技術とお金

むかし、工学部の学生のころは、「お金」の話が、正直、好きになれなかった。お金は目的ではなく手段であって、それは誰かやってよ、自分は技術を深めたい。そんな事を考えていたと思う。だから、お金の話は、無意識に(あるいは意識的に)避けてきたんだと思う。
社会人(研究者)になってからも、最初のころは、そんな感じだった。いい技術を研究していれば、誰かが拾って世の中に出してくれてる(そしてお金をかせいで、世の中がよくなる)、と。

そんな考えが少しずつ変わってきたのは、いわゆるMakeに触れてから、だと思う。もちろん子供の頃から趣味で電子工作をふくむものづくりは日常的にやってきたけど、それはあくまでも技術についての興味からで、お金とは関係なかった。お金は、自分のお小遣いの範囲でできるし、それ以上がほしいとも思ったこともなかった。
しかしMakeの世界をみていると、作ることで満足するだけ、じゃなくて、それを欲しい人にところへ届けることで、自分もうれしい、欲しかった人もうれしい、という事例を、いくつも間近でみることになる。 そしてなにより、好きなことをやるためには、実際問題としてお金がかかる。例えば新しいパソコン、新しいハンダゴテ、新しいオシロスコープ。そして、部品を買うのにも、基板をつくるのにも、お金がかかる。

そこで、「好きなことを続けるために、お金を(少し)稼ぐ」ということが、実はけっこう大事なことなんじゃないか、と考えるようになった。 そしてそれが大事であるだけでなく、うれしい・楽しい、というのもある。
自分がはじめて「つくったものを売る」という経験をしたのは、たしか「無駄な抵抗コースター」だった。最初は、Twitterで面白がる人がいるのがうれしくて、どんどん作った。もちろんそれだけで生活できるほどの稼ぎにはならないけど、少し欲しかった工具を買うぐらいにはなった。今でもときどきTwitter等で、買って面白がっている人を見かけると、買った人も価値を得ていて、自分も利益を得ている、つまり両者が幸せになっている、という構図なことに気づく。
最近だと、#スタックチャン背面基板(Stack-chan_Takao_Base)が、一時期、文字通り「在庫が溶ける」ように売れて、毎週末に量産していたんだけど、これも「スタックチャンがほしいけどはんだ付けができない」人にとっては、スタックチャンをお迎えすることができて幸せだし、自分も(週末に量産するのが最近は多少面倒にはなってきたけど)次の活動への資金を得ることができるし、そのお陰で、以前だったら(家族の了解的に)ぜったい買えなかったiPhoneも買えた(中古だけど)。

これって、まさに「経済がまわる」ということだな、と思う。(今さらながら)
もちろん量産するのが面倒になった分は、プリント基板製造+部品実装を外注することで省力化はできるし、梱包・納品まで含めた製造自体を外注できれば不労所得になるわけだけど、たぶん自分としては、そこまでを望んでいるわけでもないんだろうな、と思う。つまり自分が手を動かす部分は手元に残しておきたい、と。

たぶん技術に関心がある人には2種類いて、自分で手を動かすことが好きな人と、組織を動かすのが好きな人(仕組みを作るのが好き、といってもいいかもしれない)がいるんだと思うんだけど、間違いなく自分は前者なんだと思う。もちろん世の中には両者が必要で、優劣があるものでもないけど。 ・・・オチがない。

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