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「ゴジラ-1.0」の感想文(ネタバレあり)


ゴジラと僕

改めて思い返すと、初めてゴジラに出会った時のことは明確には覚えていない。気付けばゴジラはそこに居て、いつのまにか当たり前になっていた。
84年にゴジラが久々に復活して、それ以降のVSシリーズで恐らくその怪獣王の存在を知った。84ゴジラのパンフレットが実家にあったので、もしかすると映画館で観ているのかもしれないが、定かではない。『VSビオランテ』くらいから観たような気がするので、記憶として残っているのはそこだった。
父はよくレンタルビデオ屋で映画を借りていて、いつしかその中で自分が見れるようなものがないか探すようになる。幼少の僕が観るものとして昭和ゴジラのビデオを借りてきていたのかもしれない。DVDやBDになった時代でもそうだが、テープにはタイトルしか書かれていないため、そこから読み取れる情報は少ないかった。
だがそこに『ゴジラ』の3文字があれば、僕はとにかくテンションが上がった。他に『ウルトラマン』『仮面ライダー』の文字にも惹かれるようになるがそれはまた別の話。
とにかくそうやっていつの間にかゴジラは当たり前のように知っていた。流石に当時、初代ゴジラは観ていないように思う。観たかもしれないが、記憶はしていない。世代的に既に映画館で毎年VSシリーズは恒例となっていて、明確な出会いこそ不明だが、とにかく僕は『闘うゴジラ』と過ごしてきた。
人類の味方ではない、だけど、自分の敵になる怪獣と闘い、暴れて、海へ帰っていく。そんなゴジラの姿が強烈に刷り込まれていった。

家にはゴジラ関係のソフビ、巨大なフギュアがあり、大学時代に28作目で一旦終止符が打たれるまで追いかけていた。
ファイナルウォーズの円盤化前に発売されたゴジラ作品のBOX(ゴジラヘッド付き)は10万円もしたが、バイト代を貯めて自腹で購入した。それくらいにはゴジラのことが好きだし、2014年にハリウッド版とはいえ久しく制作されたゴジラ映画では、満を持してゴジラの咆哮を聞いた時には涙した

2016年にシン・ゴジラが公開され、日本のゴジラが帰ってきた。その後はアニメ作品として、映画とテレビとで展開している。どんな形であれ、ゴジラが日本に戻ってきた事が嬉しかった。
今の子供たちは、ゴジラの存在を知っている。好きな子もいる。現代の子達に、あの頃の僕を重ねて見ているのかもしれない。

70周年、30作目のゴジラ

2022年11月3日、ゴジラフェスにて1年後に新しいゴジラ映画が公開されることが発表された。監督は山崎貴監督。
70周年に入るタイミング、日本のゴジラでは30作品目というメモリアル作品。70周年記念作品ではあるものの、厳密には1年早い。来年は来年で、ハリウッドのモンスターバースが動いていて、同じ年に公開できない関係で2023年となっているらしい。
しかしこれは何とも贅沢な話だ。ゴジラ作品が渋滞している。そんなこと、10年前には予想出来なかった。悔しいが、 ゴジラはファイナルウォーズで終わると思っていた。

だからこそ、ハリウッド版でゴジラが吠えた時泣いてしまった。ああ、帰ってきたんだな、と。
その後庵野監督によりシン・ゴジラが制作され、日本のゴジラが見事に復活する。それから7年空いてしまったが、日本のゴジラの最新作が公開されることになった。

正直、不安ではあった。
山崎監督はこれまで色々な映画を撮られているが、その全てを観た訳では無い僕でも、その中で個人的な評価がかなり別れるものが多い。題材やマーケティングにもよるのかもしれないけれど、どうしてそうなったの?というものもあった。何とは言わない。もちろん、それが良いっていう人もいるし、そういう評価もある。
けれどもどうやら、山崎監督はゴジラが大好きらしい(実際、好きすぎてAlwaysの中でもゴジラ出しちゃうくらいだし)
これは持論なのだけど、大好きな人が撮るものは大体良いものが出来上がる。だから、きっと大丈夫、大丈夫なはずと1年間言い聞かせたてきたわけだ。

前置きが長くなってしまったけれども、感想文を書こうと思う。

予め断っておくと、めちゃくちゃネタバレしていくのでまだ観ていない人向けではありません。

冒頭と遭遇

始まる前から、ここは重要なポイントだと個人的に思っている部分がある。それが、始まり方と終わり方。大概の映画にとっても、この2つは当たり前のように大事だとは思うけれど、ことゴジラの映画においては更に重要度が上がると思っている。

主人公・敷島が特攻の機体を島につけるところから始まるのだけど、この場所が大戸島!この時点で、「おっ」となった。大戸島は元々初代ゴジラでも、最初にゴジラが登場する島だから、これは早々にゴジラ(呉爾羅)が出てくるのでは!?となったのだ。

予想通り、本当に映画が始まって体感5分くらいで呉爾羅がドーンと現れる。これはもう大正解だし、ありがとうって感じだった。ここで整備兵が右往左往しながら、深海魚がぼこぼこ浮かんで死んでいる時は呉爾羅が現れる前兆らしいというのが語られるんだけど、それは前もって言っておけよ……とは思った。このくだり、小説版だと深海魚鍋をつつくシーンがあってそこで言われてるので、撮影になって多少変更されてる部分なのかもしれない。

呉爾羅によって整備兵たちが踏みつけられ、噛みつかれては放り投げられと悲惨な感じになって、敷島としてはここで機銃を撃てずにトラウマになると。
この大戸島にきた敷島、実は特攻を拒絶して戻ってきたって立場なんだけど、とある整備兵に『いいんじゃないですか、あんたみたいな人が居ても』って言われて少しだけ救われてるんだけど……これ要らなかったんじゃないかなぁ。敷島はとことん責められて、それでも日本に帰ってきて、帰ってきたら家も親も燃えてる方が悲惨だったし、その後典子に出会ったことがより希望になりやすかったように思える。まぁ、良くしてくれた人すら呉爾羅によって殺されたという悲惨さもあるんだけど。
整備班の中で唯一生き残った橘に、死んだ仲間の遺品である写真を渡され帰国。特攻にも行かず、機銃も打てずに壊滅したんじゃあね。

とりあえず、この冒頭の大戸島は満足でした。

人物と出逢い

終戦して帰ってきたら家は無いし、両親は死んでるし、隣の澄子さんには罵倒されるしと、戦争ならではの悲壮感全開。
そして闇市で典子と明子に出逢って、なんだかんだ一緒に住むことになってしまうと。ここで澄子さんがずっと嫌な人ではなく、明子が居たことによって少しずつ歩み寄ってくれて、育てられない子を拾うなと言いつつ放っておけないからお米渡すとか、戦後版ツンデレでよかったよね。澄子さんがずっと嫌味言うキャラだったらしんどかった。
数ヶ月して、見つけた割のいい仕事が機雷撤去業。そこで秋津、野田、水島と出逢い、ここらから一気に希望に満ち溢れていく。戦闘機乗りとして活躍できなかった敷島が、船の上で銃器を操り機雷を破壊することで役に立ち、この間だけは戦争のことを忘れられている。だけども、呉爾羅のことや大戸島のことを忘れたというわけではなく、しっかりと悪夢として蘇って苦しんでもいる、と。
大まかな登場人物はこの段階で揃っているので、ここを中心に進んでいくのだけど時間経過があっさりしていて、さらっと2年ほど経過する。赤ん坊だった明子も2歳になっているし、仕事仲間とも仲良くなってきて、バイクも買って家も建って。でも敷島と典子は結婚したわけではないという。ずっとモヤモヤした感じ。
どうでもいいが、成長した明子役の子がまためちゃくちゃ可愛い。永谷咲笑(ながたに えみ)ちゃんという子役だけど、とんでもなく可愛い。もうセリフというセリフはないし、「かーちゃん」とか「とーちゃん」とか消え入りそうな声でつぶやくくらいだけど、この可愛さだけはゴジラを凌ぐ破壊力。泣いてるシーンがガチなのか、自分で泣けてるのか不明だけどとにかく可愛い。撮影当時はリアルに2歳だったらしいので、今後日本のゴジラ映画が撮られるのであれば、是非出演していただきたい。

逸れてしまったけれども、この2年間で敷島だけではなく、呉爾羅にも変化が起きている。クロスロード作戦によって使用された核により、身体を灼かれた呉爾羅はそのエネルギーを取り込み、自身の再生能力によって進化する。……というような場面があるのだけど、一切説明はされていない。シーンとしてはぼーっとしてると流しちゃいそうなところで、初見であそこのシーンをちゃんと汲み取った人はどれくらいいたのか。
一応、僕でも「ああ、被爆したんだな」程度には汲み取れたのでいいのかな。「なに、今の」と思った人もいるかもしれないが。

邂逅と絶望

そんなこんなで機雷撤去がお仕事の「新生丸」のメンバーに、巨大生物を足止めしてねっていう謎の仕事が舞い込んできて、現場に行ったら敷島的にはもう最悪ですよね、どう見ても「ゴジラの仕業やん」っていう状況証拠が残ってるんだもの。
当然逃げるべきっていう主張の敷島に対し、誰かが貧乏くじを引かなきゃならねぇという漢気を見せる秋津さん。ここで個人的に良かったのが、やる気になってた秋津が直後に相方の船がゴジラに沈められたのを目撃した瞬間に「あ、だめだこれ」ってなるところかな。これは観てるこっちとしては、そんな船で勝てるわけないって分かりきってるので、変に粘ったりするより好感持てた。後にも出てくるんだけど、今作は観客が思う部分を秋津が代弁してくれるようなところがあるので、入りやすいのかもしれない。戦争を生き残って、命を大切にしなきゃって思う部分もあるからすぐに逃げようって判断になるようにも取れるし、腰抜かしてる水島もいいんだよね。戦争未経験の感じ。まぁ、ゴジラ目の前にしたらああなるのが普通か。

海を進むゴジラの描写や船を襲うのは今までのゴジラ映画でもあったけど、あれに追いかけられるというのは無かったので、ここはすごい見所。機雷で顔吹っ飛ばした時は、勝ったやんと思ったけど、異常な再生能力で即復活。怖すぎるだろこのゴジラ

返還された戦艦・高雄のシーンはかっこよかった。めちゃくちゃにされてたけど。
ここで初めて熱線が使用されてて、実はゴジラも自傷ダメージのようなものが入ってるみたいなんだけど、戦艦に撃たれまくってたのでそれのせいに見えちゃってるのは勿体無かったな。実際僕は最初砲撃のダメージだと思ってたので。設定や小説読むと、どうも熱線ダメージみたい。この辺はなぁ、ちょっと説明ほしかったなぁ。

上陸と破壊

結局、ゴジラが日本に来るのではないかという不安だけを持ち帰った敷島はようやく典子に自分が抱えているトラウマを告げる。そしてそれがフラグだったかのように、典子が務めている銀座にゴジラが上陸する。まぁ、銀座で働くって言い出した時から、『あっ……』とは思ったけど
ここでようやく、ゴジラのあの曲が流れます。やはりこれですよ、偉大な伊福部昭ミュージック。今作は佐藤直紀さんという方が劇中用にアレンジなさってますが、とてもよかった。これが劇場で、大音量で聴けることもゴジラ映画の醍醐味
そして容赦なく破壊されていく銀座。踏み潰される人々。無謀にも屋上から中継を試みているテレビクルーは、初代ゴジラのオマージュでしたね。しっかりと建物破壊されてた。

電車に乗っていた典子が見事に巻き込まれて、SASUKEバリのアクション求められてましたが、実際の撮影でもあそこは浜辺美波さんが限界までぶら下がってたらしいので、命がかかると意外にも力が発揮されるのかもしれません。火事場の馬鹿力。

なんか、ただ、あまりのことに驚きすぎたのは分かるんだけど、何故かゴジラに向かって歩いてるのは謎だった。その後、突き飛ばされて走る気力を失ってしまったのは解る。でもゴジラに向かっていたのだけ不自然なような。
ここで敷島が典子を見つけて逃げるんだけど、僕個人としてご都合主義を感じたのはここだけです。
あの騒乱の中で、倒れ込んでる典子を見つけ、ダッシュで向かってくる人の群れを躱してたどり着く敷島すごすぎん?

この後、戦車によって攻撃されたゴジラが熱線を使うんだけど、ここの見せ方はかっこいいね。尻尾の先から青い光がチャージされていく様は、2014年の所謂ギャレゴジの熱線のような感じで、そこに背ビレが引き上がって押し込まれるという動作が盛り込まれてる。生物だけどちょっと機械的な動きでもあって(核制御イメージでもあるらしい)、こいつそのままメカゴジラとしてもデザインできるんじゃないかと思った。平たく言うと、生物感はちょっと無いのだけど。まぁカッコイイからいいか、という感じ。

あとどうでもいいけど、ノンクレジットで橋爪さんが出てるのにびっくりした。急に知ってるおじさんが、ただ出てきて驚いてるっていう。

放たれた熱線の威力は原爆のそれで、その爆風は周囲を根こそぎ消し去る。ここで典子が敷島を庇って吹っ飛んでしまうことは予想してなかった。よく考えると予告の段階で見立てられるような気もしたが。ううむ。

しかし、よく考えると、この後のゴジラって普通に帰ったのかな。

団結と作戦

国としては黙っておこうと思っていたゴジラの存在も、流石に銀座を蹂躙されて熱線で灼かれたら隠しようもない。軍隊を動かせないから、民間人を中心にしてゴジラを倒すという無茶苦茶な事態に。

作戦立案は新生丸メンバーでもある野田さん。砲撃も効かない、物理攻撃は無理、だから海の圧力でやっつける「海神作戦」。これに関しては、なるほどなぁという感じではありました。陸ではなく、海でやっつけようというのは確かに新しい。
沈めてダメならもう一回浮かして極度の減圧で倒すという二重作戦。ここでも、秋津さんが観客の思う疑問点をぶつけてくれるので割とすんなり受け入れられる。「未知数だから予測でやるしかない」に対しても「要するに穴だらけなんだな」って言ってくれるのもいい。こういう、観ていて「ん?」ってなる部分を放置しなかったのが大変良かった。故に、やはりこの後説明不足だったなと思う部分もあった。

ゴジラが上陸してしまった場合に備えて敷島が戦闘機で引き付ける作戦を提案。戦闘機・震電が見つかるものの、整備が必要となり、ここで冒頭の橘を捜すことになる展開は熱いよね。ちょっと少年漫画チックで。
敷島はとにかく差し違えてでも典子の仇を討ちたいくらいに思ってるので、震電にありったけの爆弾をつみ、橘は橘で思うところがあってあるものを仕込む。正直展開が読めてしまったので、ここは個人的には要りませんでした。好みの問題だろうけど。

ところで今作、VFX技術が非常に高くなって違和感はほぼなかったんだけど、再度上陸してしまったゴジラが田舎町を蹂躙してるシーン。ワンコがずっと吠えてて、踏まれるギリギリくらいで逃げるところが気になって観てたんだけど、気のせいかなぁ、その近くを逃げている二人組の人間が屋根を突っ切っていったように見えてしまって、あれが見間違いなのか粗なのかが気になる。手元で観られるようになったら確認したい。(修正されるかもしれないが)

震電によって海に誘い出されるゴジラ。なんか可愛いよね。

いよいよ海神作戦。
怒ったゴジラが囮の駆逐艦に熱線を放射したところで作戦開始。ここで、あのテーマ曲が使われてるのがいい。大体ゴジラの出現に合わせて使われることが多いけど、そもそもこの曲は初代では「ゴジラ迎撃せよ」というタイトルなのだから、当然っちゃ当然。
で、この作戦開始時、熱線に物怖じした艦長に野田が「お伝えした通り、一度熱線を吐いたらすぐには撃てません!腹括ってください!」って言うんだけど、いつお伝えしたのか教えてくれ野田さん
この『熱線使用はゴジラにもダメージが入ってすぐに撃てない、基本撃たない』だとか、『減圧に耐えられなくて自滅する』ことをゴジラが出てくる前兆の深海魚で説明するとかあってもいいのに全然なかったんだよね。それが気になっちゃって。一言あるだけでなるほど、となれるのに何故か一切説明がなく。
因みにあるかもしれないと思って小説版も読んだけど無かったんだよな。というか小説版、ほぼ劇中の展開しか書かれてなくて残念だったんですよ。カットシーンあるとしたらせめて補足していただきたかった。ノベライズだからこういうもんなのかな。

あとこれ言ったら、本当にダメなのかもしれないけど。
無粋なのは解ってて敢えて書くんだけど。

作戦中、ゴジラ、立ち泳ぎしてるんですか……?

フロンガス巻きつけられるまでずっとそこに留まってるのも気になっちゃう。仮に、ぷかぷか浮いてるとして大人しく巻かれるもんなのかな。少なくとも、高雄戦でそうだったように船に向かってくるような気はしたんだけど。
イレギュラーなことが、この後のバルーン破壊しかなくて。まぁ、水島が引き連れてきた船団で引き上げるのは熱かったけどさ!好きだけど!

引き上げられた激おこゴジラによる再度熱線チャージで絶望の中、震電が飛んでくるところはかっこいいだけど、あそこまでシーンとさせたならエンジン音から入ってきて欲しかったな。それを期待してたんだけど、すーっと入ってきちゃって。まぁこれも好みか。
あと、せめて、ゴジラのチャージに時間がかかってる要因とかも入れてほしかった。実際は時間かかってないんだろうし、撃たれる前に震電が突っ込むんだろうけど、あそこまでやったんだから倒しきれなかったけど、減圧ダメージで背ビレが機能してないとか、なんでもいいから!説得力!

ただ高雄のシーンや、この海神作戦での駆逐艦の見せ方は流石だなと思いました。めちゃくちゃカッコよかった。

勝利と疑問

震電の特攻と、熱線エネルギーの内部崩壊のような形で、神々しく散っていくゴジラ。頭部が吹っ飛んだゴジラは中々衝撃的な映像。そりゃ初代は骨になってたけど、それとはまた違う、思い切ったビジュアル。

死ぬ気だった敷島も脱出して、作戦上誰も死なないというミッションをこなした海神作戦は終幕。
そして、実は生きていた典子と病院で再会。

典子が生きていたことに関しては興醒めっていう人もちらほら見かけました。けどこのシーンは典子の首筋に現れる黒い痣のようなものが重要で、ここはかなり「意味が解ると怖いシーン」だと。
あの爆風で普通に考えたら生きてるはずない、生きててもあんな綺麗な状態なわけがないし、普通に喋れるほど回復してるはずがない。黒い痣は間違いなく、ゴジラの細胞が取り込まれているということだろうから、その力で再生していることが解る。
シーンとしては、死んだと思っていた人が生きていて感動の終わり方なんだけど、あんなに頑張って倒したゴジラのおかげで助かっていて皮肉な感じだし、その後普通に生活できるのかは全く不明瞭。むしろ良くない事が起きる可能性の方が高い。

ね、全然ハッピーエンドじゃない!!

なのでこの映画を「最後のご都合主義が……」みたいに思ってる人がいたら、一度放射熱線浴びてきてください。騙されてるぞ。

あ、最後の海中のシーン最高でした。これは絶対やるべきだし、やるだろうとは思ってたけど、こうでなくちゃね。
ゴジラの足音、咆哮で締めるのも最高。

「生きて、抗え」はどこに掛かるのか

さて、この映画のキャッチコピーに『生きて、抗え』とあります。
これはそのまま受け取れば、戦後何もなくなったところにゴジラが現れ、マイナスになったけど、それでも生きることで抗う、となることでしょう。
海神作戦では誰も死ななかったし、最後の典子のシーンもそう。みんな生きている。

でも、僕は映画を観た後にこのコピーを読んで思いました。

一番生きて抗おうとしているのは、海中で再生しようとしているゴジラそのものだと。
結局、このゴジラは倒しきれておらず、どれくらい先になるかわからないけど必ず再生して戻ってくる。

『生きて、抗え』とは、ゴジラにこそ与えられたコピー、である。

シン・ゴジラとの対比

前作のシン・ゴジラはあの庵野秀明監督なので、その特色が凄すぎて、僕はめちゃくちゃ大好きなんですが、人を選ぶとも思っています。いや、間違いなく面白いし、何回も観てるけど、あれを真の意味で推すとなると相応の労力は必要です。間違いなく。それから登場人物は多く出てくるけど、そこを掘り下げないので人間ドラマはない造りでもあります。

で、今回のゴジラ-1.0はそれとは逆方向に進んでいったんだと思いました。主人公を立てて、そこをしっかりと軸にして進めていく。だから入りやすいし、観やすい。感動もする。シン・ゴジラが現代劇だったのでそこを意図的に避けたと明言されているので、ドラマ部分も正反対に向かったと。

マニアックなシン・ゴジラ。
大衆受けなゴジラ-1.0。

それぞれで好みが別れるかなと思いますが、同じゴジラを題材にしてここまで違う色の作品になるのも面白い。だからこそ、ハードルはがんがん上がり続けてるけど、和製ゴジラは作っていってほしい。

ゴジラはこれでいい

細かいところで言いたいことはあったので、思いつく限りでダラダラと書きました。
だけど、冒頭ですぐに出てくる呉爾羅。街を蹂躙するゴジラ。死んだと見せかけて実は死んでないゴジラと、抑えて欲しいポイントはしっかりと抑えられていたので評価は高くなっているはずです。観ている間、「そう、それでいいんだ!」と偉そうに心の中で思ったもんです。ツッコミどころはあるけど、しっかり楽しめたからいいんだ。
初日初回で観ましたが、実際、終わった後に満足気な人たちが多く見受けられました。

もしかすると、「ゴジラはこれでいい」というポイントさえ抑えていれば、どんな内容でも罷り通るのではないか。いや、それは安直か。

とにかく、ゴジラ史に新たな作品が加わった。それだけで嬉しい。

海外展開ではあるけれど、モンスターバースとしてゴジラはまだ世界で動いているし、このまま盛り上がっていってくれたらいいなと、いちファンとして願っています。

欲を言えば、そろそろ日本のゴジラで、怪獣プロレスが観たいなぁ、なんて。

ここまで拝読いただきまして、ありがとうございました。
それでは、また何かの感想でお会いしましょう。


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