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『草木をまとって山のかみさま』/大山祇神社・西会津国際芸術


 大山祇神社神楽殿で、草木をまとって山のかみさまになってきた。
 参加費三千円。
 イベントというのは似つかわしくない気がする。西会津国際芸術村でのこうした催しに参加するのは何度目かになった。ギャラリーも、演劇も、ライブも観ている。

 これは事務局の本来の在り方のように思えた。親切な指示や誘導が少ない参加型イベントだった。ほめている。

 時間に集まり、一通りの説明はなされる。
「支度ができた人から賄いを食べてください。こちらでお知らせすることはありません」
 なんだかその言葉は珍しく感じた。

 そもそもこの活動を始めたという華道家の片桐功敦さん。
「この中から好きな布を選んで、草木をさします」
 草木は片桐さんたちがまとわせてくださるが、自分でやるという選択肢もあった。
 先に片桐さんに飾られている人を見て、どなたかにお願いしたいと思い順番を待った。

 立葵がとても好きなので、お願いした。
 けっこう重いし痛かったりもするけれどそこはしょうがない。 

 したくができたので、おにぎりやおつけもの、お味噌汁がおいしそうに並んだ賄い所に行った。
 自分で食べるために食べる場に行く。
 たいしたことじゃないと思う人と、指示がほしい人と、それぞれだろう。
 もしかしたらわたしたちの国では、後者の方が多いかもしれない。
 間違えたら恥ずかしいし、輪を乱すのは嫌だし、指示がないのは不安だ。その気持ちはわたしにもとてもよくわかる。

 一度の説明を聞いて、なるべく自分で動く。
 こう書いただけで、
「自分はちょっとそれは」
 と引いてしまう人もいるかもしれない。
 無理はせずとは、書かないでおく。
 無理はせず。深入りはせず。引き止めず。
 言いなれた言葉だけれど、最近わたしはこの言葉に時々心が入らない。
 誰が言い始めた言葉だろう。いつそれがみんなの当たり前みたいになったんだろう。
 ふと心が入らなくなった。

 草木をまとって、神楽殿に一列になって向かう。
 神楽殿でどういう動きをするのかは、朝一度教えられていた。本番ではもうよく覚えていない。多分参加者の中には、「もうよく覚えていない」人は多くいたような気がする。
「唄える人は唄ってください」
 短い唄を教えられた。
 唄いたいので唄いながら歩いた。

 神さまとは、本当に一人一人距離が違う。
 わたしはばあちゃんに教えられた迷信は、無意識にほとんど信じていると最近気がついた。
 それはわたしと神さまとの距離に近しい。

 大山祇神社神楽殿での時間がどんな風に神事だったのか、体感は一人一人違う気がする。
 神さまの側に少し立ってみる。
 神さまが歩いていると、もしかしたら町の人々に眺めてもらう。
 神楽殿で舞う。

 鹿が躍ったとき、きれいな白い鹿だと思った。

 片桐さんが草木をまとった神さまとして現れた瞬間、わたしのそばにいた小さく女の子が悲鳴を上げた泣いた。
 神さまってそういうものだ。
 いいことも悪いこともかまわずするから、怖い。

 思いがけず暑い日になった。
 神楽殿から待機場に戻る道すがら、西会津でよく会う青年と歩きながら話した。
「生ビール呑みたい」
「呑みたいですね」
 会津にはお彼岸に、彼岸獅子が現れる。家々の前で舞ってくれる。
 よく後を追いかけてついていった。
 一日が終わる頃彼岸獅子たちは、
「ビール呑みてえなあ」
「呑みてえ」
 と話していた。
 わたしにはそれが此岸に立つ神さまの姿なので、草木をまとって生ビールが呑みたいわたしたちは今は神さまだ。

 とてもライトな場だった。神々しい神事を期待すると違うかもしれない。
「神様入ります!」
 と片桐さんが入ってくる。
 芸術村はアートの場なので、舞台制作に似ている気がした。

 三十度超えた日で、わたしは脱水と熱中症が癖になっているので、ほとんど無意識に賄いを見かけると食べた。
 塩気のあるおにぎり、味噌汁。
 体が求めているので食べる。食べてからそのおいしさに気づく。
「梅シロップのソーダ割が染みる」
 誰かが言って、飲みたいと板の間に座り込んだまま探していた。
 鹿だった青年が、震える手でポットを持った。多分彼はものすごく疲れている。
「これだと思います」
 欲しがっていたと気づいて、梅ソーダを注いでくれた。
 とても嬉しかった。
「ありがとう」
 その場でも伝えたけれど、きっと伝わり切らない大きなありがとうだった。

 なんでだろう?
 知ってる顔もいて、雑談もあったけれど、なんとなく流れを理解しているかな? という感覚で動いていた。不安ではなかったけれど、それぞれが動いてるという感じで、たまに誰かと一致点が見つかるのが驚くほど嬉しくありがたかった。

 わたしたちはとても便利な現代に生きているなんて、そんな陳腐なことを言う。そこはわたしは実は全く否定的じゃない。手の届くところところに便利さがあったら、自分の裁量で使えばいい。
 自分の裁量で、自由に。

 自由って、すごく難しいし面倒くさい。
 難しくて面倒くさいことも、いいよ。すごくいい。

「境界線がわからなくなりますね」
 生ビール呑みたいと話した青年が、言っていた。
 曖昧なところに立って、自由に動いてみることは整える時間になった。
 とんとんと大地を踏む時間。

 あなたの距離にいる神さまの側に、いける機会があるからいってみて。
 神さまのがわ。
 神さまのそば。
 どちらでも自由に、あなたの言葉でルビを振って。

西会津国際芸術村
https://nishiaizu-artvillage.com/

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