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人類総出の自慰行為

SNSが戦争反対ムーブになってる。
内容が内容だし、あんまり政治的な事に関する発言はしたくない(政治に思想や感情を持ち出す時点で統制も平等も無理と思う)ので、これに関しては触れないどこうと思ってたけど、思うことが色々出てきたので書くことにした。

ここ最近SNSを見てると戦争反対とインスタ映えが混在してて、まじで頭の中こんがらがりそう。

戦争反対!と投稿した2時間後におしゃれカフェランチをあげれる人が自由すぎて、ある意味羨ましい。

なので、私は一旦とりあえず自分の人生だけに集中するようにした。
自分の行動が正しいとは思ってない。

第一に私の意見は戦争反対だし、
早く終わってほしい。

けど、いつか人は死ぬのだ。
戦争があってもなくても死ぬ。

死に方云々、死んだ後のこと云々、
もっと生きれたら色々出来た云々はある。
それはとてもわかる、その通りだと思う。

でも、人生で何が起ころうと終わり方が同じなのは私にとっては虚しすぎて、執着する意味がないようにさえ思えてくる。

死刑も一緒。
犯罪者を誰かの手で殺すのは意味があるようでない気がする。どうにかして悪いことをした人に自分が生きてる間に制裁を加えたい人間の弱さと傲慢さとも取れる。
どうせほっとけばいつか死ぬのは確実なので、
勝手に死んでもらった方が良くないか。

結論、生きるも死ぬも本人が決める、
もしくは寿命によって下されるもので、
誰かがそれを操る権利はないと思う。

で、戦争反対ムーブが当然のように流行ってるおかげで、なんで戦争してるのか、戦争したがってる理由、戦争賛成派の意見があまりにも聞こえない状況になってる。

何も言わないより言った方がいいとは思うし、
世界がこの事に無関心で無意見より、
関係ない人も何かを考えて関心を持つ方が良いとは思うけど、

働かなくてもご飯が食べれる日本で
スマホに向かって御託を述べたところで
平和に慣れすぎた人達が平和を唱えてるだけなので、何も変わらないのだ。

平和の上であぐらを書いて正論を唱えてるようなもん。そりゃあ気持ちいいやろうな。

それよりも、戦争をしたがる理由を探って、相手の立場を理解して、そこに"私なら戦争反対"という感情は一切持ち出さず、冷静に状況を判断した方が本当に終わらせる方法が見えてくると思う。

募金をしたところで、最終的にそれがどこに使われるかまで見ることは出来ないし、
なんなら親玉が募金額の何割かを活動費として持っていき、それが欠伸しながらダルそうに宣伝活動をしてるバイトの日給1万に変わる事さえある。

もっと先を見ればその1万で雇われたバイトが声をかけた誰かがその活動に賛成して募金して、
結果回り回ってお金の行き着く所は同じという見方も出来るかもしれん。

でも、アホらしくないか。
自分が世界平和の為に払った金は誰かのバイト代になり、
平和な土地で平和慣れしすぎた人間同士で平和を唱えてって。

コロナ騒動しかり、
ここ最近の世情が私には
人類総出の自慰行為に思えてくる。

コロナ対策をしてるアピールをし、
それに文句を言い、
陰謀論を唱え、
一部の人たちは助成金でまともに働いていた時よりうまい飯を食う。
人が集まるイベント毎は制約され、批判され、
しかしデモ活動は称賛される。

そして何もわからず死んでいく子供たち。

戦争をするのに言い分も理由も関係ないけど、
理解はできなくとも"なぜ"を知ろうとしない限り止めることは無理。

独裁的でサイコな人は走り出すとエネルギーがすごいので(このブログしかり)
周りがどんだけ反対意見を言ってこようが関係ないし、なんなら自分の行動に意見してくれる状況が面白くすらなってくるレベルだと思う。

と、偉そうに言ってますが、私も昔はめちゃくちゃ募金してたし、平和の上であぐらを書いて平和を唱えてました。
それが正義だと思ってたから。

でも3年前にボスニアに行った時に、内戦の様子が生々しく残ってる街や10年以上火を絶やさない慰霊碑を見て、過去の自分が恥ずかしくなった。

ボスニア中心部にある建物。
所々に見える穴は内戦時の銃弾の後。
同じ過ちを繰り返さないようにあえて
目に見える形で残されている。
少し田舎に行くと不発弾や地雷が
まだ残っている立ち入り禁止区域も多い。


日本でいう県境が国境になってるから、ほんのちょっと山を越えるだけでいくつもの国を行き来できるのが当たり前の環境で、
あらゆる言語、通貨、宗教が混在し、経済格差も大きいのが当たり前の国だったので

行くまでは「なんで戦争なんかするの?」と思ってたけど、その土地を踏んでみて「これは確かに戦争するわな。」と痛感した。

そして内戦が終わった今もその時の空気感は根強く政治を支配してて、エネルギーの有り余った独裁者が何かの間違いで政権を握ったら、すぐにまた内戦が起こりそうなピリピリとした中、国民は生活してた。

上記の話は、昨今世の中を取り乱してる国とは違う話だけど、でも、日本にいると到底気付けないような理解し難い世界がこの世にはまだまだ沢山ある。  

さらに戦争は終わったら平和になるわけじゃない。
戦争神経症というものがある。
いわゆる戦争がきっかけとなったPTSDのようなもので、今の日本にもこれで苦しんでる人が沢山いる。そしてそれはなぜか存在を隠されていて、あまり世に知られてない。

ある意味、戦争が終われば平和という思考も平和ボケなのかもしれん。

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