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忘れられない人

私には、忘れられない人がいます。
私の看護師人生において
分岐点となった患者さんです。

その女性は、くも膜下出血で意識障害を伴って
いました。胃管から栄養を入れており、話しかけても目を開けてくれるぐらいで、ら明らかな意思疎通は困難な状態。

歳はまだ若く、私と同世代であり
お子さんが居ました。

旦那さんはとても熱心な方で
その方のために、毎日面会に来ていましたが、
私には
いつも子供達の世話を1人任せてしまって、駄目な旦那なんだ。その罪滅ぼしだ。
と…仰っていました。

男性は、このように話される方は
とても多いです。

私は、長年脳神経外科で勤めていますが、
「意識状態を改善させる」
という事に尽力して来ました。
このこと自体に疑問を持ったことなど、ありませんでした。



改善していく意識障害

日々話しかけ、関節の拘縮予防を看護師だけでなく旦那さんにも指導し、毎日毎日積み重ね

アイスマッサージで刺激し
音楽を聴かせ、車椅子に乗せ足底を地面につける時間を増やしました。
目を開けるように顔面も刺激しました。

とにかく出来ることを全てやる。

今考えると。なんであんなに改善すると
信じて止まなかったのか。
それは、私の願いだったのかもしれません。
旦那さんの気持ち、お子さんの気持ち
この方の気持ち。
深く関わって行くうちに、私の願いにもなっていたんだと思います。

少しずつの努力が実り
声をかけると、目を開けるようになり
離握手するようになり
うなづいたり、首振りで反応するようになり
微笑むようになりました。
手を挙上することはできなくても
グーチョキパー出来るようになり
手を振れるようになりました

医師も、「嘘だよー。笑わないよー。」と半信半疑。訪室して。その方を見て
「ほんとだ!信じられない!」
その反応が、私は見たかった。

医師が意識の改善は無理だと諦めても
それは、画像上のことで
その先のことは誰にもわからないと思うのです。
私は脳神経外科の看護をして来て、
諦めた時が、その人の最後だと
何度も感じる事があったからこそ、信じて頑張れたわけです。



天と地の逆転

その方は、改善を目指して
回復期リハビリテーションが受けられる施設へと転移されました。

2度ぐらいでしょうか。
どうしても気になって会いに行った事があります。
転院先では、最後にお会いした時
いつものようにニコリとしてくれ、
私の話をウンウンと、うなづいて聞いてくださり、最後に手を振ってくれました。少し、元気が無いようにも見えました。

その数日後
その方の転院先に外勤で通っている医師から
亡くなった事を聞かされたのです。

痰詰まりでした。

私は言葉が出ませんでした。衝撃なのと
それと同時に
痰が詰まり、自分では何にもできずに
どれだけ苦しかっただろうかと
そんな考えが頭をよぎり、
拭えませんでした。

意識障害が、改善した事で
逆に苦しい思いをさせたのではないか

私の中で、今まで揺らぐ事のなかった正義が
音を立てて崩れ
看護師としてどうするべきであったのか
これから、意識障害のある方にどうケアして行くことが正しいのか 
天と地がひっくり返る…
そんな日々が続きました。

私の中で
ご自身で動けない方達に看護を提供する時
日常生活をセルフケアが満たせないから
行うケアは、最低限のケアであり、
そのほかに何が出来るか…と考えてきました。
それが、個別性であるし
急性期の看護師ができる事を諦めたら、
その先の患者さんの人生が、変わることもある
そう信じて、ケアしてきたわけです。

しかし、意識改善🟰幸せ…なのか?
という、疑問が頭から離れなくなりました。
この疑問が湧くのと同時に
看護師という職業を、天職だと思い続けてきた自分の気持ちにも陰りを見せ始め、見え方や
世界が一気に変わっていくのです…



揺るぎないもの

そんな毎日を送っていた私のもとに、
旦那さんが報告に来てくださいました。

転院先でリハビリを頑張っていたこと
少しだけど、ゼリーも食べていたこと
友人と花火を見たこと 

私は、涙が止まりませんでした。
そして、こう話したのです。

ごめんなさい
ご自身では動けないのに
意識が良くなったと、喜んでいた
でも、よくなって最期、苦しかったのではないか…と。

少し驚いた顔をして

そんな事はない
あの時の笑顔が今も私にも子供達にも大切な
思い出です。あの人が、あの人に戻れて
あの会話できる時間があったから
私も今、支えられてるし後悔も少ない。
子供達の中でも、最後まであの笑顔が見られなかったら、ママがママじゃないまま、
お別れでした。 
無駄なんかじゃないんです。

と。

私はこの経験を経て
今の看護観が
揺るぎないものになっているのです。

その人の亡き後も
その人は周りの人の中で生きていくし
人生も変える。

いろんな考えがあるとは思うのです。
以前にもお話ししたこの記事は
この後の体験ですが、
この「よくなっちゃって可哀想」と言われても
続けてきた訳は、この方との出会いがあるからです。

私は、患者さんから
たくさん教わる事があります。
その方の人生を参加できるこの
看護師という仕事。

これだから、辞められない。
そして、手を抜けないのです。

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