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父のこと

私の父と母は、まだ健在です。
父は70代になり、母は60半ばです。

私の父について少しお話しします。
父は骨肉腫で17歳の時に片足を足の付け根から切断し、以来義足で生活しています。
幼い頃から、破行する父を気遣ったり、肩を貸したりすることは、自然なことでした。
走ることこそできませんが、車の運転もできますし、自分は泳げなくても海や川に連れて行ってくれました。
父が泳ぐところといえば、障害者施設のプールでしたが、いろんな方が居て、幼い頃から
障害児の方や障害者の方と触れ合う機会が
多かったと思います。
父が義足だという要因で、自分の幼少期に不便なことは何にもありませんでした。

父は、幼い頃に酒乱の父から逃げるために、母親と共に兄と弟の4人で夜逃げ同然に家を出たそうです。
父の母親は、くも膜下出血で40代で亡くなり
以来兄、弟と児童施設に入りました。

親もおらず、足も切断し
体を動かせない分、若い頃から差別や職場での
いじめなど、色々経験したと話していました。

父と母は、20年前に離婚しましたが、その後も同居したり離れたり不思議な関係を続けて来ました。

一昨年、
「俺千葉に行く。もう家も買ったから。」
突然の父の決断に、驚かされました。
父が1人で暮らしたいと考えていることは、前々から聞いてはいました。
義足の足では、もう長く歩けない状態で、買い物や歩行にも人の手が必要なこともある。
そんな状態での決断。
父はいつも相談なく結論だけをぶつけてくる。
そんな印象があり、また考えもしないで衝動で動いている。そう思いました。
猛反対しましたが、
なぜ千葉なのか。
そんな疑問をぶつけました。

施設での生活が千葉であったこと、
千葉でのたくさんの古き良き、輝いた時間を過ごした大切な思い出があること、
自分が老いたら、千葉で予後を過ごしたいと
考えていたこと
そして、父自身が自分の死生観について語り、
人生での大切な決断であることを知りました。
父にとっての人生の最終章

私には止められませんでした。

たくさんの苦労によって成り立つ父の人生が
父の希望なしにあってはならない。
そう思いました。  

結果、母も追う様に千葉に同居することになり
離れた町で別々の日々を過ごしているわけですが
いなくなる前までは
鬱陶しかった2人からの連絡が
嬉しくなりました。

父と母が越してからも
家の近くの、2人の住んでいた家に続く道を通るたびに、まだ近くにいる様な気がします。

今日もまた、そんな気持ちになり
父と母を思い出しました。

私にとっての父は、いつも自分が弱った時、
辛い時、進むべき道に迷った時
なんだかんだ頼ってしまう、そんな存在でした。
居なくなると身に染みて、寂しく思います。

父と母の人生が
幸せであることを願っている今日この頃です。

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