見出し画像

海洋ごみを拾った日のこと

海洋ごみのなんと多いことか

 先日、小生は夜の20時には寝室に入り、すやすやと寝息を立てていた。それほど早い時間に眠りの世界へといざなわれたのには理由がある。というのも、かなり疲れていたからだ。
 それはもちろん、ここ数日間続いた昼夜逆転にも理由はあるだろう。さんざん朝日が昇る様を窓ガラス越しに眺めながらゲームをし続けてきたのだから。
 だが、昨日の小生は偉かった。いつもの通りであれば、きっと昼のうちに眠ってしまっていたところを、なんとわざわざ遠出したのだ。
 体を動かすことで、無理にでも起き続けてやろうという魂胆である。さて、そんな小生に一つ誘いの声が入った。それは、かつて『神の立つ場所』と呼ばれ、多くの航海士が訪れたとされる場所に行こうということだった。
 いつだっただろうか、小生がまだ幼き頃、時折両親に連れられその場所へ行き、海の先から訪れる数多のごみを拾った記憶のある場所だ。もちろん、神聖な場所とされてきた過去を持つ手前、そう易々と行ける土地でもない。車に揺られて山を越え、人気の一切ない細道を渡り、そうしてたどり着いたかの土地。さらにそこから、海岸沿いに向けて歩みを進める必要があるのだ。
 そこはほとんど崖のような場所である。切り立った岩山の隙間に、急勾配な階段が並んでいて、おおよそ300の段差を下る必要がある。階段と言っても足場が安定しているとは限らない。
 もちろん、定期的にメンテナンスはされているようで、急に崩れたりなんて恐ろしいことは起こらなかった。としてもだ、歩みなれた都会の階段なんかに比べて、非常に不格好なそれは、段を進めるごとに高さも広さも変わってしまう。一歩一歩の歩幅が常に変化し、異様に歩きにくい場所である。
 さて、そんな階段を降り切っても、まだまだ目的地にはつかない。古びた木道を歩き、さらに奥へと突き進むのだ。
 途中土砂災害にでもあったのか、木道が土に埋もれている箇所があった。他にも、浸水しきって靴を濡らす必要のある場所だってある。ふと上を見れば、小さな滝が目に留まる、その懐かしい風景に心を和ませながら、小生たちの視界は徐々にあの場所を映し出した。
 絶句した。
 そこは一面、ごみの山だったのだ。
 いや、それも当然だろう。誰も来ないような辺鄙な場所だ。しかし、海は世界とつながっている。ありとあらゆる地域から、潮の流れに身を任せてごみばかりがたどり着くのだ。
 海岸沿いの岩場に固まって浮いているのはほとんどがペットボトルであった。もしくは、漁具。ウキやら、網やら、発泡スチロールやらが所狭しと並んでいる。
 実のところ、海洋ごみの四割以上が漁具であるそうだ。世界中の漁師たちが、網や漁具を海に放置――というよりポイ捨てすることで発生した無数のごみ。それが海洋ごみの神髄である。それ以外はほとんどがペットボトルである。それもそうだろう。不法投棄された冷蔵庫や洗濯機のような重量のある粗大ごみは、そもそも流れ着いたりはしない。途中深海に沈むからだ。
 そう考えると、この海岸に集まったゴミなんか比べ物にもならないくらい、もっと多くのゴミが海にはあふれているのだろう。
 一日のスケジュールをゴミ拾いに切り替えながら、小生は神を想う

 この惨状の中、長きにわたり放置されてきたかの土地の神は、人をどのように評価するだろうか。かつての信仰は、人々に秩序をもたらした。神々の意向により、人は愚策を取ることなどなかった。神の怒りを畏れ、自然を大切に守ってきた。
 ところが今はどうか。神に打って変わって人々の心を支配したのは科学である。科学倫理は、今の人々を正常な形に束縛する力を持ち合わせているのだろうか。世に蔓延したプラスチックごみは、一体どの科学が収束をもたらすのだろうか。
 神亡き今のこの世界、人が畏れ、敬い、そして時に裁きを下すのは誰なのだろうか。
 今この世界に足りないもの、それは未知からなる恐れであると小生は考える。神の存在が否定されて幾年もの時間が流れた。もう、彼らに人を支配し得る力は残っていない。では、いったいこれから先の地球を、誰が守っていけるだろうか。人の奢りを、誰が咎められるだろうか。
 簡単に言ってしまえば、悲しみが小生を支配していたのだ。
 かつて多くの人々に崇め奉られ、信仰のシンボルとしてそこに立ち続けてきた神。それが今は、多くのゴミに埋もれている。
 過去の、先人たちの思いを踏みにじって、我々人類は笑顔でジュースを飲んでいるのだ。

ゴーストフィッシングって知ってるかい?

 諸君はゴーストフィッシング――またの名を幽霊漁業――を知っているだろうか。
 先ほどにも述べた通り、海洋ごみのほとんどが漁具由来である。釣り人、漁師、養殖漁業にいたるあらゆる部分で、我々人類は自然分解されない――もしくはされるのに相当な時間のかかる――漁具を海にばら撒いてきた。
 話によると、例えば領海侵犯をしてまで日本海で漁業を行っている中国船が、海上保安庁に見つかった途端漁具をすべて海に投げ捨て、身軽になって逃亡するということもあるらしい。そんな無法によってもたらされた、飼い主のいない漁具たち。
 しかし彼ら漁具も、魚を取るためだけに生まれた哀れな存在だ。本来の役目を果たすことすらできぬまま、ただゴミとなって海底へ沈んでいく、なんてことで終わるはずがない。
 彼ら漁具は、海を漂いながら、ひとりでに漁を始めてしまうのだ。
 とまぁ、このような表現をすれば、まるで幽霊や付喪神にも聞こえるだろう。しかしその実態はもっと単純で恐ろしいものだ。
 例えば、一度は行ったら外には出られない罠型の漁具がある。本来はアナゴやウナギのような、狭い場所を好む魚に対して用いられる漁具だが、これが回収されないまま放置されていると、中で食糧難に陥ったウナギは餓死をする。
 容器の中で一匹の魚が死んでしまう。これだけならまだ、仕方のないことだ、で済む話だろう。しかしこれには続きがあるのだ。
 死んでしまったウナギは、徐々にプランクトンが分解し、海の中で美味しそうな匂いを放つ。その匂いに釣られて現れるのは、また新たなアナゴやウナギなのだ。
 そう、海底に放置されてしまったトラップは、中に入ってしまった魚を元手に、次犠牲者を待ち構えるダンジョンと化する。永遠に、次の獲物を待ち構え続けるのだ。
 海岸に流れ着いたゴミは、きっと運がいい。我々人類の手で、その役目を終わらせてやれるのだから。しかし、未だに海の底に眠るゴミたちはどうだろうか。いつ終わるかもわからない漁業を、今も続けているのかもしれない。
 漁獲量が減っただの、ウナギが絶滅危惧種だの、毎年ニュースで騒がれている。それもそのはずだ。我々人類以上に、幽霊たちが漁業に精を出しているのだから。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?