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[山岳小説]カンチェンジュンガに降る雪2


 
外務大臣梅原龍三郎は、執務室にいた。
「深沢君、深沢君!」
政務次官の深沢和彦が急いで入ってきた。
「例の件は進んでいるか」
少し、イラついた声で梅原が尋ねた。
「はい、今、近藤君が動いています」
深沢は急いで答えた。
梅原は深沢の答えが終わらねうちに、秘書の山下に声を投げる。
「電光の青葉くんはまだか」
「はい、あと10分くらいで到着の予定です」
「よし、来たらすぐ始めよう」
梅原はすっくと立ち上がった。
現、有沢内閣では、外務大臣の梅原は末席であった。
さしたる実績もないまま、やっと大臣の地位を得た梅原は、
次のステップに上ろうと長く画策していた。
「ノー天気な閣僚どもが多いため。内閣支持率は低迷したままだ。
なにも考えずに、地位にへばりつくしかない輩どもが何人いても仕方がない。
まさに尸位素餐(しいそさん)というやつだ」
ちょうどその時だった。秘書の下山の内線がなった。
「先生、青葉さんがお見えになりました」
「よし、すぐ通せ」
広告代理店電光の青葉俊介は、会社でも筆頭の辣腕ディレクターであぅた。
彼が手掛けたプロジェクトは、必ずといつていいほどヒットした。
ゆえに梅原は青葉に白羽の矢を立てたのである。
「大臣、お久しぶりです。遅くなってすみません」
「青葉くん、ご苦労。いい案が出来たか」
「はい、これならご期待に添えると思います」
青葉は企画書を梅原と深沢に手渡した。
「ではご説明します」
青葉はホワイトボードになにやら山の地図を書き始めた。
「インドは近年、発展著しいですが、都市部をのぞいてはまだまだ貧しいのです。
それは、交通インフラが不完全なせいです。
過去のヨーロッパの発展は、何と言ってもあの完璧に網羅された鉄道網が大きい。
パスポートなんざ定期券みたいなもんです」
青葉は、ホワイトボードにネパールとインド北部の地図を書き始めた。
「ネパールとインドのシッキム国境にカンチェンジュンガという山があります。
これは世界で三番目に高い山ですが、日本では意外に知られていません。
それと一番難しいといわれる北東側の壁は、インド側からのアタックしか方法がありません。
しかし、インド政府は、防災上の理由で、外国人のシッキムへ立ち入りを許していません。
そんな理由もあって日本単独ではだれも登頂に成功していないのです。
そこを政治的に交渉で立ち入り可能にし、シッキムからのカンチェンジュンガ日本隊単独登頂成功させる。登攀をSBS・TVで中継させ、各マスコミにも逐次報道させる。
はでにアピールするんです」
青葉はここで話を切った。
「だが、我々の本当の目的は登攀成功とかそんなことじゃない。
日本でのカンチェンジュンガの知名度を上げるためにもインドのシッキムから、
ネパールの首都カトマンズまでの山岳鉄道をひくのです。
その中心にあるのがカンチェンジュンガ山群の壮大な景色です。
シッキムのカンチェンチュンガがよく見える最西端に新たな駅を作り、
カンチェンチュンガの壮大な景色を見ながら、カトマンズに入る山岳鉄道を行く。
ちょうどヨーロッパの山岳鉄道のようなイメージです」
「うーむ、すごいな」
深沢がうなった。
青葉は得意げに続けた。
「あまり知られていませんが、ネパールの首都カトマンズには、国内の鉄道が全く繋がっていません。インドのシッキムにしたって、首都ニューデリーから遠く離れた過疎地だ。ここに大型の観光開発を想像するのです。インドやネパールの貧乏国は飛びついてくる。中国と国境紛争などやっている暇などありません。いかにビジネスを創造するかが大切なのです」
 
 現在、ネパール国内の主要な鉄道事業者は、ジャナクブル鉄道という。数年前までは、ジャナクブルとインドのジャイナガルの間を運行していたが、今は休止している。むろん、インドから全くネパールに鉄道が入っていないことはないが、だいたいインドの真ん中当たりからだ。
たとえば、ネパール平野へと短距離の路線が延びている、
ラクソールからとネパールのシシャを結ぶ線だ。
ネパールとインド共同の貨物船となっている。
インドのラクソールからの貨物線は、広軌の路線であり、ネパール鉄道会社とインド鉄道で共同運行されている。
 
「お金はかかりますが、この壮大なプロジェクトが成功すれば、大臣・・・」
青葉は自信に満ちた視線を梅原にむけた。
「ようし、この案でいこう!関係者を呼べ。具体的に指示する」
 
数日後、大臣執務室に梅原から収集がかかった数人が集結していた。
「さて、そろそろ長友物産の佐伯常務が来るころだが」
秘書の下山が声が呟いた。
「大臣、佐伯常務がお見えです。JRの郡司本部長と一緒です」
下山が梅原に伝えた。
長友物産は、日本を代表する総合商社の一つであった。
常務の佐伯実は東南アジア地区海外事業の統括責任者であり、
様々な利権のフィクサーでもあった。
もう一人の郡司栄太郎はJRの海外事業本部長であった。
「やあ、お二人ともようこそ」
梅原はにこやかに出迎えた。
「大臣、お久しぶりです」
「お久しぶりです」
「お二人とも、ゴルフの腕は上がったかね。
私はこのあいだ、金子カントリーでホールインワンをやっちまってね。
臨時出費が大変だったよ。はっはっは。
まあ、かけてくれ」
梅原は来客を促したあと、自分もどっかと巨体をソファに沈めた。
少しの雑談のあと、梅原が身を乗り出した。
「ところで本題だが、この前、秘書の下山から事前説明をした通り、
インドとの鉄道プロジェクトを本格的に始めようと思う。
インドは近年、発展著しいが、都市部をのぞいてはまだまだ貧しい。
それは、交通インフラが不完全なせいでもある。
過去のヨーロッパの発展は、何と言ってもあの完璧に網羅された鉄道網が大きい。
パスポートなんざ定期券みたいなもんらしい。
私は、日本と良好な関係にあるインドに注目した。
なにも中国にへこへこして、機嫌とりばかりが外交じゃない。
まず、これをみてくれ」
梅原はヒマラヤの地図を広げた。
「ネパールとインドのシッキム国境にカンチェンジュンガという山がある。
これは世界で三番目に高い山だが、意外に知られていない。
それと一番難しいといわれる北東側の壁は、
日本単独登山隊ではだれも登頂に成功していないらしい。
ここを我々の支援でカンチェンジュンガ日本隊単独登頂成功を打ち立てる。
これをSBS・TVで中継させ、各マスコミにも逐次報道させる。
はでにアピールする」
梅原は、ここで皆を見渡した。
「だが、我々の本当の目的はそんなことじゃない。わたしは、日本でのカンチェンジュンガの知名度を上げるため広告代理店の『電光』に指示して、案をださせた。奴らの案はこうだ」
梅原は地図を指差しながら言った。
「インドのシッキムからネパールの首都カトマンズまでの山岳鉄道をひくのだ。その中心にあるのがカンチェンジュンガの壮大な景色だ。
シッキムのカンチェンチュンガがよく見える最西端に新たな駅を作り、
カンチェンチュンガの壮大な景色を見ながら、観光しながらカトマンズに入る山岳鉄道を引く。ちょうどヨーロッパの山岳鉄道のようなイメージを考えてくれ」
「すごい話ですな」
郡司がうなった。
梅原は得意げに続けた。
「知られていないが、ネパールの首都カトマンズには、鉄道が全く繋がっていない。インドのシッキムにしたって、首都ニューデリーから遠く離れた過疎地だ。ここに大型の観光開発を想像するのだ。インドやネパールの貧乏国は飛びついてくる。
いや、もう各国との大半のネゴは終わっている。
いまや中国と国境紛争などやっている暇などないのだ」
「お話は了解しました。ところで大臣、肝心の先立つものはどこから」
佐伯が上目使いに訊ねた。
「金か、心配するな。予算はすべてODA(政府開発援助)で捻出する」
「さすが大臣、わかっておられる」
佐伯が思わず拍手した。
「金はかかるが、この壮大なプロジェクトを何んとか実現したい」
梅原は話し終えて、大きく息をはいた。
「私はそのネゴをすればいいのですね」
佐伯常務が大きくうなずいた。
「そうだ。登山具メーカーや、旅行業者などを巻き込んでビジネスにすればいい。だが、一番金が動くのは鉄道プロジェクだ。JRの郡司事業本部長とうまくやってくれ」
「ざっと計算しても、2千億くらいのプロジェクトだと思われます」
郡司が言った。
「そんなもんだろう。大したことはない」
「と、とんでもない。これが成功すれば大臣も次期総理はまちがいないですな」
「わしは、そんな野心家じゃないよ、きみ。政治家として、外務大臣として、途上国支援が責務だと思うからやってるんだよ。ははは」
「これは失礼しました。ふむ、登山具メーカーは『スズノ・スポーツ』にするか。大学の同期が部長をやっているから融通がきく」
「だが、肝心の山登りをだれにするかだ。だれがいいかね。ゴルフならすぐ思いつくが、登山家はぜんぜん知らん」
梅原が顎に手を当てながら言った。
「外務省の近藤君がこころあたりがあるといっていましたが」
下山が口をはさんだ。
「ほう、それはだれだ」
「藤崎勉というもので、かつて天才クライマーといわれた男です。
が、しかし・・・」
「なにか問題があるのですか」
郡司が尋ねた。
「一度、カンチェンジュンガ登攀に失敗し、後輩を死なせているのです。
その後、引退したと聞いています」
「私も聞いたことがあります。
かつて、ヨーロッパ・アルプスを全て制覇し、ヒマラヤではエベレストをはじめ、八千メートル級はほとんど制覇したやつですな。
かれがなんでカンチェンジュンガに失敗したのか、不思議なくらいの天才でした」
佐伯が同調した。
梅原が深沢の方を向いて言った。     
「よし、深沢君、彼にあたれ。かつての天才クライマーがカンチェンジュンガに再挑戦する。これなら話題性も申し分ないぞ」
「了解しました。すぐ近藤課長に指示します」
「わたしはSBS・TVの方に動きましょう。政府の方が直接動くとまずい面もありますからな」
佐伯が頷きながら言った。
「佐伯常務、そっちはたのむぞ。それから深沢君、企画書の細密なやつをすぐ作ってくれ」
「かしこまりました」
 

 
北原さえ子は、カンチェンジュンガで滑落死した北原徹の母親である。今日は徹の命日であった。さえ子は、朝から仏壇にそなえる息子の好物を作っていた。ひじきの煮もの、玉子やき。部屋には良い香りがただよった。その時玄関のチャイムかなった。「あ、香織ちゃんだわ」
さえ子はガスの火をとめて、ドアに急いだ北原徹には原田香織という恋人がいた。香香織は、大学を卒業した後少しのあいだ会社勤めをし、その後ジュエリー・デザイナーをやっていた。香織は学生のころからジュエリー・デザイナーに憧れていて、いつかは自分のオフィスとブランドを立ち上げたいと考えていた。
特に水晶には一番興味をひかれていた。ダイヤやルビーなどより、その中に神秘的な力を宿す水晶に強く惹かれていちゃくち、たのである。香織が良質の水晶の原石を探していた時、カンチェンジュンガ水晶を紹介したのが、北原徹だった。
そのころの香織は、ヒマラヤの雪山で水晶が獲れるなんてことは、全くしらなかったし、そんなことを教えてくれる知り合いもいなかった。
そんな香織に、カンチェンジュンガ水晶を教えたのが北原だった。
北原は原石の卸商のところに水晶を持ち込んでいて、たまたまそこに原石の仕入れのために香織が、ふらりと立ち寄ったのだ。
香織は店主と話している北原に、恐る恐る話しかけたのだ。
「あの、私、ジュエリー・デザイナーを目指している原田香織といいます。カンチェンジュンガの水晶ってそんなに素晴らしいんですか」
北原は日焼けした顔に子供のような笑顔をうかべていった。
「ああ、そうだよ。ヒマラヤは地球の龍脈、地球上でも最も力のある場所とされている。何億年もの間、ヒマラヤの高地で育まれた水晶には、極めて大きなパワーが宿ると言われていて、他の産地の水晶とは区別されているんだ。あ、俺は、北原徹。東上大学の山岳部に所属しているものです」
「そんな方がなんでカンチェンジュンガ水晶を」
「先輩に藤崎勉さんという凄いひとがいてね。その人はもうプロのクライマーなんだけど、先輩の仕事を手伝っていた時、現地のシェルパからもらったんだ。なにせ俺は貧乏学生だからな。
登山資金に、これを買ってもらおうとおもってさ」
北原は屈託のない笑顔で、原石の塊をみせた。
「あの、もう少し、カンチェンジュンガ水晶のことを教えてくれませんか」
「ああ、いいとも」
二人のなれそめはこんな感じで始まった。
山のことを熱く語る、子供のような北原に、香織は好感を持った。
北原は小さいころ父を亡くし、母親の手で育てられた、いわゆる母子家庭であった。しかし、そんな暗さは全く感じさせない、明るい青年であった。
一方、香織の父は大学教授で母は医師であり、兄はABSテレビのプロデューサーをしていた。香織はいわゆるお嬢様育ちであり、目黒の一等地に家族四人で暮らしていた。。香織の周りには外車を乗り回して、高価な時計や衣服を身につけたバブル男が多かったが、香織はそんな彼らを好きになれなかった。北原からは、夏山の爽やかな自然の風が吹いてくるような、そんな気がした。
二人はそろって仏壇に線香をあげていた。
「香織ちゃん、ありがとう。徹のこと忘れないでいてくれて。でも、はやいものね。
あの子が死んでからもう五年もたつのね」
感慨深げにさえ子はつぶやいた。
「ええ・・・そうですね」
「あの子が生きていれば、あなた方も結婚して子供もいたかもしれない。わたしは山がきらい。なんで山なんかのぼるのかしら・・・」
「私もきらいです。でも徹さんはどうしても、いくら頼んでもやめなかった。
山男の考えはわかりません」
「あの子はからだが弱くてね。主人も早く死んでしまったから、男の子の遊びを教えてやれなかったのよ。だから大学に入って山岳部に入ったときはびっくりしたわ。でも、そんな危険な山に登ることはないだろうと思っていたら、なぜかヒマラヤに憧れだしてね。
そして、あの藤崎さんがその山岳部にいたのよ。そのせいだと思うわ」
「藤崎さん・・・」
「あの子はあこがれの藤崎さんと一緒に登れるんで、すっかりまいあがってしまったのよ」
「徹さんは、藤崎さんに殺されたんです。ロープは、藤崎さんが切ったに違いないわ」
「その藤崎さんが毎月お金を送ってくるのよ。そんなもの受け取っていいものか。
でも、こちらも生活が楽じゃないので、使わせてもらっているけど」
「きっと罪滅ぼしですわ。わたしはそんなことじゃ誤魔化されない」
「わたしには、そんな悪い人にはみえないけどね」
「心のそこまではみえませんわ。私は、徹さんをうばった藤崎さんと、山を好きにはなれません」
「そうそう、ちょっとまってて」
さえ子は、何か思いついたらしく立ち上がった。
やがて、もどってきたその手には、何かが握られていた。ピッケルだった。
「このピッケル・・・」
「これは、徹さんのですね」
「そう、藤崎さんが届けてくれたの。あなたがもっていて」
「わたしが・・・」
香織の瞳から涙がこぼれた。
 
新年も明けたころだった。
SBS・TVのプロデューサーの原田昇と外務省の近藤保は、
TV局の応接で打ち合わせ中だった。
外務省の近藤保は、三十五歳の若さで課長になった、エリートであった。
また、原田昇も数々のヒット番組を作った辣腕プロデューサーだった。
彼らは東城大の同級生でもあった。
「久しぶりだな、近藤。どうだ、調子は」
「おれは相変わらず、政務次官の小間使いだ。なにも変わってない」
「いずれ、お前も政界に出るんだろう。梅原大臣らの後押しで」
「そんなことは分らん。梅原大臣も敵の多い人だからな」
「ふーん、そんなものか」
「原田、ところで例の件だが」
「おお、例のでかい話だな。放映権をうちにくれるのか」
「そのつもりだ。スポンサーも『スズノ・スポーツ』他をつけてある。
広告代理店は『電光』だ」
「俺たちはベース・キャンプで藤崎を追えばいいんだな」
「それから、新聞、雑誌のカメラマンが体力の限りへばりつく」
「これは梅原大臣仕掛けの巨大なプロパガンダだ、と非公表で聞いているが」
「その辺はオフレコだ。暫くのあいだはな。だが、いずれインド政府から発表されるはずだ。報道もそれまでは、そこんところで余計な事を突かれない様に頼む」
「わかっている。これで俺も社長賞はまちがいなしだ。いや、エミー賞も夢ではない。しかし、よくインド政府からシッキム入行許可が下りたな。
あそこは一九六二年の中国とインドの紛争以来、外国人は一切シャット・アウトなはずだ」
「そこは俺たちの腕の見せどころだ。インドとの鉄道プロジェクトの利権がからんでいるからな。
莫大なODAの金がインドに流れるんだ。断れるはずがない」
「なるほど。そういうわけか。だが、こんどこそ成功するんだろうな。登攀は」
「それは、わからん。だが、そんなことはどうでもいい。
おれたちはインドとの鉄道プロジェクトが進められればいい。
たかが、登山家が何人死のうが関係ない」
「相変わらず冷酷だな。しかし、日本人隊単独で未踏の北東壁にいどむんだぞ。すごいことだ」
「個人的にはそんなことはどうでもいいことだ」
「どうやって藤崎を説得するんだ」
「交渉はこれからだ。しかし、奴は必ずOKをだす。みていろ」
近藤は不敵な含み笑いをした。
                        つづく

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