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大阪都構想実現後の「市長」に当たる役職は「知事」か「区長」か?

 今日は大阪市の廃止と特別区の設置の是非を問う住民投票の「告示」なのだそうだ。一応、この住民投票には公職選挙法が準拠されるものの、基本的にはやりたい放題である。告示の前後で、賛成派も反対派もやっていることはほとんど変わらないのではないか。事前になにをやっていいのか、悪いのかを当事者が議論し、ルールを定めておくべきだった。これは、賛成・反対にかかわらず、政治家たちの責任である。

 大阪市民に伝えておきたい。

 今回の住民投票は、大阪市の廃止と特別区の設置に対する賛否を問うものだ。住民が自ら自分の住む自治体の統治機構を選ぶ。それ以上でもそれ以下でもない。

 維新政治や大阪万博の是非、吉村洋文大阪府知事の評価、自民党や共産党の好き嫌いが問われているわけではない。維新の会の支持者が必ずしも賛成する必要はないし、自民党の支持者が必ずしも反対する必要はない。共産党が大嫌いな人も反対していい。イデオロギー抜きに、シンプルに住民投票の問いに答えていただきたい。

「全米桜祭り」に招待されたのは誰なのか?

 さて、冒頭にいきなり石原慎太郎閣下のお写真を掲げさせていただいた。

 2012年4月14日、石原慎太郎東京都知事がワシントンを訪問し、現地の「全米桜祭り」のパレードに参加した。画像は当時のMXテレビの映像から拝借した。

 全米桜祭りはワシントンで桜の季節に2週間にわたって毎年開催されています。天気に恵まれ、沿道には大勢の人々が詰め掛けた中、パレードに参加した石原知事はクラシックのオープンカーで登場し、午後は都がライセンスを発行するなど支援を続けている大道芸人のヘブンアーティストなどを視察しました。石原知事はアメリカで日本にまつわる祭りが開催されている意味を「文化と文明というものを中心にして100年間(桜が)続いていたということは珍しいことだと思うし、日本のいいキャンペーンになると思う。ちょっといまの日本はこんなことで満足していられない状況だな」と話しました。肝心の桜はおよそ3週間前に満開となりいまはほとんど残っていませんが、ことしは当時の東京市長が桜の苗木をプレゼントしてから100年ということで、イベントには日本から玉川大学や福島の太鼓など多くのグループが参加しました。桜祭りの見学者は「美しい!」「桜と日本人は素晴らしい文化をつくる橋渡しになった」などと話していました。

 せっかくの「全米桜祭り」なのに、肝心の桜はとっくの昔に散ってしまっているのはご愛敬として、気になるセンテンスがないだろうか。2012年は当時の東京市長が桜の苗木をプレゼントしてから100年だそうだ。

 全米桜祭りは100年前、当時の尾崎行雄東京市長がアメリカのタフト大統領夫人の希望を受け、ワシントンのポトマック河畔に桜の苗木を贈ったのを記念し、毎年行われている行事だ。桜の苗木をワシントンに贈ったのは100年前の東京市長。ワシントンから招かれたのは東京都知事。

 なにか、釈然としないのだが、いかがだろうか。

 地方自治法をおさらいしてみよう。

 都は、特別区の存する区域において、特別区を包括する広域の地方公共団体として、(略)都道府県が処理されているものとされる事務及び特別区に関する連絡調整に関する事務のほか、(略)市町村が処理するものとされている事務のうち、人口が高度に集中する大都市地域における行政の一体性及び統一性の確保の観点から当該区域を通じて都が一体的に処理することが必要であると認められる事務を処理する。(第281条の2)
 2 特別区は、基礎的な地方公共団体として、前項において特別区の存する区域を通じて都が一体的に処理するものとされているものを除き、一般的に、第2条第3項において市町村が処理するものとされている事務を処理するものとする。(同)

 特別区は「基礎的な地方公共団体」と位置付けられ、都が一体的に処理するものを除き、市町村事務を処理すると定義されている。都は「特別区の存する区域」にしか存在できない。

 東京都は府県行政を担う広域自治体。特別区は基礎的自治体の事務を担う基礎自治体である。

 オリンピック・パラリンピック招致を例に説明しよう。

 東京で初めてオリンピックが開かれた1964年当時、特別区は都の内部団体と位置付けられていた。1952年に「基礎的自治体」の存在が戦災復興を阻害しているとされ、区長公選制の廃止など自治権が大幅に制限。「特別区の存する区域」においては、都が基礎的な地方公共団体として君臨していた。

 だから、この段階では東京都があたかも「東京市」であるかのように五輪招致に立候補することに道理があったのだ。

 しかし、2020年東京五輪はどうだろうか。

 2000年都区制度改革では、都が広域の地方公共団体、区が基礎的な地方公共団体と法的に位置付けられた。都が行う市町村事務は「一体的に処理することが必要であると認められる事務」に限定された。

 つまり、2016年に東京が五輪招致に名乗りを上げたとき、都知事は既に「東京市長」としての法的な位置付けは存在しない。「特別区が存する区域」で東京市に該当する自治体は、基礎自治体である東京23区だ。

 誰も気づいていないが、実は石原知事以来、歴代の知事はおかしなことをしているのである。

 では、全米桜祭りに戻ってみよう。

 石原都知事はいったい、誰の代理でワシントンに招かれたのであろうか。

 本人は至って、「東京市長」のつもりでいるだろう。

 そして、これこそが都区制度の歪みを象徴しているのである。それは、「都」が法令を無視して勝手に「市」のフリをするのである。

都構想実現後の「大阪市長」は誰なのか?

 2008年夏季五輪に立候補したのは、大阪府ではなく大阪市だった。これは「開催都市」という定義としては当然だ。冬季五輪を実現した長野市も、夏季五輪の招致に失敗した名古屋市も、基礎的自治体である。

 つまり、「City」である。

 東京都は「Tokyo Metropolitan Government」と呼ぶ。この「Metropolis」という概念は、東京だけである。これは「首都」という意味だと思うが、いつぞやも書いたように、東京が首都だと定めた法律はない。

 東京23区も、「特別区」ではあるが、それぞれ「City」である。

 新宿区 Shinjuku City 世田谷区 Setagaya City 豊島区 Toshima City

 大阪府は「Osaka Prefecture」である。府県は共通して、「Prefecture」という単語を使っている。もちろん、大阪市は「Osaka City」である。

 例えば、大阪市を廃止した後、もう一度、大阪に五輪を招致するとすれば、誰が招致するのであろうか。

 都構想が実現した後も、大阪府は「Osaka Prefecture」である。法律的にも「都」になるわけではないので、これ以外の読み方にはしようがない。

 四つの特別区はこうなるだろう。

 北区 Kita City 淀川区 Yodogawa City 中央区 Chuou City 天王寺区 Tennouji City

 もうお分かりだろうか。普通に考えると、四つの特別区の区長が「大阪市長」の位置付けに当たる。

 だから、大阪に五輪を招致しようとすると、四つの特別区のいずれかが手を挙げることになるだろう。大阪市域における基礎自治体は特別区なのだから、これは法令上、「開催都市」(City)とは特別区のことだ。もちろん、一つの区だけで開催する必要はないだろう。大阪の4区が合同で、「大阪五輪」を招致すればよいのである。

 とまあ、話がこんなにシンプルなのであれば、都構想に反対する人などいない。

 大阪市廃止後、おそらく「都」の立場を得た大阪府が、あたかも「大阪市」であるかように振る舞うだろう。

 東京を見れば、それがよく分かる。

 大阪府は法令上、広域自治体なのであって、基礎自治体ではない。だが、大阪府知事はあたかも大阪市長であるかのように、大阪市域のプロジェクトに首を突っ込んでくるに違いない。地方自治法には確かに、「基礎的な地方公共団体」は特別区だと書いてあるが、「都」はそれを無視しても文句を言われない聖域としての地位を確保する存在なのだ。

「東京市長」として振る舞った都知事の末路

 石原都知事は2012年4月、ワシントンで開かれた全米桜祭りに参加した後、ヘリテージ財団で講演し、「尖閣諸島を東京都が購入する」と発言し、国内外に大きな衝撃を与えた。

 これは保守的な観点からは、ふがいない日本政府に成り代わって国益を守ろうとする石原閣下の勇気ある行動だったが、私は別の見方をしている。

 当時の石原知事は4期目に入り、都政への関心は薄れ、任期途中で国政に転ずると言われていた。これはその布石に過ぎない。東京都が沖縄県の尖閣諸島を買う道理などないが、法的には買えないわけではない。結果として当時の民主党政権は尖閣諸島を国有化し、石原知事の野望は頓挫する。2012年10月、任期途中で辞任し、国政へ復帰した。

 もう一人、全米桜祭りにノコノコと顔を出し、パレードまでしてしまった人物がいる。舛添要一氏である。

 米国訪問は12日に出発、ニューヨーク市とワシントン市を訪問し両市長と面会するなど、都市外交を展開した。
 そんな最中、熊本などで大地震が発生した。
 舛添氏は15日(現地時間)、「いろんな(救援)要請があれば、警察も消防もすぐに対応できるようにしている」と記者団に語った。建物の強度を調べる診断士2人を現地に派遣したという。

 2016年4月16日、舛添都知事は全米桜祭りのパレードに参加し、石原知事と同じように、オープンカーから笑顔を振りまいた。ところが、パレード直前、14日から15日にかけて、熊本で震度7の烈震が2度襲い、大きな被害が出ていた。都庁は優秀だから、都知事がいなくても熊本に救援の部隊が向かったが、遠い九州とはいえ、未曽有の災害が起きた直後に満面の笑顔でオープンカーに乗っている姿を見た国民・都民は激怒した。

 当時、舛添氏の公私混同疑惑や海外出張費などが問題となり、舛添知事は2カ月後に辞職に追いやられた。

 立場をわきまえず、「東京市長」の座を利用した二人の都知事の末路を、皆さんはどう感じるだろうか。

 東京では、自治法の改正により特別区が「基礎的な地方公共団体」として自立した後も、東京都が「東京市」として「特別区の存する区域」を闊歩している。広域行政に一元化した大阪府が、果たしておとなしく広域行政に徹することができるのだろうか。東京を見る限り、石原知事や舛添知事に限らず、都の官僚の多くが「東京市」の幻影から逃れられていない。

 そして、都構想が実現した後、吉村大阪府知事もおそらく、「大阪市長」として大阪市域に君臨し、その権力をもてあそぶに違いない。


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