意も生まれたかもしれません。

 中部方面総監の松島氏は当日午後になっても、現場に自衛隊の姿が見えないという報道が入ってきて、焦りを見せていた。兵庫県知事の派遣要請は午前10時には出ている。30分後には部隊の派遣を命じている。午前中に警察が把握していた死者数は数十人で、5千人の部隊を派遣すれば対応できると思っていた。ところが、渋滞や道路障害で部隊は遅々として集まらなかった。

 冬は日没が早い。4時半には暗くなる。電気は使えない。午後からでは実質、数時間しか動けない。

 死者数が急増すると、さらに部隊を増員したが、遠方からの派遣はさらに時間を要した。続々と部隊が集まってきたのは夜になってからだった。

みんなそれぞれの機関が前向きにやっておりますよね、決してどこもさぼってるわけじゃありませんが。ただ災害が起こった時、事態が起こった時、それが本当に機能するかどうかは、こう言うとあれですが、起こってみないと分からないことが一杯ありますね。例えば情報の問題なんかも情報が断片的でなかなか総合したものができないと。今、情報網を作ると言うんで衛星情報を作るとか、あるいは官邸に情報センターを作って情報を吸い上げるとか、いろんなことをやってます。それは良いことですけれど、その通りに行くかというと、今作ってるのは情報活動のインフラ整備なんですね。情報活動ってのはそのインフラを利用していかにそのうまく融通して状況に合わせて活動していくかってことですから、そこから先は人がやることなんですよね。
それのインフラないし基盤を築いて、それをやっていくということをですね。繰り返していかないとできないなと。これが一番大事なことだと思いますね。ですから私はもう退官しておりますが、自衛隊は自衛隊で今申し上げましたように、いろんな計画を作ってやっていくと、自治体の人と本当に一緒になってやってみて、ここは具合が悪いぞ、ここはやんなきゃいけない、と絶えずやることでしかないのかなあと思いますけど。ぜひこのこと忘れずにやっていただくのが、6400人亡くなった方の霊供に応えるのではないのかなと思います。

 様々な事情から当時は、自治体と自衛隊との意思疎通はうまくいっていなかった。自衛隊は他の霞が関の省庁や自治体、警察組織の縦割りとは一線を画して、独自の命令系統を持っているし、部隊のリーダーたちも独自の教育を経て任務に就いている。こういう独特な組織を、いざという時の大災害にいかに効果的に活用していくのかという課題がある。

 最近の報道を見ていると、災害が発生すると、首相が自衛隊を何千、何万人展開するとか、数字がまず前面に出てくることが多い。「待ち」の姿勢ではなく、とにかく出そうという姿勢は間違っていないが、大切なのは現場のニーズに合わせて、必要な場所に必要な人員を出せているのかだろう。現場のニーズを最も把握しているのは、地元の自治体にほかならない。

 では、阪神・淡路大震災では自衛隊に対する派遣要請がなぜ遅れてしまったのか。次回は、当時の兵庫県や神戸市の知事・市長や幹部の証言を振り返ってみたい。


 

 

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