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麦の唄の思い出

中島みゆきさんの歌が大好きです。

私の母が、好きだったから、幼い頃、
レコードで『悪女』をよく聴いていました。
お母様、あまり子供に聴かせる歌ではないと思いますけれど。

一番最初に覚えた歌は、悪女、でしたが、
色々、好きになりました。

建設業をしているせいか、
地上の星
も、大好きです。
本当に、嫌われ仕事ですが、安全を守っている仕事だという自負があります。
地震、台風の多い日本で、建物が
皆様の命を守っていることは、事実だと思うので。
どうか、これからも、担い手がいますように。
建設業だけは、
メードインジャパン、日本製、でしか、
作れないので。

さて、本題です。

10年前、主人の転勤に、単身赴任に、
無理をお願いして、
一緒に転勤しました。
縁もゆかりもない、九州に。
親戚も友達も、いませんでした。

小学校二年生の娘と、
2歳半の息子を連れて、
朝、家を車で出発し、
娘を小学校へ送り出し、
息子を保育園へ送り出し、
車のステレオから流れてくる
麦の唄
を聴きながら、泣きながら、
会社へ出勤していました。

ちょうど、NHKの朝ドラで、
マッサン
が放送されている時期でした。

スコットランドから、エリーさんが、
マッサンについて、日本にやってきます。
でも、当時の日本で、かなり大変だったと思います。
日本は、どこでも、余所者に厳しい。
東京は、そうでもないかもしれませんが。
特に地方は、言葉の違う人を余所者認定して、村八分にする文化があったから、
仕方ないかと思います。
そもそも、それが、農民が逃げ出さないようにと、藩主がとった政策なので。
だからこそ、方言があるわけで。

どちらかと言うと、受け入れる側にしかいなかった自分が、初めて、
余所者として、九州へ引っ越ししました。

だから、そのとき初めて、その立場になって、辛かったんだなぁと思い知ることとなりました。

言葉がわからない。
言葉が通じない。
何を言われても、悪口言われているようにしか、思えない。
疑心暗鬼になって、どう接していいのか、わからない。

仕事も認めてもらえない。
やりたい仕事はできない上に、
やりたくない仕事ばかりさせられる。

子供は可愛いけれど、
自分が潰れてしまいそうで、
子供と離れて、一人になった時間に、
カーステレオから流れてくる
麦の唄
に、涙を流していました。

でも、新しい大好きを、あなたと探すと決めたのです。
ここで生きていくと。

だから、頑張るんだ、私。
自分の選択を、自分で肯定するんだ、と。
これで良かった、
この選択が良かったと、
証明してみせよう、と。

五年くらいは、辛かったけれど、
五年経った頃には、
信頼できる人も増えて、
信頼してくれる人も増えて、
家庭も仕事も、いいように回り出しました。

でも、辛かった。
苦しかった。
今だに、言葉や常識が違って、悩むこともある。

でも、自分の選択を肯定できるようにはなった。
この選択で、良かった。

麦の唄を聴くと、歌うと、
その頃の、辛かった日々の、私の応援歌で、
色んな思いが、プレイバックします。

LINE musicで自動再生していたら、
麦の唄の後に、プレイバックPart2が流れてきただけですけど。

今年一年も、病気に悩みながら、
よく頑張りました、私。笑

大晦日に、麦の唄を歌って、締めたいと思います。

みなさんの応援歌は、何ですか?
よければコメントでお聞かせください。

今年は色々、お世話になりながら、
何もお返しできず、
申し訳ありません。

来年もよろしくお願いします。

どうぞ、来年も、皆様にとって、
よいお年でありますように。

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