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看護師であるまえに人として

私は看護師である前に
1人の人間です。

私というパーソナリティは、自分が思う以上に
他人から見たら複雑なのではないかと思います。

私たち看護師は
患者さんをこういう人と、偏った目で見てしまうこともあるかもしれません。
それは、入院という、その人にとっては特殊な環境でのその人であり、
本来のその人の形とは、本来違うのではないかと思うのです。

以前にも何度かお話ししましたが、私は意識障害のある方が多い病棟で働いているので、その人にあった時から、その人がどんな生活をしていて
どんな人なのか、何にこだわりがあり、何が好きで何が嫌いなのか、語ればすぐにわかるようなことも
わからないまま、日々接していきます。

でも、どうでしょうか。

トイレの行き方一つとっても、便座を丁寧に消毒しなければ座らない方や、トイレットペーパーの使用量、はたまた排便にかかる時間や体勢まで
こだわりはさまざまです。

その人の生活を知らない人に、世話をされることの
辛さや苦しみは、私たち健常者にはわたからないことが多いのです。

たくさんいる中の1人の患者ではなく
その人1人の人生に関わる。
どんなに小さな手術でも
その人にとっては、人生のイベントである事。

例えば白内障の手術。
ほとんどが今は日帰りが主流で、
流れるように1日のスケジュールが決まっています。
看護師にとっては、手のかからない簡単な手術である反面、患者さんにとっては今後の生活を改善する大きなイベントになります。

この始まりの時点で、看護師と患者さんの間には大きなギャップが生まれます。

このギャップは、関わりの中でも
差を生むことになるのではないかと思うのです。

そんな考え方をすると、生活を知らない限りは
安楽な生活環境を整えることは、なかなか困難です。

毎日複数の生活を見守る私たちは、その個人の個別性に合わせたケアを要求されます。

看護学生である間は、この個別性の考え方を叩き込まれます。
その人を尊重するケアとはなんなのか。

病院というルールだらけの環境で、どれだけの
創造力をもって、斬新なケアにチャレンジできるのか。
認知症の方のケアには、その点が重要になり、
頭を悩ませる毎日です。

それは1人の患者という見方ではなく、
1人の人として、私自身が人の人生に大きく関わっている。
そう思うこと。
それが重要なんだと思います。

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