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いじめは無くならない

わしは壊滅的に運動神経がない。
クロールしながら泳いでいると
「それ泳いでいるの?」と真面目に聞かれるし、
ちょっと走っただけで驚かれるし心配される。
鉄棒の前回りが出来たときには
クラス全員からの大喝采が
巻き起こるくらい、運動神経がない。

今回は小学生が避けて通れない
ドッチボールといじめの関係性について
リクエストいただいたので、解体していきます。

本題に入る前に、少し自分の話をしますが、
私は小学校〜中学校で
軽いいじめにあっていました。
何もかも嫌になって、給食の時間になっても
お昼ご飯を食べず、机に打っ伏していたら
その様子を更にいじられるようになり、
ムカつきすぎて同級生に向かって
ハサミを振り回したこともあります。

お昼休みに教室のベランダから
グランドで楽しそうに遊ぶ同級生達を見下ろしては
何度も、飛び降りて死んでやろうかな、と
思ったこともあります。

そんな経験をしつつも大人になって思うのは、
いじめてきた人達のことを
肯定するわけではありませんが、
その頃のわしは様子がおかしく
自分には霊感があるとホラを吹いたり
協調性の化身みたいな同級生に囲まれて
1人だけ自我剥き出しで生きていたので、
振り返ってみると、
そりゃあ、いじめられるよな〜とは思います。


それでは本題にまいります。
自責思考の強い私が考えるいじめについて。

・いじめは無くせるのか。

無理です、無くせません。
初っ端から夢も希望もないことを書きましたが
いじめを無くそう!だなんて
現実味のないスローガンを掲げるのも
ある意味、いじめだなと思います。
人間は共感すると幸せを感じる生き物なのに
異なる特性や性質の人間を、
精神面が構築されていく過程の子供に
受け入れろ、というのは難題すぎる。
そもそも子供とは
まず、他者を受け入れる前に
自分を受け入れてもらう存在なのに。

だったらいじめを無くそう!というより
1人1人、全く違う人間であること、
それぞれ違う特性、性質があること、
それらを可能な範囲で受け入れる、
もしくは必要以上に入り込まないこと、
を教えた方がよっぽど現実的だと思う。

・いじめられる側にも問題はあるのか

大前提、いじめはしてはいけないことではあるので
いかなる理由があっても、する側が100%悪い。
とは言っても、いじめられる側には
一切何の問題もないのかというと…
私は、あると思います。
ただ、いじめの内容、理由によって
ケースバイケースになります。

例えば、私の場合は
霊感がないのにあると嘘をついてる時点で
どう考えても様子のおかしい小学生なんですよ。
大人だって嘘つきは嫌われます。
小学校のクラスという狭くて未熟なコミニティーで
バレバレの嘘をつく奴なんか、
いじめの標的にされて当たり前だと思います。

最近Twitterでも、
持っていないゲームソフトを持っていると言って
同級生の輪の中に上手く馴染もうとする子供と、
親の立場として子にゲームを買うか買わないか
悩んでいる、ということが話題になっており

同級生の輪に入るには共通の話題は必須、
嘘がバレるといじめの原因になりかねない、
というリプがたくさんついていました。
このリプには私も同意見です。

もし、親がゲームを買ってくれず
嘘がバレていじめに発展したとしても、
嘘をつくのは悪い、というのは
変わらないんですよね。
ましてや小学生が、嘘をついた背景までは
理解するわけもないので。

ちなみに我が家は
同級生が一般的に持っているものは
ほとんど買ってもらえませんでした。
こういった周りと違う家庭環境の中で
発生していく同級生との溝のようなものを
"自分は周りとは違う特異体質"と思いこみ、
その果てに霊感があるという嘘をついて
生き延びていました。

というわけで、いじめの理由によっては
いじめられる側にも改善すべきところが
ある場合もあると私は考えます。

ただ、いじめられる側の子供の原因に気づいて
紐解いて、向き合って、というケアをするのは
身近な大人がすることだと思うので、
いじめられている子供に
「お前にも悪いとこがある」というのは違います。

・いじめが発生しやすいタイミング

これは圧倒的に昼休みと体育の授業。

まず、昼休み。
基本1人になる。誰も遊んでくれない。
昼休みとは名ばかりで劣等感が蓄積されるだけ。

次に体育。
普段からクラスのコミュニティーに
混じれていないのに
一緒に汗とか流せるわけがない。
それなのに勝ち負けまでつけられるとなると
これもまた、劣等感が蓄積されるだけ。

チーム戦とか言われても、
どこに入ればいいのかわからない。
なんなら入れてもらったチームが負けると
負けた理由にされてしまうので、
できるだけどこにも入りたくない。

体育の授業に関しては、
ありとあらゆる理由を見つけて
可能な限りサボり倒してきたけど、
必要な授業ではあると思うし、
勝ち負けをつけるのも必要だとは思う。

でも、クラスメイト全員を
同じフィールドに上げる必要は
ないのではなかろうか。

身長なり、体重なり、運動能力なりで
ある程度競う相手は並列化した方が
不本意な競争や無意味な劣等感は
生まれにくいのかなと…。
あとは希望者のみ競争するとか。

運動会に必ず参加させられる意味が
いまだにわからない。
運動会自体は否定しないけど、
出たい人が出たい競技に出ればいいと思う。
大縄跳びに強制参加させられ、引っかかり、
みんなの目線を一気に向けられる側の
身にもなって欲しい。
しかも悪気はない、なんなら迷惑かけたくなくて
かなり頑張ってタイミング合わせて飛んだ上での
出来事である。

競争や勝ち負けというものは
社会に出ても必ず付き添うものだから、
運動会で競うことや、体育の授業でチーム戦を
行うこと自体は必要だと思う。

優劣をつけるなと言いたいわけではない。
参加することも、競うことも望んでいないのに
劣等感だけ込み上げるような競争は
教育上意味がないと思う。

・ドッチボールはいじめの巣窟

当たると痛いし、当たりどころ悪いとあざ出来るし
ガチすぎて小学生ながら
目ガンギマリで投げてる子おるよね。

嫌われ者や運動音痴な人から
先に狙われやすい競技なので
いじめの巣窟になりやすいことは間違いない。
けど、ドッチボール自体を否定する気はない。

楽しめる人には楽しめる競技だと思うので
これもやりたい人達だけでやればいいと思うな。
でもそうなると、やりたくないけど断れなくて、
て人も出てくるよね、難しい。

自分が向いてない、できないからといって、
それ自体を否定するのは
それはそれで種類の違ういじめだと思うし…
難しい。

せめて当たっても痛くないボールを使うとか、
特定の人を連続して狙わないとか、
やりたい人達同士、
公平に楽しめる状況が作れれば、一番理想かな。

ちなみに私はドッチボール大嫌いだったんですが
ある日相手側陣地ギリギリの隅っこに
棒立ちで空気と化せば
微動だにせずとも狙われない、
という技を習得しました。

味方が残り3人になるくらいまで、ここで空気の真似をする


コート内にいながら、走り回る同級生たちを
「愚かな…」という気持ちで眺める
違うゲームをしていました。
ませたガキだな〜
改めて、そりゃいじめられるよ自分…と思う。

・大人のいじめ

ここまで子供、学校でのいじめについて
書いてきましたが、
大人になってもいじめはあるし、
大人のいじめもなくなりません。

大人になってもいじめをしてくる奴は、
子供のいじめ以上に
いじめる側が100000%悪いです。
そして治りません。
いじめることでしか生きることのできない
性質の人間なので、
それこそ必要以上に関わらないか
距離を取ることが必須だと思います。

大人になってからのいじめの方が
悪質で陰湿なものが多い印象があるし、
いじめは無くせたら、それが1番理想なんですが
世の中には、性格の悪い人が一定数います。

もうこれは仕方がないです。

なんでいじめてくるの?
やめてほしい!嫌な思いをしたのに!と
言いたくなる気持ちはわかりますが、
大抵の場合、
暖簾に腕押しみたいな感じで終わるので
諦めて線を引いた方が早いです。
金を取れそうなくらい迷惑で本質的ないじめなら
法の力を借りて、旨い肉でも食べていいと
思うけどね。

逆にいうと向き合ったところで
それくらいしかメリットないと思う。




繰り返しになりますが
特に子供の頃のいじめは、
要因がいじめる側だけにないこともあって、
尚且ついじめられる原因は
いじめられた子を取り巻く環境や
周りの大人の影響であることが多いと思います。

本人の特性、性質をきちんと見ず、
"いじめ"や"子供"だけにフォーカスを当てても
子供同士のいじめは減らないでしょう。

子供は親を選べないので
それならば、せめて、学校等の教育の場で
家庭や子供の異変を察知できればいいんですが、
1人で何十人もの子供や親と携わる学校の先生にそれを求めるのは
流石に負担が多すぎるなとも思うので、

無作為に、無責任に、自分の幸せのためだけに、
子供を産む親がいなくなって欲しいです。

色々書いたけど、結局のところ、
根本的に何も解決できない
自分が不甲斐ないけど、
いじめに関する私なりの解体でした。


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