1月7日(日)

近所のスタバに来ている。雪が降りはじめた。壁一面に張られたガラス越しに、風に乗って雪が舞うのが見える。久しぶりの降雪。今年はたしかに暖冬なのだろう。先月中旬くらいに一度ドカンと積雪があったけれど、それ以来ほとんど雪は見られなかった。年末年始も雪はなく、寒さもそれほどではなかったから、例年になく過ごしやすい穏やかな正月になるはずだった。

しかし、地震である。私の住む地域は被害を免れたけれど、隣の新潟市では地面の液状化などの被害が出た。他人事ではない。体感としても東日本大震災以来の大きな揺れだった。

元日から地震があるとは誰も思わない。なんと言ったらいいのか、今までにない新年の始まりになった。しかしともかく実際の被害があった人に比べたら私などただ幸いだったというほかない。もしかしたら、こういう言い方自体が不謹慎なのかもしれないけれど。

そもそも単身で暮らしている身としては、正月だからといってべつに、という冷めた気持ちだった。正月、節分、お盆、クリスマス。日本の季節行事はどれも家族の存在が暗黙の前提になっている。家族を持たない私のような人間は、季節の変わり目ごとになんとなく肩身の狭い思いをする。否が応でも家族というものを意識させられる。それが何ともいえず居心地が悪く、いつも自分でもどう処理していいか分からない感情に陥る。

そして、そういう季節行事の王様みたいなやつが正月である。今年も姉夫婦とともに甥っ子と姪っ子が帰省してきた。もちろん喜ばしいのは言うまでもない。そして私は叔父として、また大人の義務として、今年も彼らにお年玉をあげたのだった。だが、はたしてそうすることが真に心の込もった行為なのか。そう言われたら、情けないが、そうではないような気がした。

とかってなんだかまどろっこしく書いているけれど、シンプルに言えば、自分がなぜお年玉をあげなければいけないのかわからないのだった。当たり前のような顔をして毎年お年玉をあげる。あげはする。けれども、私はべつに甥っ子や姪っ子に媚びたいわけではない。世間ではそうするものになっているから、私もお年玉をあげている。それだけといえばそれだけだ。そもそも私が他人にお金を渡すことなんてほとんどない。どれほど親しい人にも現金を渡したことなんてない。なのになぜ甥や姪には渡すのだろう。

決してあげたくないわけではない。しかし、なんというか、自分の行為が自分のなかで整合性が取れなくて気持ち悪いと言ったらいいのか。世間の常識に従っているだけの自分に対して妙な気持ちになると言ったらいいのか。ともかく、そういう面倒臭いところがまだ自分の中に燻っていて、今年も平静ではいられない気分だった。

普段は一応「ふつうの社会人」風に擬態して生きている。しかしこうしてときどき根っこのところの性分が顔を出す。とくに正月だからそうなのかもしれない。自分でも面倒臭いなと思う。

そういうとき、心のなかで「素直になれよ」という世間の声が聞こえる。しかし「素直」とは何だろう。多数派に従うことが「素直」なのか。違う。心の声に従うこと。それこそが「素直」なのではなかったか。「個人」と「社会」が対立したときに、なにはともあれまず「個人」の肩を持つのが、自由を愛する者の基本的な態度ではなかったか。とりわけ正月は「社会」の声が強くなる。「社会」の圧に押し潰されてしまいそうになる。だからこそ私は私のなかの「個人」を救いたい。「個」を救いたい。そういう心の反応が私のなかに起こってくる。

というわけで年末年始は映画をよく観て過ごした。アマプラで観た『プラットフォーム』という映画がとくによかった。比較的新しい映画だったが、これまでに観た『キューブ』とか『ソウ』とかのワンシチュエーションものの低予算ホラー映画のなかでは一番好きかもしれないと思った。食事シーンがひたすら汚かった。あんなに汚いのを観たことがない。それがとくに心に残った。

実家でぬくぬくとおせち料理を食べていると、舌と胃は満たされるが心は泣けてくる。今年も世間に屈してしまったなと思う。父の注文した数万円のおせちを食べ、姉の注文した国産和牛のすき焼きを食べ、おれは結局なにもできなかった。かろうじて自家製の田作りを食卓に提供したけれど、完成度は低く、とてもではないが一矢報いることなどできない。姪っ子と甥っ子にお年玉をあげて、叔父としての最低限の義務は一応は果たした風だけれど、その他は何もできず無力だった。

実家は暖房が効いて過ごしやすかった。いつまでだっていれるような、真綿で首を絞められるような暖かさだった。今年もぬくもりに包まれて圧殺されてしまったのかもしれない。それは、私がなんだかんだ言っても、あの頃から何も変われていないということを意味する。実家で引きこもっていた二十代前半の頃のおれである。あの頃の、子宮に戻ったかのような日々の穏やかさと、無限ループに閉じ込められたかのような出口のなさ、それらが不思議と両立していた頃の感覚が久しぶりに自分の体に戻ってくるのを感じた。そして、それこそがおれのある種の原点なのかもしれないと思った。


何かを批判するということは、ある意味、自分がそれに屈しているということを認めることなのだろう。人は自分がすでに乗り越えたものをわざわざ問題にしたりしない。どうしても許せないもの、受け入れられないもの、対立し打ち勝とうとしているもの。それらはつまり、相手にしてしまっている時点である意味ではもう負けている。同等かそれ以下だからこそ、遠ざけようとして苦しむのだ。


新しい年が始まったが、変わらない日常は続いていく。そういう日常があるということ自体がありがたいのは言うまでもない。だが穏やかな日常は、平穏さと引き換えに何かを隠す。

よくある言い方だが、地震によって揺るがされるのは建物だけではない。ものの見方自体が揺さぶられる。いくら科学が発達しようとも自然に打ち勝ったわけではなく、この社会の外側には人間界とはまったく別の論理で動く自然の世界がどこまでも広大に広がっている。人間社会の事情なんてお構いなし。当然だろう。だが普段はそのことを忘れて生きている。忘れることによって日常が成り立っている。

今回のようなことがあると、日常とはそもそもそういうものだったということを思い出す。しかし、きっとまたすぐに忘れてしまうのだろう。忘れることが悪いわけでもない。

雪はしんしんと降り続けて、例年と変わらない見慣れた雪景色に変わりつつある。