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いかに村人Bになりきるか

見たいドラマや映画に求めるものが変わってきたのは30代に突入してからだろうか。
それまではもっぱら恋愛系で胸キュンしたがってたような?学園ラブストーリーを見ては懐かしき学生時代の恋愛を思い返したっけ。

いや、それまでも見てきたジャンルは様々。ホラーも好きだしサスペンス系もおもしろい。海外ドラマをひたすら見まくった日々もあったなぁ。

今私が求めているものは実話もしくは、いかに作り話っぽくないか。である。
日常の一コマをゆるっと流す。あぁ、こんな日常あるあるだなぁ。と思わせる瞬間がほしい。
全く自分が知らない世界であっても、こんな風に過ごしている人もいるんだぁ。と興味がそそられる。
私が、こうしてこたつにインしてパソコンを開いているこの時間にも世の中にはたくさんの人が動いていて日々色んなストーリーが生まれているのだ。

さて、タイトルの村人Bについて少し話をしてみよう。
いかに村人Bになりきるか。
これは、夫と常々会話にでてくる我が家の教訓のようなものでもある。
人生においてキラキラと輝く一般人からは手の届かないような人であったり、群れの中でも目立っている主人公的な存在。それには決してならないこと。ということである。
いや、これはなろうと思ってなれるものではないのだが、言わずもがな極力目立ったことはしないほうが何事も楽に生きていけるよね。ということである。
人生経験はまだ未熟ではあるが、やはり今まで生きてきた人生の中でも、出る杭は打たれるという場面は何度も経験済み。
これは私の性格に問題があるからであって、反省すべき点である。
そのたびに、家でくじけている私に夫は「だから、村人Bになりきれっていってるじゃん。」と言ってくるのだった。
主人公になりたいのではない。ただ、どうしても許せないことがあったり、これ!と思ったことをついつい口走っている私がいるのだ。
自分のためではない。群れの中で特別目立って何もしないやつがいたり、しんどいこと負担になることから逃げようとするやつを見ると許せなくなる。
おもいつきでやろうと口走る責任者が、都合が悪くなると関係ありません。などという態度を出すのも腹が立つ。
責任もてや。と思ってしまう。
誰もやらないのだから、自分がやろう。と黙々と作業をこなす日々もあった。責任感、正義感と言われれば聞こえは良いようだが、立場が平なので、でしゃばり。と思われがちな私の言動。
結局逃げようとする人やその他の少しやる気のない人たちからすると
私の人より少し目立ったこの性格がその他の人の仕事のモチベーションを下げている要因になっているのかもしれない。

夫は村人Bを意識して過ごしている気がする。
以前働いていた会社ではたくさんの人から信頼され頼りにされてきた決して村人Bという存在ではなかった夫。
しかし、今の職場では村人Bになりきっている。
重役を務めてきたことで心身ともに疲れが出ていたのもあり、次の職場では絶対に上は目指さない。と言い聞かせているようだ。
しかし、その人間の人柄というものは隠せない。多くの人に信頼され愛されるキャラであるため、先輩方にもかわいがられ後輩にもよく慕われているように感じる。先輩方から次は上の人間(重役)になれよ。と言われ続けて断り続けている夫。
本来ならば、お給料も上がるし仕事の責任感も重くなり大変なことは増えるかもしれないが頑張っていただきたい所ではあるのだが、私は夫が村人Bとして過ごすことが精神的にも楽だと思えるのならそれで良いと思っている。

ドラマや映画を見ていても、脇役に出てくる村人Bの存在には憧れる。
やはり、どこか目立った主役とは違い緩やかな人生を楽しんでいるようにも映るのだ。
主人公は大きな喜びを味わう場面もあれば、大金をもっていることがばれ狙われる可能性もありかなりスリリングな生活を送るようになる。
また人から注目されやすく自分の人生なのに批判されたり、良くも悪くも反応が大きいのだ。
自分が決めた人生なのだから、人に何を言われようと自分の人生スタイルはこれだ!!!と強く生きていける人間は目立ってなんぼ!といってアンチも自分への評価。と前向き発言をしている方も多い。すごいことだと思う。
しかし、私は豆腐メンタルなのでこのような生き方を真似できない。

村人Bになる要素はそろっている。顔も平凡だし、体系も並体系である。
おしゃれ感も特別なく好きなブランドなどもない。そもそも田舎暮らしだから村人になれる。近い存在に村人Bもいる。お手本がいるのだ。
これからの人生、できるだけ村人Bを演じられるよう努力して生きたい。
緩やかな平凡な日常の中にある小さな幸せを一つ一つ丁寧につんで生きていきたいのだ。





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