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フリーレンの最終回の最後の台詞に涙が溢れたことと、ドリカムの新曲『kaiju』に心つかまれたこと

このnoteを書こうと思っていたのは、もっと早い時期なのに。
こんなにのびのびに。

フリーレンのアニメの最終話をみました。
『葬送のフリーレン』は原作を先に知って、
読んでいたのですが、
アニメになったときに、あのテンポというか、
空気の少しばかり清らかな様子が消えていたら嫌だな、
と思い、ちょっと溜めていたのですが、
先にアニメを見たじろうさん(夫)が
「面白かったよ。見てみなよ」
というので、数話進んでから見始めたのでした。

ザインが中村悠一さんと知ったのも大きかったことも笑

そんなわけで、アニメを見始めた私は、
原作の空気感の再現と、テンポと、そこに差し込まれる原作を愛ある理解をしているからこそのオリジナル要素を見て、
やっぱり引きこまれ、
溜めていたぶんをすべて見てしまったのでした。

そこからはずーっと配信されるとすぐに楽しく見ていたのですが、
それもこの間最終回を迎えてしまいました。

そこで語られた、
フリーレンの仲良くなった人に対しても、あっさりとした別れをすることに疑問をもったフェルンとシュタルクが質問をします。
それに答えた答え。
それはかつてともに旅をした勇者一行の勇者ヒンメルの答えに感化されたものだった、という回想を挟み、
そして同じ言葉をフリーレンは二人へと言い放つのでした。

「また会った時に恥ずかしいからね」

また会える、と本気で思っていたのではないのでしょう。
そうなった時、その人の中で再会する自分はいつもの自分であってほしい。
そんな彼のやさしい意地があるような気がしました。

そしてそれを次に口にしたフリーレンの心は、
また違ったのだろう、とも。
彼女にとっては、逆に自分は生きていても、
別れた相手は生きている確証もないでしょう。
でもだからこそ、あるかもしれない「また」が本当にあるのかもしれない。
そこにかけてみるような、少しわくわくしたような、
そんな感じをうける言葉に聞こえました。
もちろん、ヒンメルもまたそれを楽しい方向へと考えていたのでしょうし、
それを理解できた喜びも彼女には合ったんだと思います。

はやく、ザインと再会してほしいものです、、、

私は、別れをものともしない、まるで未来へ灯す約束のようにやわらかに灯るものにした彼らに、涙が零れたのでした。

三期まってます。


そしてそれとそれほど時間を空けず、
効いたのがドリカムの新曲『kaiju』です。

ドリの35周年の記念の曲であり、
夏に公開される怪獣の造形にかかわってきた方のつくった映画に使われるのだとか。

この曲を聞いて最初に感じたのは、
青い風が草を寝かせる広い腕を広げるような一度の風でした。
そこから言葉がすうっと抜けて、
サビまでぼんやりと柔らかさに抱かれて揺られているような気持ちになっていました。

『ぼくは怪獣だ』
『君も怪獣だ』
『好きなところであばれろ』

それは、生まれたことの、生まれたままの、つよさで戦えと言われたのだと感じました。
今持っているもの、その中の、自分の奥の奥と繋がってきたものと。

相手を持って戦うのではなく、
歩いて行くための。

そういう歌なのじゃないかなと。

そしてまた、
この曲を贈られたのだろう監督への深い愛情が感じられました。

未来に、うすくてもいい、明るい一点を。
靄のように掻き消えてしまいそうでも。
そういうものを放てるもの。

そんなものを自分も生みだしていけたらいい。
そう思いました。

どちらもおススメの作品なので、よければ是非。

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