「線より愛で受け止めて」

「線より愛で受け止めて」なんてデタラメな曲が聞こえて来る。オレは昨晩から全然寝ていなくて、まっすぐに歩くことすらままなかなかった。ぐねぐねの線を描きながら坂を下りている途中でその曲は聞こえてきた。

「線より愛で受け止めて」「線より愛で受け止めて」

同じフレーズを繰り返すだけのデタラメな曲。ぐねぐねと歩きながらいつからか聞こえている。聞いている。音はポスターのようにそこら中の壁に張り付いて見るものすべてにこのデタラメな曲が染み付いている。

歩けども歩けどもその曲は聞こえて来るし、歩けども歩けどもその曲は壁に張り付いて染み付いている。そして歩けども歩けども一向に意識はぼんやりしていて、相変わらずぐねぐねと有機的な曲線を描きながら坂を下っている。

「まっすぐ」というのは速い。そのスピードは一方的だ。速いものは一方的でだからこそ速いのだとも言える。一方的というのは、常に結果である。速いというのはつまり過程を中抜きしているということだ。だから速いものは一方的で、一方的だから、常に結果だけをこちらにぶつけてくる。

一方オレは遅い。とても遅い。常に過程のただ中にいる。今までもずっと過程で、今という瞬間の中ですら過程として存在している気がする。ぐねぐねぐねぐね。誰にも。どこにも。何も。ぶつけたりしない。

「線より愛で受け止めて」「線より愛で受け止めて」

相変わらずこのデタラメな曲はそこら中から、ただまっすぐこちらへ向かってぶつかってきている。結果を出し続けている。相変わらずオレはぐねぐねと坂を下り続けている。

どこにも辿り着けないまま、どこかへ行く過程の中で、ただぐねぐねと歩き続けている。

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