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「まばゆい」の解説のような

私は、
ちょっと感覚が違うと言われるのですが、
いつぞや「ひとが嫌いだけど、人が好き」というようなことを書きました。

その感覚は今もあるのですが、
本当に両極端に全力で振り切るような感覚なんです。

もう「ひとが嫌い」は基本構造に組み込まれていてどうしようもなくて、
でも、
「人が好き」というのも、たぶん引かれるくらい好きなんです。

じろうさん(夫)は私を「極端な博愛主義者」と呼びます笑

基本的には好きでありたいと思うし、
好きから大体ははじめるし、
一回好きの区分に入れてしまった人は相当なことをしても好きの区分に居続けます。
嫌いは翻って好きになりやすいけれど、
好きはそうそう翻りません。

笑ってしまうけれど、
私を解雇した店長さえ私はまだ好きだと思います笑

その上好きなひとにはできるだけなんでもしてあげたいと思うので、
自重します。
好意は重たいとただの暴力なのを知っているので、
できるだけ内側に留めていますが、
たぶん直接会っているひとにはバレバレだと思います。
しょうがないと思いますけどね、
素敵なひとばかりですから。(開き直ります)


【いつのまにか
 誰もが
 あまりに特別に眩しくて
 とてもとても大切だった
 あぁ 心から
 望むことを躊躇ったくせに
 もうこの底の小石にも光りは返るくらい

 ふとしたとき
 私に注いでくれたうれしさは
 あなたには 少しも特別なものではなくても
 その眩しさは透明
 心の中に揺れる灯
 頼りなかった頃が嘘のように
 当たり前にすべてが明るくて眩い】


わー、みんな好きだなー。
という気持ちが時々溢れかえりまして、
詩が出来ます。

あなたがどれくらい好きでいてくれるかなんて知ったことではない。
私がとても好きだから、
私の中では存在や言葉が特別になるし、
内側はそんなわけでプリズムが氾濫してしまっています。

という、詩です。

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