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維新政治が「大阪都構想」のキラーコンテンツとなった~住民投票の否決を受けて

 この記事を帰りの新幹線の車内で書いている。とりあえず、小田原に着くまでに書けることを書いておきたい。

 「大阪市廃止・特別区設置」を問う住民投票は11月1日に投開票され、「反対」が多数となり、特別区設置協定書は否決された。大阪市民の決断に心から敬意を表するとともに、「大阪市の存続」を「おめでとう」とお祝いしたい。

反対多数は「現状維持バイアス」ではない

 ABCテレビとJX通信社の世論調査を見ると、告示からしばらくは賛成が優勢で、終盤になって急速に反対が増えたことが分かる。

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 「未定・不明」の比率も減っていることを勘案すると、どちらか迷っている層が最後の最後で反対にかじを切ったということだろう。

 この結果を「現状維持バイアス」といういじわるな言葉で表現する識者がいるが、それは間違っていると指摘したい。「現状維持バイアス」という言葉には、改革を進めたい志向にある人が改革を求めない人たちを嘲笑する意味合いが入っている。「シルバー民主主義」と同様、上から目線で改革を語る人にありがちな言葉のチョイスだ。

 時の権力者が間違った改革を打ち出した時には、庶民がノーを突き付けるのは当たり前である。これは現状維持バイアスでもなんでもない。

 東京以外の都市に都区制度を持ち込むのは、歴史の逆流である。地方分権と自治権の拡充を否定する暴挙である。地球上の都市住民は知恵と勇気で、都区制度という障壁を乗り越えなければならないのであって、その逆であってはならない。大阪市民の2度にわたる選択は、地方自治における基礎的自治体優先主義の原則にかなった正しい判断である。

 「大阪市廃止・特別区設置」は否決されたが、これは大阪における維新政治が否定されたわけではない。このnoteでは何度も繰り返していることだが、今回の住民投票で問われたのは、「大阪市廃止・特別区設置」のみである。カジノ誘致も、イソジン騒動も、毎日新聞の「誤報」も、山本太郎のゲリラ街宣も、住民投票では問われていない。

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 コロナ対応で絶大な人気を博した吉村洋文大阪府知事の支持率は6割を超えている。松井一郎大阪市長やや支持率が衰えるが、それでも「支持しない」を大きく上回っている。大阪市民は維新の改革を大方で支持しているのだ。だが、「都構想」はあかん、これはあり得る選択だ。

 これは「現状維持バイアス」などではない。維新政治を持続するのに、統治機構を変える必要などないという、真っ当な判断だったのだ。

 過去10年、維新政治が続いてきたのは、大阪市が政令市で、かつ市民が選挙で維新の府知事・市長を選び続けてきたからだ。ならば、維新が進めるべき改革は、わざわざ大阪市を廃止しなくても、維新の府知事・市長をこの先も選び続けることが最も効率的で、簡単なのだ。

 維新のブレーンでもある上山信一は、住民投票での否決を受けて、しれっと過去のツイートを削除してしまった。その後、ツイートした内容は、むかっ腹は立つが正しいと思う。大阪市に維新政治が定着し、わざわざ特別区四つに分ける必然性が伝わらなくなったのだ。維新側は「人間関係ではなく、制度的に二重行政がなくす」と主張していたが、膨大なコストを突っ込んで特別区をつくるより、4年に一度の選挙で維新を選択したほうが安上がりに決まっているではないか。赤子でもわかる論理だ。

 大阪に11日間滞在し、いくつか維新の「まちかど説明会」を見てみたが、説明の大半は、維新以前の大阪府・市政と維新が進めてきた改革との比較だった。維新が胸を張る施策は全て、政令市で行われてきたものだ。特別区に移行する必要性など感じない。維新側は、反対派の「特別区になると住民サービスが下がる」という指摘に対して、「政令市でも特別区でも税収減になれば住民サービスは継続できない。だから都構想で大阪を成長させなければならない」と反論していたが、ならば、なおさら政令市のほうがスケールメリットを生かした財源の捻出が可能で、規模の小さな特別区に移行する必要などない。

 維新政治の10年は、大阪都構想が必要ないことを証明してしまったのだ。

 この10年で、大阪市民は既に維新政治がもたらした〝既得権益〟にずっぽりと浸かっていて、都構想など必要なくなってしまったのだ。

 維新政治こそ、大阪都構想のキラーコンテンツとなったのである。

 大阪ではこれからも維新政治が続くだろう。もちろん、今回の住民投票での否決で、日本全体の政治の潮流としては維新の退潮は否めないが、これからも大阪では維新が最大勢力を維持し、府知事と首長を確保し続けるのではないか。

公明党大阪市議団は全員辞職すべし

 もう一つ、このことは指摘しておかねばならない。

 公明党大阪市議団は全員、辞職すべきである。

 5年前の住民投票で、公明党は特別区設置協定書を「承認」しないのに、住民投票には賛成だからと協定書に賛成している。これは法の趣旨をゆがめる行動だ。今回、公明党は自分たちの要望が受け入れられたと、特別区設置協定書に賛成し、推進派にかじを切った。そして、党中央の山口那津男代表まで引っ張り出したのである。

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 それでも公明党支持者の半数は「大阪市廃止・特別区設置」に反対した。民意に逆らったのは、公明党市議団である。

 公明党が維新に脅されて、都構想賛成にかじを切ったのは、既に多くの市民の常識である 2015年も、今回も、公明党が首を縦に振らなければ、住民投票は行われていない。

 二度にわたる税金の無駄遣いをきっちりと総括していただきたい。

「二度あることは三度ある」「3回目の正直」

 維新がこのまま都構想を引っ込めるとは思っていない。5年前の住民投票で否決されたとき、多くの人たちはこれで都構想は終わったと思ったのではないだろうか。橋下徹が政界を引退し、二度と同じ不毛な抗争はないと思っていた。

 間違いない。必ず、もう一度チャレンジするはずだ。

 これは、勝つまで続くじゃんけんだ。維新がある限り、終わることはない。

 もしかすると、菅政権を抱き込んで、大都市地域特別区設置法から住民投票の項目を奪うのかもしれない。

制度を巡る住民投票は無理だと思いました。

 維新のブレーンはこの間、もう削除してしまったが、何度か住民投票について言及している。

 つまり、市議会と府議会で特別区設置協定書を承認すれば、それでゴーサインという制度にしてしまう。

 これを阻止するには、「大都市地域における特別区の設置に関する法律」そのものを葬り去るしかない。自民党大阪府連はすぐにでも菅内閣に要望すべきだし、当然、立憲民主党や共産党、社民党は、野党共闘の共通公約にすべきものだ。

 それ以前の問題として、現在の立憲民主党や国民民主党の前身である民主党が、この法律を整備し、大阪での不毛な〝都抗争〟に道筋をつけたということに、率直に反省していただきたい。今回、立憲民主党の街頭演説も見させていただいたが、そのことには誰も触れない。当時はまだ維新の会は国政に進出していなかった。あなた方が法律で、都構想の実現に道を開いたのだ。

 そのことに対する反省がないから、説得力に欠けるのだ。

 都区制度をまともに学べば、自らそれを取り入れようなどというカルトな政治集団など、考えられない。

 住民投票の否決で終わりではなく、全ての政治家は大都市制度と地方分権について、一から学びなおすべきである。

 二度あることは三度ある。

 吉村洋文が5年後、「3回目の正直!」と言い出すのが目に浮かんでいる。

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