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知らないおばちゃんと昼の親不孝を歩いた話。

誰かに評価をしてほしくてとった行動じゃないから
偽善ぽくなるのが嫌で書こうか迷ったけど、
なめたやつ多すぎてムカついたから書きます。

今日のお昼の出来事。
舞鶴1丁目の交差点で信号待ちしてたら
おじちゃんとおばちゃんがキョロキョロしてた。

道に迷ったかタクシー拾いたいかのどっちかだろうとスルーしようと思ったら、おばちゃんが白杖持ってた👩‍🦯

ご夫婦で奥さまが視覚障害のある方かな〜
と思ったら、おじちゃんが
「ここが横断歩道で今赤で変わったら
 渡ってください。」的な事を説明して去っていった。

あ、このおばちゃんは1人で、
おじちゃんはたまたま声かけて道案内しただけなのかと思いつつ、しばらく様子を伺うことに。

一言に視覚障害と言っても、その見え方は人それぞれで、ある程度ぼんやりと見えるけれども視覚障害があるので用心のためにと白杖を持つ方もいらっしゃるので、白杖持ってるからと誰でも声かければ良いわけでは無いらしい。

あと、視覚障害の方は周りにどんな人がいるか把握できないのでいきなり声をかけられるのも怖いらしく、単純に知らない人に声をかけられるのが嫌な人もいるだろうし。

それからこの世の中には障害者や具合の悪いフリをして他人に構ってもらおうとする最低なやつもおる。

現に私も18歳のとき知らないおじさんに熱中症になったから救急車呼んでと言われて、
素直に呼んだら後でお礼したいから連絡先教えて欲しいってしつこく言われたことがある。
熱中症の症状に"連絡先を聞く"があるのかな?
ってレベルで
救急車が来て、担架に乗せられてもずーーーっと
聞いて来た。
ここでやっとこのおじさん熱中症じゃないな、、、と気づき始めどうしようとなっていったら、
救急隊員の人に「はいはい」て感じで救急車に押し込められて、事なきを得たけど。

自意識過剰でもなんでもなくて、
見た目が女というカテゴライズで生きていく以上
親切心を出す相手すらも見極めなきゃいけんのかと学んだ。

まぁそーゆーことがあったので、
この人困ってるかも?と思っても
わしは、いざ声をかけるまでにかなり時間がかかる。

そんなことを考えてる間に、信号が青に変わった。

視覚障害者用の音が出る信号機だったけど
街中の喧騒と車の走行音で中々聞こえづらい。
近くにいた別の方に「青になりましたよ。」と声をかけられて白杖持ったおばちゃんは横断歩道を渡り出した。

横断歩道渡り終わって、スムーズに歩き出したら
そのまま声かけないどこうと思ったけど、

そのおばちゃんは横断歩道の先によくある
ほんの小さな段差にもつまづきかけ、
渡り終わったあと立ち止まり、点字ブロックを探しつつも足元に迷いがあったので、声をかけることにした。

「大丈夫ですか?どこに行かれますか?」
「○○に行きたいんだけど、
 ○○通りをまっすぐ抜けたらいけるよね?」
「いけますよ、私同じ方向だし時間あるから
 一緒に行きましょう。」って伝えた瞬間
腕をがっつりつかまれて、
「ありがとうございます、助かります。」
と言われた。

急にがっつりつかまれたから
ちょっとびっくりしたけど、
それから歩いて10分かからないくらいの
目的地につくまで、わしの腕はしっかり握られてて
うまい言葉が見つからないけど、
私の腕を掴むおばちゃんのその手の力加減に
泣きそうになったというか、、、


説明のしようがない。

色々考えたけど、
わしはまだこれを言葉にできない。


ちなみにそのおばちゃんの目的地が
偶然にも親不孝通りを抜けた先にあったので、
昼間の親不孝通りを知らないおばちゃんと歩くというちょっと不思議な体験ができた。

しかし、まぁ〜、
いざ視覚障害者の方と歩いてみて思ったけど、
すれ違う人たち、自分の事に集中しすぎで
まじで退かないのな。

・3人で横に並んで話すのに夢中で
 前から歩いて来てる人に気づかないおばちゃん。
・そっちが避けるやろうみたいな感じで
 1ミリも道を譲らない大学生。
・こちらを横目でチラ見してくるサラリーマン。

こいつら、目見えてんのに大事なもん
何も見えないんだなと思った。

それから歩いている途中で、
「ここはいつも行列ができてるけど
 何かのお店ですか?」と聞かれた。

憶測でしかないけど、点字ブロックを塞がれている事が日常茶飯事なんだと思う。

もし、わしが目が見えなくなったら
目が見えるやつ全員が憎くて
点字ブロックを塞ぐやつなんて
問答無用で殺したくなると思う。

だってこっちは点字ブロックを塞がれたら
死ぬかもしれないわけだから。

でも、そんな事は一言も言わず、
「いつもすごい行列出来てるから
 何屋さんか気になって!」と
穏やかな笑顔で話してくれた。

この人の心はどれだけ綺麗なんだと思ったのと
すれ違った奴らの腐った態度にイライラして
頭の中でずっと「ごめんなさい」を繰り返した。

今回は内容を伝えるためにしょうがなく使用したけど、そもそもわしは障害者という言葉も嫌いで、
障害者だから優しくしようという概念も嫌い。

目が見えても見えなくても困ることはあるので、
お互い出来ないところを助け合えれば
それでいいと思う。

五体満足で生まれてくる割合が多いから
それが正常と見られているだけで、
人間の形や機能に健常も障害もないと思う。

現にわしは目は見えるけど
今回話したおばちゃんのような
綺麗な心は持てない。

別にバリアフリーがどうとか
障害がある人も暮らしやすい世の中とか
障害者に優しくしろとか
そーゆー表面的な偽善はどうでもよくて、
もう少しみんな周りに目を向けても
いいんじゃないかと思った。

いや、しかし、
昼の親不孝通りで1ミリも退く気配のなかった奴ら
まじでイライラするな。
夜の親不孝にきたらボッコボコにしてやるのに。

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