見出し画像

大阪都構想は歴史の歯車を逆回転させる~東京23区が目指す特別区の未来像

 今週末から大阪に出かけようと思っている。お目当ては、NMB48の10周年コンサートでも、吉田朱里の卒コンでもない。「大阪市廃止・特別区設置」の住民投票の動きを現場でリアルタイムに見てみたいと思っている(という名目で遊び回りたい)。困ったことに、コロナ禍で各陣営の動きが公表されていない。まあ、こちらから「密」に突入するようなことはしたくないが、やりにくい時代になってしまったものだ。

東京23区のルーツは「東京市の行政区」ではない

 松井一郎大阪市長が10月15日の記者会見で、東京23区の成り立ちについて誤った認識で解説していた。こういう誤りに対して、報道機関や反対派の専門家はきちんと指摘をすべきで、放置すべきではない。

東京の特別区っていうのは、そもそも東京市の行政区が特別区になってるからね。成り立ちがまったく違います。だから都になったときに都知事の、大阪市と一緒なんよ、あれ。都知事が各23区長を指名して決めてた。職員ですよ、だから。都知事の部下。部下が区の区長をやってた。行政区長です、もともとは。行政区。それが東京、どんどん人口が増える中で自治体として認めてくれということで公選制が導入されて、今の議会もできたわけです。だから大阪の特別区と東京の特別区は成り立ちが違います。

 東京の特別区は、東京市の行政区が特別区になったのではない。先日も書いたが、東京ははじめに区ありきだったのだ。これは東京の大都市制度を考察する上で基本的な事項だから、間違えないでいただきたい。

 大阪市は戦前、法人格を持つ四つの区が存在したが、戦時中に大阪市に取り込まれ、戦後は法人格のない行政区として再出発している。大阪都構想は行政区の区画を基本に、四つの特別区の枠組みをつくるので、確かに東京と大阪では特別区の成り立ちが異なる。しかし、東京にとって「東京市」とは長い歴史の通過点に過ぎない。つまり、「東京市」から自治制度が始まったわけではないのだ。

 もっと言えば、東京も大阪も、最初は「区」から始まったのであり、「市」は後からオプションで付いてきて、大阪市は都市の肥大化とともに「市」が「区」を飲み込んでしまったのだ。

 ところが、東京は「東京市」時代も法人格のある区が存在し、「区会」を持っていたのである。東京市にも「市会」が存在したので、東京府も含めると、とんだ三重行政だったのだから、東京市が早々に廃止され、都制に移行するのも、ある意味、仕方なかったのかもしれない。とはいえ、東京市時代も、都制時代も、東京で法人格を持った区が途絶えたことはない。

 松井市長のように、2015年の時代からずっと都構想を推進してきた立場の政治家が、東京市成立以前から東京の「区」に議会が存在し、区域は再編されたものの、今日までずっとそれが受け継がれている事実を知らないなど、考えられないことだ。間違いは間違いとして正すべきだし、今、大阪には東京から応援に駆け付けている議員もいるのだから、松井市長に訂正を求めるべきだろう。

 東京の「区」の成り立ちは、以下の記事で解説している。

 読むのはめんどくせーという方は、以下の図がわかりやすい。

 大阪都構想に賛成できない大きな理由の一つは、推進している人たちが東京の大都市制度や自治権拡充運動の歴史に無理解だからである。だから、「東京の区は東京市に戻ろうとはしていないだろ」などという頓珍漢な反論をしてくる。東京の自治制度の歴史では、都は戦後、70年程度の歴史しかないし、東京市は54年の歴史しかない。一方で、東京の区は1878年に、現在の原型でもある15区が発足して以来、142年もの歴史を有している。その間、「行政区」になったことは一度もない。

 東京の大都市制度の歴史という側面から見れば、都はまだまだ半人前の自治体なのだ。

東京23区は「東京市」ではなく「東京23市」を目指している

 特別区長会の依頼に基づき都区制度改革後の特別区のあり方を検討してきた第2次特別区制度調査会は2007年12月に最終報告「『都の区』の制度廃止と『基礎自治体連合』の構想」をまとめている。これが現在の23区における自治権拡充運動のベースとなっている。

 同報告は、「特別区が名実ともに住民に身近な政府として自らの確立していくためには、『大東京市の残像』を内包する「都の区」の制度から離脱することが必要である。そのためには、東京大都市地域における広域自治体と基礎自治体の役割をさらに明確に区分し、都が法的に留保している市の事務のすべてを特別区が担い、都区間で行っている財政調整の制度を廃止する必要がある」と述べている。

 さらに、東京大都市地域における「行政の一体性」の必要を前提とする限り、都という一つの行政主体が区に代わって一体的に事務を処理する体制を乗り越えていくことはできないと指摘。「基礎自治体を第一義の行政主体とする充実した住民自治のシステムを確立していくため、『行政の一体性』の観念から脱却し、分権時代にふさわしい新たな基礎自治体間の関係を構築していくことが必要」としている。

 これを読むだけでも、広域行政を一元化し、政令市の事務の一部を担おうとする「大阪都構想」における都区制度とは真逆の方向だとわかると思う。東京23区は、広域自治体たる「都」は基礎自治体の仕事から手を引けと言っているのである。

 もちろん、現行の東京23区を「市」にすると、膨大な超過財源を持つ区と、財源不足で破綻する区がいくつか現れる。だが、現行の都区財政調整制度に依存しているうちは、都が課税権(財布のひも)を握り、区に交付金を配分するという親子関係は払しょくできない。

 そこで、制度調査会は「基礎自治体連合」を提唱しているのだ。

 現在は都が課税している現行の財調財源はすべて「基礎自治体連合」が課税する。「基礎自治体連合」は23市の市長が議員となり、その中から連合長を選ぶ。現在の区間の財政調整は、「基礎自治体連合」が処理する。

 大都市地域における広域自治体と基礎自治体の役割分担を完全に分けるので、大阪で問題となった広域行政の一元化は達成される。東京都は東京23区域において広域行政に専念する。

 この構想には様々な課題も残されているが、「都の区」という関係を乗り越える上で第一歩ではないか。

 調査会会長の大森彌東京大学名誉教授は、最終報告にあたって以下のようにコメントしている。

 戦後形づくられてきた様々な仕組みが大きく崩れ、住民による自己決定・自己責任の原理の下に、人々が安全で安心して暮らせる施策網を構築し創意工夫に満ちた地域社会を実現していくために、今日ほど住民に身近な「最初の政府」である基礎自治体の役割強化が求められている時代はありません。
 特別区を名実ともに住民に最も身近な「最初の政府」として再構築するためには、都区制度を支えてきた基本的観念である東京大都市地域における「行政の一体性」からの脱却と「都の区」の制度廃止が必要であるとの結論に至りました。
 その上で、基礎自治体が自らの意思決定における主体性と行財政運営における自立性を維持しながら、「対等・協力」による相互補完を行う仕組みとして「基礎自治体連合」を提案しました。これは、地域の枠組みに合わせて多様な自治の選択を可能とし、東京大都市地域以外にも応用可能な新たな地方自治の枠組みです。

 特別区長会会長の多田正美江戸川区長(当時)は、以下のようにコメントしている。

 東京大都市地域において、従来都区関係を覆ってきた「一体性」の観念から脱却し、基礎自治体を第一義の行政主体とする充実した住民自治のシステムを確立していくことをめざしたものであり、これまで特別区が取り組んできた自治権拡充の方向に合致するものとして、大いに勇気づけられる報告であります。
 「基礎自治体連合」の構想は、自治体同士が「対等・協力」の関係に立脚して、自ら連携のための制度を構築していく新しい発想に基づき、東京の自治のあり方にとどまらず、全国的な地方分権改革の進展に向けて多様な選択肢を示す画期的なものと思っております。

 維新信者が信用できないのは、こうして特別区長会が下命して検討させた特別区制度調査会の報告を、「正式な方針ではない」「23区は市を目指していない」と平気でうそをつくのである。これは、2007年当時の23人の区長や、制度調査会に参加した専門家、なにより800万区民に対する冒とくである。戦後一貫して自治権の拡充を国や都に求めてきた運動に対する侮辱であり、歴史修正主義である。

 一方で、こうして特別区長会が了承した制度調査会報告から10年以上の年月を経て、特別区長会を構成する区長や会長が入れ替わってしまったことは事実であり、23区が現在、この報告書を起点として自治権拡充運動が盛り上がっていないのは、率直に認めなければならない点である。また、2010年代に入って、都知事はコロコロと交代し、都と区が落ち着いて大都市制度の行く末を議論できなくなってしまったことも、その要因であろう。

 まして、小池百合子東京都知事に大都市制度に関する展望があるとは到底思えない。

 リーマンショック以来、都と区は空前の都心再生に沸き、右肩上がりの税収に助けられて、東京は黄金時代ともいえる発展を遂げている(もちろん、その背景には貧困や格差の問題が顕在化しているのだが)。そういう時代には統治機構改革はなかなか進まない。都心から湧き出す膨大な税収に支えられて、都区のいびつな親子関係を忘れているからだ。

東京都は「大東京市」の復活を夢見ている

 特別区制度調査会と同時並行で検討が行われたのが、東京都が設置した「東京自治制度懇談会」である。会長は東京大学名誉教授の月尾嘉男氏。制度調査会より一足早く2007年11月に最終報告となる「議論の整理」をまとめている。

 一言で言えば、異様な提言である。結論から言えば、〝東京都はこれからも「東京市」の仕事をバリバリとやっていくぞ〟という宣言である。

 大都市経営の主体について、高度集積連たん区域と基礎的自治体の区域がおおむね一致している場合は基礎的自治体が、高度集積連たん区域が複数の基礎的自治体に分かれている場合は広域的自治体が、大都市経営を担うことが望ましい

 「高度集積連たん区域」という言葉はピンと来ないかもしれないが、要するに「連続した市街地」ということだ。要するに、政令市のような自治体のことを言いたいらしい。後者は、要するに東京のように市街地の内側で基礎的自治体の境界線がある状態だ。

 つまり、市街地が連続している地域では広域自治体が都市経営に責任を持てというのだから、これは尋常ではない。だが、大阪都構想の理念と重ねてみると、「広域行政の一元化」と同じであることが分かるだろうか。

 当時は民主党政権前夜で、自公政権がいよいよ支持率も下がってきた時代だが、不思議なことに地方分権の息吹が沸き上がっていた時代でもある。バブル経済の崩壊で国家財政がゆらぎ、国の持っている仕事を地方にできるだけ振り分けようという議論が進んでいた。その基本が「基礎的自治体優先の原則」だ。

 その理念を真っ向から否定し、広域自治体にももっと仕事をさせろと意気込んだのが、この「議論の整理」である。

 この東京都が打ち出した事大主義的な世界観は、多かれ少なかれ、現在の都庁官僚にも脈々と受け継がれているものであり、東京の大都市経営の主体として戦後70年間、いや、都制開始以来、いや、東京市創設以来、受け継いできた自治体としてのプライドなのだろう。

 以下は、懇談会が示した「大都市経営に関する事務」である。

 ②と③が青く塗られているところがポイントである。要するに、都は国の仕事も特別区の仕事も、まだよこせと言っている。

 特別区は、住民に身近な自治体としての仕事だけやっていればいい。国は東京の大都市経営に首を突っ込むな。

 都は、「大東京市」の復活を夢見ているのだ。

 大都市を抱えた広域自治体は、多かれ少なかれ、こういう幻想にとらわれるものだ。大阪と違って東京は、戦後、いったんは東京都が23区域において基礎的自治体としての地位を確保した実績があるだけに、なおさら幻想に拍車がかかるのだろう。

 こういう自意識過剰な親の下に育つ子(特別区)の苦労は、戦後70年の自治権拡充運動の歴史を振り返ると身に染みて理解できる。だから、大阪に限らず、日本全国どこであれ、都区制度なんてやめておけと、私は繰り返し訴えているのだ。

大阪の「協定書」で示された「特別区共同機関」

 実は大阪の特別区設置協定書には、東京23区が目指した「基礎自治体連合」と似た財政調整制度の「あるべき姿」が示されている。

 現行の財政調整制度では、大阪府が財調財源を課税し、地方交付税と法人事業税と合わせて、四つの特別区に財政調整交付金として配分する仕組みとなっている。その配分方法や配分額は、「大阪府・特別区協議会(仮称)」で検討し、決定する。

 「あるべき姿」では、特別区による共同機関を設け、特別区間の財政調整を特別区が主体となって財政調整を行う制度の実現を目指すとしている。

 不思議なことに、このことは賛成派・反対派のどちらも触れない。まあ、賛成・反対の二元論しか興味がなく、将来のことはどうでもいいのかもしれない(苦笑)

 本当にこれが可能であれば、特別区設置後、早期に実現してもらいたいものだ。

 だが、このイメージ図を見る限り課題も残る。

 まず、結局のところ財調財源を課税するのは大阪府という現実から逃れられないことである。東京の制度調査会の案では、「基礎自治体連合」が課税し、23区に配分する仕組みだ。なぜかというと、特別区が課税し、直接税を他の特別区に配分したり、もらったりすると、税の基本でもある「受益と負担」の原則が崩れてしまうからだ。

 つまり、神奈川県藤沢市の住民である私が藤沢市に納めた税金が、茅ケ崎市民の住民サービスに使われるというのは、私が何のために税金を払っているのかわからなくなる。だが、私が神奈川県に納めた税金が茅ケ崎市民の住民サービスに使われても、矛盾はない。私も茅ケ崎市民も神奈川県民だからだ。

 東京都新宿区で東京都に納めた税金が練馬区の住民サービスに使われても矛盾はない。だが、新宿区に納めた税金が練馬区の税収となるのは、おかしいのである。

 大阪府から降りてきた財政調整交付金の総額を「特別区共同機関」が水平調整(区間調整)するだけなら、現行の財政調整制度とあまり変わらない。結局、府に財布のひもを握られる運命にあるからだ。

 今回、都構想の制度設計は、基礎自治体(特別区)に配慮したものとなっているところは評価できる点だが、どんなに権限と財源を特別区に移譲したとしても、都区制度が都区制度である限り、「都」と特別区のあつれきや紛争は避けられない。

 東京は、その都区制度を否定し、乗り越える将来像を示している。大阪は、その否定した都区制度に乗っかろうとしているのだ。

ほとんどの記事は無料で提供しております。ささやかなサポートをご希望の方はこちらからどうぞ。