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「とおいひと」の解説のような

ちょっと乱暴な詩なのかもしれない、
と書いてから思いました。

月さえ遠いと思ったら、
もうどこにも近くなどないんじゃないか、
というくらい身体にも生活にも影響大の星である月。

月って、私にはかなり特別な星です。

果たして、
月光というのは本当に“月の光”なのかな、
というのを考えます。
あれは反射なんですよね。
それでも“月”の光なのかなぁと。
“月の方からの光”?
“月に当たった光”?
言葉としての月光は本当にきれいなので、
わざわざそこを掘り起こさなくても、とも思うのですけれど。


月は遠い星だろうか

とおいひとたちも
月を見ているだろうか

本当は
瞬きの先の月光の粒も
月じゃないのかしら

それならいい
それならいいのに

ひとりも逃がさず
部屋の隅に埋もれていたって
同じ月を見る

ねえ 月がきれいだよ

「とおいひと」

月にあたった光は、
もう月を介して伝わるものなのだから、
やっぱり“月の光”であっているのか。

水が、
その一滴にすら莫大な情報をもっているように、
光も、
触れた、その一部として伝ったものには、
特性が伝播するのでしょうか。

月の光には気をつけろ、とはよく言われますけれど。

その一粒にも、特性が溶けているのなら、
月の光を浴びることは、
その光の影響の下にあるときには、
私たちは月をそばに見ているのかもしれない、
なんてことを考えました。
あんなに遠い存在は、
本当はすぐそばにある。
だったらいいのに、と。

そうだとしたら月の光から逃げるのは至難の業なのかもしれない。
月なんて興味ないね、
というひとにも、
ぐっと顔を近づけて
「ねえ、月がきれいよ」
と言うのはまるで脅迫のように聞こえてきそうだな。

という詩でした。

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