見出し画像

外発的動機と内発的動機

物事を進める動機づけとして、外発的動機と内発的動機がある。つまり外から与えられる動機か、自らの心の内から湧き上がる動機かの違いである。

具体的には、外発的動機は、給料、財産、昇進、肩書など、誰もが見てわかりやすく目に見えやすいもの。人間が一生懸命働くのは、お金を稼いで幸せになりたい、出世して周りから称賛を浴びたいという外発的動機による。

一方の内発的動機は、人のために役立ちたいとか、興味・関心を高めたい、向上心を持ちたいといった、内面から湧き出る動機。震災時に真っ先にボランティアで駆けつけるような人は、内発的動機によって行動していると言えよう。

問題は、特にサラリーマンは基本的に出世を目指す外発的動機で鎬を削る。ある程度その目標が達成されれば問題はないが、志半ばで出世競争から脱落したり、閑職や出向、最悪退職となれば、そこで外発的動機が一気に崩れる。どこかのテレビドラマのセリフ「おしまいDETH」が現実となり、一気にやる気を失う。同様に定年再雇用で肩書の無くなった社員も目標を見失い、働く動機づけがなくなる。

このように外発的動機に依存してくると、それを失った時の喪失感が巨大でとなる。だから我々はそうならないよう、内発的動機づけをいかにしていくかを考えなければならない。

内発的動機は挑戦したり、好奇心・向上心をもって物事にあたる。もしくは自分を成長させたいとする。わかりやすいのは学び。リスキリングやリカレントのように、いくつになっても学び、自己成長したいという欲望は内から湧き上がる意欲とも言える。また、ボランティアも社会のために活動する動機であり、人の役に立つことでの生きがいにつながる。

結局、歳をとるに従って財産や地位・名誉のような外発的動機に依存するのではなく、自分を高めたり人様のお役に立つような振る舞いを優先的にしていくほうが、幸せになる確率は高いのではないか。だからマインドチェンジし、今まで外発的動機で生きてきた人は、自らが率先して内発的動機に振り替わる必要があると思う。

外発的動機はどこかに「競争心」「人より比べてどうか」の精神性が常につきまとい、いつまでも脱却できずにいるのは精神衛生上良いものとは言えない。「他人と比べず、昨日の自分と比べよ」の格言がある通り、自分の成長を信じて物事にあたる方が、より生きがいにつながっていくと思う。

死ぬ間際になって「いい人生だった」と回顧できるのは、外発的動機ではなく、内発的動機で生きた人だと心から信じるのである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?