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夢の続きが始まった話

大きな音が怖いがためにライブに行くことをずっと躊躇っていた人間が、配信という形でライブを見る夢を叶えた話を書きました。

今度は私が叶えた夢の続きをお話させて下さい。

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それからというもの、現地参加の代わりに配信ライブをたくさん見た。

音の大きさを気にせず、たくさんの人と同じ時間を共有し、そのきらめきに触れられる。私にとってそれは救いであり、ささやかな願いを叶えるたった一つの手段だった。おかげで、最愛のアイドルの活動休止前ラストライブや、活動初期から応援しているアイドルの卒業ライブも目にすることができた。ファンとしての喜びを、やっと手に入れることができた。

見たかったパフォーマンス、聴きたかった声。たくさん感じることができた。レポートを読んでいるときの何倍も熱い気持ちになれた。ライブを知る前よりもっともっと、アーティストのファンになれた気がする。

フォークシンガーとか地下アイドルとか、そんな類の人を応援するのだったらまだよかったのだと思う。

上の記事でそんなことを書いた。
それから1ヵ月後、心を熱くする音楽に出会った。

好きになって、配信ライブを見て気付いた。
彼らは、バンドだった。

またライブに行けないようなアーティストを好きになってしまった。

ドーム規模のライブを行うトップアイドル、ファンとのコールアンドレスポンスが肝になる声優アイドル、それに加えバンド。ライブへの参加は絶望的だと、気付いた頃にはもう遅かった。悔しい。悲しい。取っ払えたはずの自己嫌悪がぶり返す。
ライブが見たいという当然の願いを、どうして叶えられないのか。どうしてこんなに貧弱な心に生まれてしまったのか。考えるたびに自分を責めた。それが意味のない事だと分かっていても、止められなかった。

彼らがアコースティックライブをする。
そう聞いたのは、まさに配信ライブを見終えた直後だった。
アコースティックならば、もともとの音量もそこまで大きくなく、耳や心の負担も軽い。震える手でチケットを取った。

春、横浜の小さなライブハウス。 
私の眼が、彼らの姿を捉えた。そこにカメラや画面は存在しない。同じ空間で息を吸い、息を吐き、歌をうたい、ギターを鳴らしていた。発せられた音が、そのまま私の耳に届く。私と彼らの間に隔たりはない。これがライブなのだ。なんて美しいのだろう。


疫病の暗雲が切れ、光が差し始めた。収容人数制限や声出しが解禁され、以前のライブ息を吹き返している。非常に喜ばしいことだ。心からそう思う。しかし、以前の形式になるということはすなわち、私がライブに行くハードルが元の位置に戻るということ。私が現地で興奮を味わう機会はぐっと少なくなるということだ。

それでもいい。ライブに参加できたことは大切な思い出になった。今でも心の真ん中できらきらと光っている。夢が叶ったのだ。それでじゅうぶん、満たされている。

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