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「天ノ少女」感想~洗練されたノベルゲームの構造を紐解く~

円盤が売れない。国内消費ができない。よし、海外だ。

アニメの売れ筋を海外に求め、今日も新たな異世界ファンタジーもののアニメ化が決定していく。

特にひしめく異世界転生モノをはじめとしたジャンルは海外ウケが良く、製作委員会の大きな頼みの綱になっていることは事実の一つである。

「リゼロ」や「転スラ」など、2期、3期も期待できる作品をみていくに、ヒット作品を狙っていくアニメプロデューサーの間でも、安牌と呼べるジャンルかもしれない。

だが、安牌があれば危険牌もある。
危険とは言い過ぎかもしれないが、成功が難しいと言われるジャンルがある。

それはミステリーだ。

「氷菓」や「Another」だってミステリーじゃないか、名作じゃないか、という声も理解する。私はなにより「氷菓」が大好きで、TVシリーズは10周しているくらい好きである。聖地巡礼がたたり、飛騨高山にも10回以上、えるたそ本家の加茂荘花鳥園にも足を運んだ。

が、果たして円盤なり、ビジネスとして見た時にはどうだろうか。

例えば、派手な戦闘があるような作品ではないし、ソシャゲなどで一発も狙いにくい。海外人気があるのはファンタジーものでアクションで派手な作画と相場が決まるなかで、いまのコンテンツ環境のなかでミステリーで当てることの難しさは想像に難くない。

さて、このようなジャンルのニッチofニッチを走る作品がある。
「殻ノ少女」シリーズである。

何がニッチofニッチかといえば、エロゲーだからである。

二次元の世界という同じ土俵ながら、
アニメ化決定の異世界ファンタジー と ミステリーエロゲー
では正反対の立ち位置といってもよい。

しかし、Innocent Greyは気にも留めず、「萌え」は棄てたといった趣旨すら漂わせながら、このミステリーを世に送り出した。

その最終章たる「天ノ少女」がついに発売された。
1作目の「殻ノ少女」から12年かかったシリーズ完結作であり、ノベルゲームの構造として大変丁寧に作られた作品であった。

天ノ少女の感想を踏まえながら、何がノベルゲームとして素敵であるかを語っていきたいnoteが今回の趣旨である。

※以降「殻ノ少女」「虚ノ少女」「天ノ少女」のネタバレを含みます





ENDごとに焦点を定めて無駄なく作る

Grandでは魚住と葉月の結婚式を中心に、殻ノ少女シリーズにおける現在篇時間軸における各登場人物のラストを。それぞれの天国ENDでは、人形集落幼馴染組のラストを。TRUEでは時坂と冬子の物語に本当の意味での終わりを捧げていた。

一つのTRUEで一気にすべてを回収するのではなく、それぞれのENDでそれぞれに焦点を当てたラストを描いているのが特徴で、あくまでTRUEは時坂と冬子(色羽/瑠璃)で絞りきって終えたいという意志を感じられる。

ノベルゲームらしく、1周目と2周目で演出を変えて解答編にする構造を取っている本シリーズということもあり、ユーザーとしては、本編を繰り返し再生することへ億劫さが薄れているので、各ENDのやり直しも入り込みやすかった。

別ルート死亡者がTRUEにおけるキーマンになる

八木沼死亡はカルタグラからのプレイヤーにとっても一つ衝撃度が高かったのではないだろうか。特に1周目本編プレイでは回避ができないため、6年後の世界において八木沼の死亡で進む状況になる。窪井千絵にしてもイタリア逃亡という状況から変化がなく、事件解決とはなっていなかった。

シリーズを通して2周目の存在を意識している読者であれば、このあたりの展開が変わるのではないかという期待があったかと思う。私もカルタグラ以来の名キャラクターの八木沼を退場させるのは作品的な損失が大きすぎると危惧していたし、窪井千絵の件がこのままになるとも思っていなかったので、2周目が始まった時点で心底安心した。

こういったキャラクターは「Fate」や「ひぐらし」と同様、ノベルゲームの展開を変えるため、6年後の世界で八木沼が出てきたときにはガッツポーズをしてしまったものである。実際、六識に贋作の殻ノ少女で一泡吹かせた八木沼は最高に輝いていたし、終わったと思った前園静絡みのネタをここで持ってくるのは本作一アツい伏線回収だった。

櫻羽女学院と井の頭公園を訪れさせない

「殻ノ少女」シリーズでは、探索パートにおいて都内のどこを訪れるかを選ぶ。選択肢によって高感度が上がってフラグになったりするわけだが、本作においては、過去2作で登場した「櫻羽女学院」「井の頭公園」の選択肢が一切ない。

作品的に重要なスポットのはずだが、読者の視点をこちらに持っていかせないような工夫ともとれる。

あるいは、冬子を失った時坂にとって、訪れる必要のない場所とも解釈できるが、TRUE ENDにおける成長した色羽の尾行を「懐かしいもの」とするためにも、本編中で触れさせてしまっては薄れるという判断が入ったかと思う。

象徴的なシーンとしては、お弁当を忘れていった紫に届けるために櫻羽女学院に向かおうとする時坂の前に歩を登場させ、櫻羽女学院にたどり着かなくても紫に弁当が渡されるといった場面だ。あくまで駅前でやりとりをするのであって、櫻羽女学院の外観すら登場させない徹底ぶりである。

同様に人形集落や若女将など、雛神理人にまつわる場所も、最後の最後まで一切登場させなかった。この演出によって、誰もいなくなった人形集落に残された若女将の境遇に哀愁を感じざるを得ない。

物語の最も甘美たる展開は始まりの場所に戻ること

本作における綺麗な構造の筆頭がこの点である。
特に本作のTRUE ENDはエロゲーというジャンルにおける理想的な終わり方だった。

初めて出会った場所、初めて交わした言葉、亡くなった少女が”生きている”ことを想起させる、新たな始まり。

最も印象的な主題歌で締めることで、作品の終わりと、これから先に登場人物たちが辿る物語の予感を残しながら、象徴たるルリノトリの羽根を添える。

―――ノベルゲームはクリアまで時間のかかるものである。アニメ1クール分がおよそ5時間ほどで見れてしまうのに、本作のようなフルプライスのノベルゲームはプレイ時間として15~20時間ほど必要となる。作品によっては30時間を超えるだろう。

そして、発売まで時間のかかるものであり、殻ノ少女から数えて12年かかった。HD版からやり直したとしても1年はかかっており、待ちに待った、その時間経過が読者としての体験につながる。

すなわち、”懐かしの”となった井の頭公園への到達が最後の最後まで伏せられ、彼女との再会を演出した。

このエモさこそが、ノベルゲームをプレイする最大の喜びに他ならない。

本作は殻ノ少女シリーズのアフターシナリオだった

私は殻ノ少女シリーズの象徴でもあった朽木冬子の死亡を以て、本シリーズの物語としてのピークは過ぎ去ったと考えている。

つまり、虚ノ少女におけるTRUE ENDがすでにシリーズの終わりだった。時坂玲人のパラノイアの終わりは、冬子死亡によって解き放たれるからだ。

正確には天ノ少女本編で引きずるものの、追い求めた人の死亡は楔を解き放つ大きなキッカケであり、ある意味では虚ノ少女のラストを少々書き換えることによって、時坂の物語を終わらせることはできたと思う。もう一人の主人公ともいえる雛神理人も同様だ。

よって、本作は、贅沢なアフターシナリオという位置づけであり、冬子を失った後の時坂玲人のパラノイアからの脱却と人形集落幼馴染組の最期という虚ノ少女でも終わらせられた話を丁寧に描き、登場人物たちを大切にした結果だと考える。

「キャラクター達のことを一番に考えて創りました」

の作者コメントはこのあたりに感じられた。

一人のプレイヤーとして、ノベルゲームとしては虚ノ少女で完結できたと思う。しかし、キャラクター達のことを考えれば、彼ら・彼女たちを天ノ少女の各エンディングへと連れていきたいし、見てみたい作品だった。

あくまでシリーズファンに捧げられたファンディスクとして、アフターストーリーとして、暖かく本作の最後とパラノイアから解き放たれた一人の男の姿を記憶に残そう。

井の頭公園に訪れ、半世紀以上も前に存在したかもしれない彼らたちの物語に思いを馳せよう。

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