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■マイロックンロールヒーロー002「甲斐よしひろ」

中学校2年で甲斐バンドに
出会った話は前回書いた。

そのあとすぐ、NHKのAMラジオで
「若いこだま」という番組で
甲斐バンドのリーダーであり
ボーカルの甲斐よしひろさんが
水曜日のパーソナリティを
やってることがわかった。

時計を観たら
水曜日の夜10時を過ぎていた。
あわててラジオをつけたら
「♪けだるく何もない昼下がり~」
と歌が流れ出し、
出だしからしびれた。

「誘惑」という新しいアルバムから
「嵐の季節」という曲だった。
まだ「ヒーロー」で売れる前だった。

まもなくして
「若いこだま」が最終回を迎えると
聞いてがっかりしたが
NHK FMで新しい番組
「サウンドストリート」が始まり
甲斐さんが引き続き担当すると
聞いてほっとした。

僕は毎回、カセットテープに
ラジオを録音し何度も何度も聴いた。

中学校で僕は嬉々として
甲斐バンドをみんなに広め
レコードをみんなに回した。
「奄美で甲斐バンドを広めたのは僕だ!」
と自信を持っていえるほどだ。

それ以来、同級生の多くは
甲斐さんのラジオを聴いてたはずだ。
その証拠にラジオの次の日、
話題は甲斐さんだった。

冒頭での甲斐さんの挨拶
「こんばんは、甲斐よしひろです。」
これをマネする輩まで現れた。
もちろん、僕もマネしてた(笑)

中学校3年になった時
友達に声をかけられ
バンド「ドロップダウン」を結成。
僕はボーカル担当で
文化祭で披露した曲は甲斐バンドの
「ヒーロー」と「LADY」だった。

そして、僕の中学卒業アルバムの言葉は
「今、帆を上げ高い波をくぐり抜け
荒れた海の中へ船を出す」
そのまま「LADY」の歌詞だった。

甲斐さんは、このラジオで
いろんな音楽をかけ、
いろんなアーティストを紹介し、
いろんな言葉を授けてくれた。

あの録音したカセットテープは
どこにいったのだろう?

でも、甲斐さんの一言一言が
今も頭にこびりついている。
それは今もなお僕の指針に
なっていることがたくさんある。

ギターで曲を作り出した話は
前回書いたが、作詞作曲の方法は
甲斐さんの影響は多大だった。

甲斐さんは
今のシンガーソングライターの
僕を作ったバックボーン的存在。
まさに僕のロックンロールヒーローだった。

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