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【大阪都構想】特別区の中に「区役所」を残す滑稽~将来の新区長・新議会の足を縛るべきではない【地域自治区】

 前回、住民投票で問われるのは統治機構の改革=「大阪市を廃止して、特別区を設置する」であって、維新政治ではないと書いた。この視点で脳内を整理すると、今回の特別区設置協定書には特別区の設置とはあまり関係のない事項が盛り込まれていることに気づく。

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「地域自治区」と「行政区」の関係

 大阪市の行政区を「地域自治区」として残すというのだ。協定書に参考資料として地域自治区制度の概要が載っていた。

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 「地域自治区」とは地方自治法で定められた制度である。政令市は「行政区」が存在し、住民に身近な窓口を区役所が行っている。面積や人口が大きな市町村が地域ごとに区画を仕切り、住民意見を行政に反映させようという制度だ。大阪の特別区設置案では、その制度を導入した上で、これまでの行政区の区役所の窓口を残そうというわけだ。

 ちなみに、市町村に地域自治区を置く場合、当該市町村の全域に置かなければならない。

 制度のきっかけは、2003年11月の第27次地方制度調査会がまとめた「今後の地方自治制度のあり方に関する答申」だ。この中で、「住民自治の強化を図るとともに、行政と住民が相互に連携し、ともに担い手となって地域の潜在力を発揮する仕組みをつくっていくため、基礎自治体内の一定の区域を単位とする地域自治組織を基礎自治体の判断によって設置できることとすべき」とした。これを受けて、2004年の地方自治法改正で制度が創設されている。

 この「地域自治区」とは、政令市の行政区とは制度的に異なっている。大阪の特別区設置案ではそこが分かりにくいが、「特別区を設置しても区役所を残す」というのは正しいが、「特別区を設置しても行政区が残る」わけではない。西成区は「西成地域自治区」になるが、行政区としての「西成区」が残るわけではない。「西成区」はなくなるが、区役所の窓口は組織としては残る。

 統治機構として変わることと、統治機構とは関係なく変わるものを整理しないと、まるで「地域自治区」が「行政区」のように誤解するのではないだろうか。

 特別区の設置により「行政区」としての24区はなくなる。その代わり、「地域自治区」という住民自治の制度を、旧行政区単位で導入する。さらに、旧区役所の窓口をこれまで通りに旧行政区単位で置く。

 大阪市民にとっては、都構想の実現で不安なのは、大阪市が廃止されることにより、住民に身近な区役所がなくなることではないだろうか。今回の特別区設置案では旧行政区単位の区役所の窓口は残すことにし、賛成に回ってもらおうということだ。

 そして、「地域自治区」という制度を採り入れたのは、おそらく「区」という漢字が入っているので、あたかも行政区が残されるように見えるからであろう(笑)

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東京の自治の歴史は、はじめに「区」ありき

 少し東京の「区」の話をしよう。

 地方自治法281条には、「都の区は、これを特別区という」とある。東京は「都」の下に「区」が存在していると思っている人は多いかもしれないが、長い歴史を振り返ると、まずはじめに「区」ありきだったのだ。

 江戸を東京とする詔の出た1868年7月17日、東京府が設置された。まもなく東京府庁が開かれ、江戸町奉行所の事務が引き継がれた。江戸の範囲は「朱引」と呼ばれる境界線で示されていた。東京府はこの朱引を用いて、新たに市街地と村落地を区分し、朱引内に1区当たり1万人を目安とした50区、朱引の外側にある村落地を5区に再編した。これが区の始まりである。

 政府は1878年7月に「郡区町村編制法」を制定し、府県の下に古来の郡制を活用した「郡」を置き、その郡内に住民の自治活動の性格を持った旧来の町村を制度として認めた。これとは別に府県の下に新たに「区」を定めた。その区の設置は、東京、京都、大阪の三府と鎖国を解いて開いた五港(横浜・神戸・長崎・函館・新潟)のほか、城下町など多くの人が集まって市街地を形成しているところとなっていた。

 東京府では1878年11月に府内を再び市街地と村落地に分け、旧朱引内には新たに15区が、旧朱引外には6郡が置かれた。翌1879年1月には「十五区々会規則」と「六郡町村会規則」が定められ、同年2月には全国に先駆けて、15区のそれぞれに公選の区議会が開設された。ここに自治体としての東京の区の歴史が始まり、その後、公選の区議会は絶えることなく引き継がれているのである。

大阪は戦時下で法人格のある「区」が消滅

 一方、大阪の「区」はいつ始まったのか。

 1868年、明治政府は暫定的な行政機関として大坂鎮台を置き、大坂裁判所に改称。同年6月に大阪府を設置した。翌1869年7月、四大組(北大組・南大組・東大組・西大組)を置き、町ごとに年寄り役人、町組ごとに中年寄り1人、大組ごとに大年寄り1人を置き、行政区画の整理・再編を行った。この四大組が大阪市の区の始まりである。

 1875年に東西南北の大組がそれぞれ「大区」に、従来の区が小区となる。

 1878年、郡区町村編制法の制定で、東京と同様、市街地を郡から外して「区」とした。このとき発足した大阪の4区が現在の行政区の原形となっている。1879年、大阪府は区会規則を制定し、各区に区会を置いた。ここまでは東京の「区」とほぼ同じ歩みである。

 1888年に市制町村制が公布され、自治体としての市町村の制度を創設し、全国の区は原則として市となった。ただし、東京・京都・大阪の3市に関しては市長は置かず、市会と市参事会を設置し、従来の区を存続した。当時、3市では自治の主体は市よりも区であった。翌1889年、東・南・西・北の4区の区域で市制特例に基づく大阪市が誕生した。

 市発足後もこれらの区は、公選の区議を持つ財産区、学区として存続したものの、戦時下に消滅し、大阪市に吸収された。

 戦後、東京は「都の区」として法人格を有する区を存続している。一方、大阪では京都や名古屋、横浜、神戸とともに「政令指定都市」となり、区は法人格のない行政区となった。

 東京と大阪の区の違いは、戦後の自治の歴史である。東京は戦後、区長の公選制が奪われた時期があったが、議会は明治以来、一貫して引き継がれている。つまり、住民自治の歴史があるのだ。大阪の24区にはそういう歴史がなかった。東京の「区」は戦後、東京都との間で権限や財源を巡りバトルを繰り広げてきたが、大阪の区にはそういう伝統はない。

 大阪は今回、初めて自治の単位として法人格を持った「特別区」となろうとしている。ほぼほぼゼロからのスタートだ。

 新区長と新議会を選び、新しい基本構想や計画を立案し、区の将来像を自分たちの頭で考え、作らなければならない。本来なら新しい自治体が始まる躍動感のようなものを持っても良さそうだが、さて、大阪市民の皆さんにそういう感性がどこまであるのだろうか。特別区になっても、これまでの大阪市と同じだと思ってはいないだろうか。

 東京と大阪の「区」の歴史を振り返ると、「区」は住民自治の最小単位だけれど、戦わなければ権限も財源も勝ち取れない存在でもある。先人達は、区の自治を守るために茨の道を歩んできた。大阪人にその心意気はあるのだろうか。

「地域自治区」は「特別区の設置」とは関係ない

さて、法人格のない区に話を戻そう。

 果たして「地域自治区」は必要だろうか。正直、私はあまり意味があるとは思えない。区役所の窓口は当面、存続していいだろう。だが、「地域自治区」という制度は、あってもなくても、住民サービスにいかほどの変化があるのか分からない。

 というのも、地域のコミュニティーのあり方は、特別区ごとに異なるものでいいからだ。せっかく政令市のくびきから逃れたというのに、「行政区」の区画にこだわる理由はなんだろうか。区名が町名として存続するのに、「地域行政区」など必要ない。そういう看板だけ掲げて、「行政区」が残るように見せるのは、意味がないのではないか。

 東京の23区は、様々な地域自治の仕組みがある。

 港区と世田谷区は総合支所制度を導入している。地域ごとの総合支所に住民サービスの権限を下ろし、地域単位でのまちづくりを進めている。「地域自治区」の制度を導入している区は一つもない。23区にはそれぞれ住民自治のあり方にも特徴がある。自治会・町会に重きを置く区もあれば、そうでない区もある。

 特別区が発足後、どのような自治の単位を区域に設けるのかは、特別区の区長と議会が決めることだ。今、特別区がない状態でできるのはせいぜい、区役所の窓口を残すことくらいだ。「地域自治区」の制度を採り入れることで、あたかも「行政区」を残すように見せるのは、将来の特別区の足を縛ることになってしまう。

 都構想により新たに誕生する四つの特別区は、それぞれに地域コミュニティーのまとめ方は異なる。住民意見の反映の仕方も異なるだろう。同じである必要はない。特別区が誕生後にどのように住民自治を進めるのか、新区長や新議会が考えるべきではないか。始めから旧行政区単位で「地域自治区」と足を縛れば、当然、財調交付金を算定する際の算定ルールにも影響してくる。新たな自治体に足かせをするようなものだ。

 こういう余計なお世話こそ、都と区の〝親子関係〟の最たるものだ。「地域自治区」は、四つの特別区がそれぞれ自ら導入の可否を決めればいい。住民が必要としているのは、行政区という単位ではなく、住民に身近な区役所である。だから、窓口だけ残してくれればいい。

 つまり、「地域自治区」は「特別区の設置」とは関係ないのだ。それは住民投票で問われることではない。そもそも、特別区設置協定書に書き入れるようなことだろうか。特別区が自らの区域内でどのような地域自治を行うのかは、誕生した新区長と新議会が自ら決めることだ。特別区設置後も区役所の窓口を残すくらいのことは、今の時点で決めてもいいかもしれない。だが、それすら、特別区誕生後に区役所の窓口を存続するのかどうかは、特別区自身が決めることで、現府知事や現市長が決めることではない。

 統治機構の是非と住民サービスのあり方は、きちんと整理して議論しなければならない。ここがごっちゃになると、「都構想が実現しても区役所はなくなりません」みたいな、間違ってはいないけれど、因果関係が薄い二つを無理やり繋げることになってしまうのだ。正しい答えは、都構想実現後の区役所の存廃は、特別区が決めることだ。「地域自治区」も、同じである。

 前回も指摘した問題である。「都構想は可能性の議論」という問題のすり替えである。

 可能性の議論は自由だが、それを協定書に書き込んでしまうと、将来、特別区が自ら考えて、実施しなければならない政策に足かせをしてしまうことになる。それはつつしむべきだ。現行政区単位の住民サービスを特別区設置後に継続したいのであれば、それに見合った財源が必要だし、なによりも大事なのは、新区長と新議会がそれを良しとすることである。​


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