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2月の終わりに思い出したこと

2月中に書いておきたかったことがあったな、と思い出しました。

今日は昼から雨で、
それなのに長男は撮りたい電車が来るから、
走って帰ってきて、
電車を撮りに行くという。
時間も正確には分からないというのに。
時間が惜しいといいながら。

明日の準備もきちんとしない子が、
学校に行く前に何度も確認して、
玄関先に大事なカメラの入ったカバンを置いて、
ドアを開けたらそのままランドセルとカメラを入れ替えて飛び出していく気満々で「いってきます」と出ていくから、
珍しく何かしてあげようと言う気になり、
雨が降っていて、寒いことも気持ちを支えてくれて、
下校時間に上着を羽織って、長男の上着とカメラバッグを持って外に出ました。

15分くらい待っていたら、線路の向こうから傘を忘れて手提げ袋を傘代りにした長男が、ちょっとにやっとしてやってきました。
とりあえず上着を羽織らせて、ランドセルとカメラを交換し、傘を渡して、私は濡れながら帰ってきました。

残念ながら見たかったものは見られなかったらしい長男は落ち込んでいたので、やっぱり仕方なしに特別にチョコを入れたココアを入れてあげたのでした。

私は、
子供なんて欲しいと思ったことはなかったし、
今でも「子供っていいよね!!」と言えないような母親なのですが、
産む時は、
腰の骨が粉砕されるな、とか、
リアルに鼻の穴を西瓜だね、とか、
最後に切る音が「じょきん」だったな、とかあって、
元から頑丈だけど中の栄養素には不安の多い身体から根こそぎ栄養を持ち出され、痛めつけられてという出産だったし、
その後の子育ても(子供が超絶いい子であったのにかかわらず)不安定になったりもよくした人です。
ちっともいい母親ではありませんが、
ぎりぎりの線の上で、なんとか責任を果たせているのかもしれない、
くらいの役割を果たしています。

これだけ聞くと、
全然生んでいいことないんじゃ、、、と思うだろうな、
と思います。
特に男性。
私が女であるから、ひとつ、どうしても目が違ってしまうことがあると思います。
差別と、これを言われたらどうしようもできないのですが、
身体的な違いはどうしようもないので、
区別しない方が差別なのではないか、と思ったり、最近します。

話がどんどんずれてるな、、、

何の話?
と言いますと、
今月の最初の文芸会に時間が戻るのですが、
ちょうどバレンタインが近かったからか、
愛のお話が多かった日です。
体の違いが精神に落とす影のようなものを孕んだ関係性
相手を人生の最後のパートナーとして迎えた関係性、
お互いへの惜しみない愛情が、移ろいを越えた関係性。
そんな風に、
いろんな愛情を深く抉るようなお話が集まったでした。

どこからその話になったのだったか、
ひとり、
「昔、自分に告白をしてくれたひとがいて、
その子に何も返せないのに、自分の為にどきどきしたり、
勇気を振り絞ったりして、
そんな苦しい思いをさせてしまったことが申し訳なかったな」
という話をしてくれたのです。

それを聞いて、私は
「違うよ」
と言いたかった。
言いたかったけれど、タイミングを逃して言えなかったので、
ここで書いておこうと思います。

そのしんどさは、
そのひとのなかで絶対に何かに編み変わるものです。
そして誰かを思うことは、
必ずその人を救える体験になります。
自分が誰かを好きになれるという経験は、
世界を彩こそすれ、けして落としたりはしません。
失恋という経験さえ、
心に必要な栄養価の高い食事なのです。
心は、思いを食べて育つのだから、
そんな純粋な気持ちを抱けたそのひとは、
あなたに感謝こそすれ、
マイナスなことは何一つもないのです。
故意に傷つけたというのなら話は別ですが、
そういうことではないのでしょう。

私が子供を産んだことを、
あんなにも大変で、厄介で、長く長く責任に頭を抱えさせられることが続く今も、体験としては後悔していないように。

そう、これが言いたかった笑

恋する気持ちは、
知ってるか知らないかなら、絶対知っていた方が世界が美しくなる。

子供を産んで大変なことの方が多いけれど、
生んでみて分かったことも、
知ったことも、
体験した今は、
どうしようもなく面白いことと分類されています。
見たことの無い色を足してくれて、
はじめてをいくつもくれました。
けっこうおもしろいものです。

生む前に戻るなら考えるけれど、、、笑

なので、
全然申し訳なく思わないで。
逆にそんなこと思われてる方が申し訳ないと思ってしまうよ、と。

そんなこと言ったっけ、、、?
って言われたら、どうしようか。

___まぁ、いいか。

経験の蓄積は彩だよ、と言いたかったnoteです。

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