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〈ライアーと音楽療法〉老人施設でライアー、これも音楽療法か?

今日は、自分の考えや感じてることを
書いていくね。
(掲載している写真は家族の許可を得てる。)


老人施設でライアーを触ってきた。

「触る」と言った意味は、
曲を聴かせるのが目的ではなく、
音の羅列だったり、
家族や患者への言葉がけだったり、

だから触る、と言ったんだ。

部屋の中を駆け巡る音たちが、
春の日差しに溶けていく。

患者さんだけではない、
家族のための音色があってもいいと思うよ。

お別れ前に、愛あふれる音になればいいな。

こういう方法は、
日本の大学病院内の小児科でもおこなった。

スイスのルドルフ・シュタイナーの
精神科病棟でも似たようなことをやった。
スイスでは、こんな風に病室でおこなう時は、
音を使った心理療法のセッション、
いわゆる音楽療法の合間の
隙間時間におこなうサービス。。なんだと
私はとらえていた。

少しでも目の前の患者が反応すると
家族は喜び、安堵し、
日頃の看護の疲れが軽減される。

家族のためでもあるのだ。

これを音楽療法と言うのであろうか?
おおまかに言えば、そうかもしれない。

さて今日は、現実的な内容だ。
言い換えれば、
お得意の文句になるかもしれない。

先ほどサービス、という言葉を使ったが、
患者や家族は、この部屋で楽器を触る、
または演奏する方法を
ひとつの独立した仕事だととらえ、
代金を払ってくれるのか、という話しに
繋げていきたい。

ヨーロッパのレストランに座っていると、
バイオリンやアコーディオンを持った人が
近づいてきて、演奏してくれたりする。
テーブルに呼ぶと演奏をしてくれて、
そのあと私たちはチップを払う。

楽器を持って病室を回るたびに、
そういう演奏家に似ているな、思った。

共通していることは、
雰囲気づくり、思い出づくりの部分である。

レストランの演奏との違いは、
すでにつづったが、
無料か有料か、という点がある。

そして病室での演奏には、
間違いなく「癒し」が含まれ、
それが一番の目的となる。

しかしこの形の「癒し」は、
音楽療法士ではなく、
趣味やボランティアの人でもできる。

なぜならうまく演奏するよりも、
心理を観察し指針を立てるよりも、

「分かち合うこと」が大切だからである。


話しを先に続けよう。

先ほど
ひとつの独立した仕事としてとらえ、
とつづったけど、
もともと音楽療法は独立した学問ではない。

なぜなら音楽療法は、
心理学の中にあるから。

心理学は、非常に深く広い学問だ。

そして時代に合った、
国に合った心の動きを
常に学ぶことが必要だと感じている。

一度療法士になったら大丈夫、
じゃなくて、常に学ぶ。。だ。

哲学的社会学的な要素もたくさんあるし、
心理学は日々発展し、研究され、
新しいテクニックやアプローチが
開発されるからのぉ。

厚生省では、
認知行動療法の講習を主宰している。
申し込もうとしたら、
病院勤めの心理師でないと
受講できないとのことじゃった。
NPOの心理師くらいじゃダメなんだよ。

現在の日本には、アメリカから
いろんな心理アプローチが輸入される。

内容をみると、確かに学び甲斐があり、
すぐに臨床に使える強いアイテムになりうる。

たとえば、EMDRなども
新しい流派が生まれている。
もちろん古くからある自律訓練も
シンプルでいいけど。。

臨床でラクに使えるほど患者側もラクだ。
投薬も不要か、少なく済んだり、
セッションも短期間で済む。

音楽療法を考えるならば、
こういったテクニックをベースに、
音楽または音をどのように応用し、
またどんな風に使えるか、

音楽療法士は、ひとつのアイテムとして
研究していかないと、

誰にでもできるものになる。

音楽療法は、誰にでもできるサービス
という意識から、心理学の中にある
専門的なアプローチのひとつとして
存在できれば嬉しいのだが。。


あああ〜。。やっぱり最後は
愚痴ってる。。

常に学ぶ、じゃなくて、
常に寝たいよ。

やっぱりネコはいいニャ〜。

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