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【静かな力】

微かな残り香のように漂っていた年末年始の気配はあっさり霧散し、日常が帰って来ました。
 
大手小売業が元旦も店を開けるようになってから正月らしさは“絶滅危惧種”となり、そのあおりで師走らしさも連鎖的に希薄化しています。
 
「最後の夜
 最初の日に向かう暗い時間
 しずかに降る雪とともに
 とおくの獣たちとともに在る夜
 さだかならぬもの
 冷たくまたあわれな全てのもののなかに
 形づくられてゆくこの夜」
 
  詩人 中桐雅夫『新年前夜のための詩』
 

この詩のような情景、情緒はむしろ稀有となりました。なので最近の贅沢といえばTVもスマホも電源を切り、一杯の茶と一冊の本を友に、無音の夜に居る状況です。
これはまさに中桐雅夫の詩のような静けさに似た、己のみと向き合う贅沢さがあります。
 
 

 
最近ある方の葬儀に参りました。
その方とは数回しかお会いしたことがありませんでした。そんな関係で最期の会に行くのはむしろ失礼かと色々と小さな視点で悩みましたが、最後は
「行かねば生涯後悔する」
という漠然とした感覚を信じ参列しました。
 
私がある会で講演をした際に、それを聞いたその方が内容を大層褒めてくださいました。その言葉は本当に喜んでいただけた“音”でした。じっくりとお話しした、最初で最後の会話でした。
 
それ以外もお見かけはしたものの挨拶程度でいつもにこやかに穏やかにその方は居られました。
 
 
その方の葬儀。
ご親族は人目を憚らず泣いておられます。
お孫さんも「おじいちゃん大好きだよ」と挨拶をされ、生前のその方の在り方が垣間見えた素晴らしい葬送でした。
 
私はそんなに多く会話したことのない方でありながらなぜこの場にいるのか、なぜ来ることを決断したのか分かったのです。
 
ただ、そこに居るだけで周りに穏やかさを与える。
ただ、そこに居るだけで周りを安心させる。
ただ、そこに居るだけで周りに誠実さが伝播する。
 
多くを語らずも、その背中で眼差しで周りに愛を手向ける方でした。私の理想像がそこに居たのです。それを正に体現されていた方だったからです。 
 
・その人らしく生きること
・周りに愛を与えて生きること
・正直に誠実に生きること
 
そうか、愛の人なのだ、この方は。
じわっと奥底からの涙を必死に堪えて
「私もいつかあなたのように去れる様日々一生懸命精進します」とお誓しました。
 
 
静けさには圧倒的な力があります。
静けさとは沈黙ではなく、走るための助走、精査、鍛錬、蓄積、本質であり、鮮烈に生きるためにこそ必要な在り方・時間、陰陽あわせ鏡の如きものだと思います。
 
そして、静けさの中にこそその人の本当の姿が宿っています。
 
パフォーマンスでは誤魔化すことができますが静けさには誤魔化しが同居できません。
 
 
私の仕事としての目標は多々有りますが、人生の最終的な在り方としての理想は
【私がそこに居るだけで周りが安心し、
 整い、氣づき、喜び、成長する】
と言われる姿です。
 
それによって争いも、疲弊も、混乱も、疑念も、不信も、無力感も全て溶かし、本来のエネルギーに戻すことが出来るなら、それは生きた甲斐があったと言えるのです。
 
これは仙人のようですが、そうでもなく、「誰でもができるということを実証」してそれを心に宏めることに挑戦したいです。
 
 
静かな力を研ぎ澄ます。
それは必ず言動にも現れるでしょう。
何故なら、生き方の基底が「静」だからです。
「動」を制するは「静」です。
 
想像しなかった氣づきを得て、また「静」から「動」に移ります。

皆様と共に、明るい一年を共創して参ります。
どうぞ輝きクリエイティブを宜しくお願いします✨


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