組織の改革っていうか、壊すことについて

今の職場にきて、「改革」の現場にいる機会は多かったように思う。
学部の改組とか、人事制度改革とか、基幹システム全取り換えとか、ガバナンス改革とか。
自分自身が中心だったかというとそういうわけでもなく、もちろんすべてが成功しているわけではないけれど、気づくと関わっているというか。なぜそうなるのかというと、壊すことに抵抗がないから、というところに行きつく。
そして大学時代のサークル活動のことを思い出して少し書いてみたくなった。

通っていた大学には当時5つの合唱サークルがあった。正統派男声合唱Gクラブとやや前衛的な本格派のコールF,そして混声合唱団、この3つがいわゆる本気の合唱サークルで対外的評価も高かった。残りは室内楽的なジャンルを中心に歌っていたコールP、あとは自分の所属してた某合唱団。
というわけで、当時は間違いなくいちばん「下手」な合唱団、まあ、楽しけりゃいいやという感じの緩めのサークルだったけれど、高校で多少合唱を経験したとはいえ、才能にも恵まれず努力も嫌いな自分にはそのくらいがちょうどいいや、っていう気持ちだった。おまけにそのころはまだ古の「うたごえ喫茶」の流れをくむ今思えば少し怪しい系譜も引きずっていて(いやほとんどの現役学生はノンポリだったけど)、カオスな感じがただよっていた。

いや、でもね、2学年上の先輩たち、めっちゃ歌上手い人多くて、才能にあふれていて、合唱以外にもバンドみたいなのもやってって(TOTOのコピーとか)そういうのも楽しそうで、合唱自体もちゃんとやろう、うまくなろうっていう人も結構いて、それはそれでよかったんだよねえ。
(入った理由は長くなるので今回は省略)
あと、プロの指揮者とか入れてなくて、ボイトレの先生はいたけど指揮者は学生指揮者だけ、自分たちだけで練習してた。それも新鮮でしたね。

ちょうど改革の時期だったのだと思う。楽しけりゃ下手でもいいじゃん。むしろ下手がうちの個性だし、上手くなったら隣の合唱団と同じになっちゃうし、初心者入りにくくなっちゃうじゃん、みたいな人たちと、いやいやそうはいっても年に二回も演奏会やって、やっぱりいい演奏会にしたい!っていう人たちと。で、自分は結局後者の思いが強くなって、まあ、いろいろある中でそっちの急先鋒みたいに思われたりしてたのかもしれない。

そんなこんなで、結局自分たちがいる4年間の間、少しずつ改革が進んでいったわけ。まず後輩に酒飲ませてダッシュさせるみたいな野蛮な行事が淘汰されるとか、練習のあとうたごえ喫茶みたいに(知らんけど)みんなで歌うコーナーが廃止されるとか、あだ名(本人嫌がるようなのも含む)つけて強制的にそれで呼ぶとか、そういう前時代的なものが自分たちの代で一気に廃止された。今思えば当たり前だよね。変だもん、って思うけど、ずっと続いてきたものをやめてしまうのは先輩との関係とかの中で結構勇気のいることだったのですよ。

で、それにともなって、演奏会の演目がよりチャレンジング(以前より難曲)になったり、ほかの合唱団の演奏会行く人が増えたり。自分自身も3年生の時は学生指揮者をやったのだけど、伝手もないのにプロの指揮者の人に教えてくれって頼み込んで1回5,000円で指揮のレッスンしてもらったり。あとボイトレお願いしていた先生1ステージ客員指揮者をお願いしてプロの指導を入れてみたり。自分でいうのもなんだけど、自分たちがいたころの数年間で演奏会も質が上がったし、ちゃんとした合唱団として認められるようになったと思うんだよね。

もちろん、変えなかったことも沢山あって、プロの指揮者が客員だけにして学生指揮者中心のままにしたこととか、内容は変えたけどポピュラーステージ的なお楽しみステージ残したこととか、オーディションとか練習回数の条件とかつけないでしないで全員ステージに乗れるとか、夏に地方で合宿で練習してそのままその地で演奏会をやることとか、バンドとかそういうのも演奏会以外の活動で残したりとか、今でいうインカレ、他大学からの参加OKとか、かなり自由なサークルでありながら演奏の質を上げることを考えていったんだよね。いや、当時はそんな言語化してたわけじゃないけど。

でもね、古い先輩OBOGたちって、そうやって変わっていくのが嫌だったのだと思う。自分が学生指揮者をしたときの演奏会の打ち上げで(当時はうちあげに相当古いOBOGが来て)さんざん嫌味を言われたんだよね。もうあまりに理不尽で何を言われたのかもよく覚えてないけど。
いい演奏会だと言ってくれた人たちも多かったけど、一部OBOG、サークル創設期の、30歳くらい上の人たちからはずいぶんひどいことを言われたんだよ。

当時はそういうことばを意識していなかったけど、たぶん自分たちは「改革」をしてしまって、それによって昔の人との断絶を作ったのは事実なんだろうなと思ったりした。まあ、たかが学生時代のサークル活動だし、だから自分はもうOBとしてサークルの活動に口を出すのは絶対しないという気持ちが強くて、実際に関わることもなかった。

そうやってもう卒業後35年も経ったのだけど、最近、X(旧ツイッター)とかインスタとかでサークルの今の活動を目にするようになったのですよね。季節季節にどんな活動しているかとか、そういうことが発信されているので。もちろん私たちに向けられているのではなくて新入生とかに向けてですが。

で、意外に変わってない笑、っていうか、もちろん変わっていることもあるけど、35年前にやった「改革」がそのまま引き継がれているっていうか、進化している感じ。客員指揮者も迎えているけど学生指揮者中心なのもそのまま。なんならその客員指揮者は自分が指揮法教わりに行った先生の息子さんだったりして、知らないところでなぜか縁はつながるのだなあ、と思ったり。
ただ、そんな中変わらないでも新しい活動が芽生えていて、それが質の高い活動だったりして、そういうところに進歩を感じる。今年は定期演奏会行っていちばん後ろの席で聴きたいな。

で、何が言いたかったかというと、「改革」ってものすごく無責任な行為で、あったものを破壊して、とりあえず次の種をまいておいて、育つかどうかは後に任せる、前の世代とは断絶するけどそれはしょうがないよね、って結局そんなことしかできないわけ。
でも何もしなかったら朽ちていってしまうのだから、やはり壊して空き地を作ってそこに新しい人が何かする場を確保することは必要なのだろうな。失敗したら何もなくなってしまうかもしれないけどね。

35年目の合唱サークルの改革の評価はなんともいえないのだけど、でも存続しているのを見届けてとても嬉しい。今でも思ったほど変わってないのを喜ぶべきなのか悲しむべきなのかはわからないけど、彼らが選んでいるならそれでいい(伝統とか思って背負っていたらちょっと嫌だ)。
職場でかかわってきた「改革」も、長い時間をかけて評価される、いや長い時間をかけてもわからないのかもしれない。

で、自分が「改革」すなわち過去をぶち壊してしまうことにあまり抵抗がないのは、大学時代のサークルの経験によるのだよな、ということを思い返している。

そうそう、公園の古くて太い桜の木が結構切られていた。寿命なのだと思う。でもただ切られるのではなく、その横の若くて元気な幹を残してあったりもしてあった。その幹が立派な桜になるには10年以上かかると思うし、古くて太い気を切ることは勇気のいることだし悲しいことだと思うけど、それこそ「改革」の本質なのかなあ、などとも思ったりした。




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