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大阪都構想が東京に与える影響~東京新聞特報部の取材を受けて

 こうして名前を出した記事の取材を受けるのは2013年都議選以来かもしれない。様々な媒体に匿名でコメントすることは時折あるのだが、何年か前に都庁の現場を離れてからはほとんどなくなった。ありがたいことに、こうしてネットの片隅でマイペースに更新していたnoteに、東京新聞特報部のデスクの方が目を付けていただいた。個人的な事情もあって、最初はお断りしたほうが良いかもしれないと思ったのだが、先方にはその事情を快くご理解をいただいた。10月10日の朝刊でコメントが掲載されているらしい。

 電話で1時間近く、都区制度の基本的なことからお話ししていたが、記事中のコメントはそのほんの一部しか掲載されていない。私も記事を書く立場として経験があるが、取材相手には申し訳ないが、時間を取らせても記事の文字数には限りがあるので、これは仕方ないことだ。とはいえ、新聞で私の名前を見つけて、ここにたどり着く人のために、私が都構想についてどう考えているのか、取材用に用意したメモを元に説明しておきたい。

大阪都構想は東京の都区制度改革を土台にしている

 維新信者は東京の都区制度改革について知らないので、なぜ大阪都構想で導入される都区制度では特別区が「基礎自治体」となっているのか知らないのではないだろうか。維新の会の関係者が書く著書を読むと、しきりに東京よりも優れている点を強調しているが、そもそもの原点として2000年の都区制度改革なしには大阪都構想などあり得なかったという点を覚えておいていただきたい。都構想は、先人達の自治権拡充運動の努力があってこそ、実現可能になったのである。

 そういう先人達に対するリスペクトもないところで、大阪は東京よりすごいとすごんでみたところで、なんの説得力もない。

 2000年都区制度改革で、それまで都の内部団体だった特別区は「基礎自治体」として位置付けられたのだ。

 地方自治法とともに誕生した特別区の歴史は、自治権拡充を求める運動の歴史でもある。それは二つの時期に区分することができる。

 第1期は、1947年から1952年まで民主化を進める占領政策の中で展開された。基礎的自治体として発足した特別区は、それにふさわしい自治権の確立を目指したが、都区間に生じた紛争の激化と、「民主化の推進」から「早期経済復興」への占領政策の転換を背景に、第1次制度改革(1952年法改正)により、基礎的自治体の位置付けが奪われてしまった。

 第2期は、基礎的自治体への復権を求め、1952年から2000年までの半世紀に及ぶ運動である。第1次制度改革で廃止された区長公選制が1974年に復活。さらに、1998年法改正で基礎的自治体の法的な地位を取り戻した。

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 この半世紀の歩みなしには、都構想などあり得ない。

 よくよく考えてみてほしい。区長公選制もない、基礎自治体でもない、東京都の内部団体という「特別区」になると言われたら、維新の皆さんはどうしただろうか。大阪の市域に、中核市レベルの「府の内部団体」を四つつくる。そんな特別区は断固拒否したのではないか。東京23区は、断固拒否したのである。都構想の原点には、2000年都区制度改革の到達点がある(皆さん、気づいていないだけで)。

 今、都構想に賛成している人たちは、特別区に移譲した権限が多いとか、配分割合が多いとか、そんなことで東京を乗り越えたようなドヤ顔をしている。だが、それは違うと指摘しておきたい。親から子にお使いの数が多いとか、こづかいがいくらだとか自慢しても何の自慢にもならない。特別区を選んだからには、そこから自治権拡充の運動を始めなければ、特別区などあっという間に国と「都」に封じ込まれる。大阪の新4区も、東京23区と手を取り合って、特別区の自治権を拡充する闘いに参戦しなければならないのだ。

 都区制度改革は、未完の改革である。大阪の人たちはまだ、そのことを東京の出来事だと思っているけれど、それは大きな勘違いだ。10年、20年経って、そのことに気づいて頭を抱えるのだ。

大阪の「特別区設置案」の強みはゼロベースから検討できたこと

 2度目の住民投票となる今回の「特別区設置協定書」は、「基礎的自治体優先の原則」が貫かれている点で、前回よりもよく練られた案になっていると思う。都区制度の最大のネックは都区財調制度なので、特別区側の配分割合を大幅に多く獲得したことは、特別区の経営に配慮したものだと評価できる。

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 なぜ大阪にそれが出来たのか?

 とても簡単である。まだ「都」も「特別区」も存在しないからだ(笑)

 実態としての「都」も「特別区」もまだ誕生していない。だから、どちらにも既得権益がない。今、大阪市の既得権益を持つ存在は大阪市しかない。それが廃止されるのだから、大阪市自体は抵抗勢力にはなり得ない(反対派は抵抗勢力になるが)。特別区の担うべき事務は、ゼロベースで仕分けすることができる。大阪府と特別区の需要を仕分けして、その仕分けの結果、配分割合を出せばいいだけだ。これを府と特別区が協議するのであれば、お互いの既得権益を守ろうとするだろう。

 こういう仕分けは楽でいい。何を言っても机上の空論だから。しかも、都合が悪ければ、いったんスタートしてから権限や財源の配分を変えればいい。

 だが、この配分割合は固定化しないだろう。人口が減り、府と特別区の双方でお互いパイが減ってしまえば、この配分割合を巡って、東京と同様の奪い合いが始まることは容易に想像できることだ。府と市の争いは、府と区の争いへと次元を変えるだけだ。ただ、府と市はお互い対等な立場だったが、都区制度における府と区は違う。あくまで府が財布を握り、区に分け与えるという関係である。東京と同様、親と子の争いは避けられない。

東京の特別区は、大阪に比較対象ができる

 大阪都構想が実現したからといって、ただちに東京の都区制度に影響があるとは思わない。

 だが、仮に大阪に特別区が誕生すると、東京にとっては比較する存在が現れることになり、これまでと比べると実態に即した都区協議が可能になるかもしれない。これはあくまで希望的観測だ。

 これまで都区制度は東京にしかなかった。比較する対象がないため、どうしても「考え方」で都区が紛糾することが多かったのだ。典型的なのは「大都市事務」だろう。都が担う大都市事務を洗い出そうと都区が協議したのはいいものの、そもそも大都市事務とははんぞやというそもそも論で意見が対立してしまう。都区制度とは結局、実態に即して必要悪を受け入れているだけなので、都と区はお互い、自分の都合の良いように物事を理解しているのだ。だから、都区協議が言葉の意味を巡って言い争う〝神学論争〟になってしまう。

 大阪に特別区が誕生すれば、東京ではいやでも大阪の実態を意識した都区協議にならざるを得ないだろう。

 先ほども書いたように、大阪の方が財調の配分割合も、移譲される事務権限も、特別区側に偏っており、東京よりも「基礎的自治体優先の原則」が貫かれている(あくまで東京との比較に過ぎないが)。この点では、東京23区にとっては強い味方になるかもしれない。

 一方で、大阪に誕生した特別区はいずれも人口50万人超の中核市レベルの規模である。東京のように大きな財政格差や人口格差はないので、それなりに多くの事務権限を区に移譲するには、東京も同様に、中核市レベルの自治体への再編が必要との論調を都側が持ってくる可能性は高い。

 結局、都区制度である限りは都区関係にはひずみが出てしまうのだが、少なくともこれまでより実態に即した議論にはなるのではないか。

都区制度の凶暴性は税収減のときに表れる

 よく大阪から出てくる声で、「東京は特別区で不満など出ていないのでは」というものがある。東京の半世紀にわたる自治権拡充運動の歴史を振り返ればあり得ない暴言だが、大阪の人がそれを知らないのは仕方ないのかもしれない(東京維新の会の人はそんなこと言ったら切腹だぞ)。

 実は税収が好調なときには都区制度に対する不満はあまり出ない。東京はリーマンショック以来、国の税制改正の影響を受けたとき以外、ほとんど毎年税収が大幅に増えている。ご存知の通り、東京23区の人口は増加を続けており、バブル経済の時代に起きたドーナツ化現象は昔話になってしまった。石原都政時代に進んだ都心再生で、山手線の内側でも高級なタワーマンションが乱立し、人口が増え続けている。

 だが、そんな東京も永遠に繁栄が続くとは限らない。日本人の人口が減っているのに、永遠に東京への人口流入が続くとは考えにくいからだ。

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 東京都が独自に行った人口の予測では、東京都全体では2025年がピーク、東京23区では2030年がピークとなっている。

 いつぞやも書いたが、税収が好調なときには都区財調協議はさほど紛糾することはない。問題は、特別区側が財源不足に陥ったときだ。

 人口減少はまず、特別区の税収の根幹でもある特別区民税に影響する。人口が減少すれば、人が支えていた経済も低迷するので、法人市民税にも影響してくる。そうなれば、区の税収を支えている財調交付金が減ることになる。区は財源不足に陥る。

 では、東京都が区を助けてはくれないのか。残念ながら都道府県の税収は法人税中心なので景気の影響を受けやすい。特に東京は地方交付税の不交付団体なので、景気の低迷をもろに受けることになる。区の心配をしている場合ではなくなるのだ。

 しかも、景気が低迷すると、たいてい都が行うのが固定資産税の減免である。固定資産税は財調財源でもあるが、課税しているのは都なので、都が勝手に減税する。結果、特別区に回る財調交付金の減収につながる。

 こうなると、都区協議は難航する。

 税収が減少した途端、特別区は都に財調財源の課税権を握られ、交付金を配ってもらうという親子関係に気づく。東京都も特別区も地方自治法で定められた立派な自治体のはずだ。にもかかわらず、都が財布のヒモを握って、区の需要に口を出してくる。都区制度改革で勝ち取ったはずの「基礎自治体」という看板が建前に過ぎないことに気づくのだ。自分たちは都に財布のヒモを握られた半人前の自治体だと悟るのである。

 東京にせよ、大阪にせよ、そのときになって従来の都区の親子関係を乗り越える新しい特別区のあり方を見出そうとするのだろう。

 そこから再び、東京と大阪の特別区による自治権拡充運動が始まるのだ。

結論としては「悪いことは言わないから、都区制度だけはやめておけ」

 今はコロナ禍の中で災害ユートピアみたいなもので、大変なときやから大阪人ががんばろうみたいな空気になっている。吉村洋文大阪府知事に対する評価が高まったり、都構想があたかも理想郷のように見えるのかもしれない。だが、経済の低迷や税収減が現実のものとなれば、大阪も東京と同様に、都区制度の歪さに直面することになる。あらかじめ想定した特別区の需要が財調財源で賄えない事態が起きても、特別区の配分割合が増えることはないだろう。大阪府だって、ない袖は振れないからだ。

 それは政令市でも同じ?

 ええ、同じだとも。

 少なくとも政令市は、自分の税収に対する住民サービスの質と量を自分が決めることができる。

 しかし、特別区は違う。大阪府と四つの特別区が協議し、合意できた需要しか財政調整交付金に算定できないのだ。四つの特別区が自分で決められると思ったら、大間違いだ。

 半人前の自治体とはそういうことを言うのだよ。

 降りてくる財源の配分割合とか、移譲される事務権限の大小など、自治体が一人前かどうかの判断材料になんかならない。

 よく考えてみてほしい。親がたくさんお小遣いをあげて、たくさん仕事をさせる子どもが一人前だと思うだろうか。

 例えば、四つの中核市ならそうはならない。政令市と同様、自分の税収に対する住民サービスの質と量を自分で決めることができる。

 中核市レベルの特別区と、中核市と、どちらが自己決定権を持っているのか、頭を冷やして考えてほしい。

 答えは明瞭だ。

 悪いことは言わないから、都区制度だけはやめておけ。


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