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【セカコの世界史2024】 4-3 オリエントにおける交易活動

前の記事の続きです。

オリエントにおける交易活動

 最後に、オリエントにおける交易活動について見ていきましょう。

 実は、エジプトやメソポタミアは資源に乏しいのです。都市文明が成立するためには、遠隔地との交易が不可欠でした。

 どんなところと交易していたと思いますか。

――――セカコ「まだそんなに遠いところとの交易は無理だろうから、隣にある、イランとか、リビアとかでしょか」

 正解です。ただ、交易圏はもっと広い範囲に及んでいて、地中海全域やペルシア湾全域、内陸ではアフガニスタン、東方ではインダス川流域にまで及んでいました。

――――セカコ「どうしてそれがわかるんですか」

 粘土板やパピルスの記録や、遺跡からの出土品によってわかるんですね。

――――セカコ「粘土板やパピルスの記録からというのはわかりました。遺跡からの出土品にからは、どうしてわかるんですか」

 日本でも、文字記録が残されていない縄文時代に、活発な交易活動が行われたと推定されています。これは、産地が限られているヒスイや黒曜石の分布から、交易ネットワークの存在を想定できるからです。

オリエントにおいても似たようなことが言えます。出土品の材料や産地を調べることで、交易ネットワークの存在が浮かび上がってくるのです。

オリエントの交易の実態について、最後にセカイシシさんに教えてもらいましょう。セカイシシさん、お願いします。

――――セカイシシ「今回は、オリエントの交易活動について、語って聞かせよう。
楔形文字の解読がすすむにつれて、メソポタミア文明成立後のシュメール人による交易活動の様子が明らかになってきておる。また、出土品の産地が特定されることで、その地域との交易が推定されるのじゃ。
例えば、アラビア半島南部のイエメンからは(1)乳香、地中海東岸のレバノンからは(2)木材(レバノン杉)、アフガニスタンからは(3)ラピスラズリなどがもたらされていた。
レバノンの国旗には、レバノン杉が描かれておるのは知っておろう。
また、メソポタミア文明の代表的な遺物であるウルのスタンダードなどにラピスラズリがふんだんに用いられており、これは当時アフガニスタン方面からしか入手できなかったと考えられておる。
粘土板の解読からも、多方面との多様な交易の姿が浮かび上がってきた。
粘土板によれば、メソポタミアの諸都市は、メルッハ、マガン、デュルムンなどと呼ばれる未知の地域と交易を行っていた。このうちメルッハとよばれる地域は(4)インダス文明が栄えた地域をさすと推定されておる。マガンとよばれる地域はオマーン、デュルムンと呼ばれる地域はバーレーン付近と推定されておる。
エジプト文明は金製の出土品も多く、黄金の文明というイメージがあるが、エジプトでは金は採れないのじゃ。(5)金はヌビアと呼ばれたナイル川上流の地域、現在のスーダンなどから手に入れていたことがわかっておる。
 メソポタミアに東接するザグロス山麓(現在のイラン西部)では、(6)スサを都とする(7)エラム王国が東西交易の拠点として栄えた。スサはのちにペルシア帝国の都となる重要都市で、盛んな交易はペルシア文明発展の礎となったのじゃ。
オリエントの交易ネットワークは西では地中海、エーゲ海、東ではアラビア海に及び、東地中海のキクラデス諸島で(8)エーゲ文明の初期段階あたるキクラデス文明が、インダス川流域でインダス文明が栄えるきかっけとなったのじゃ。
今回は、ここまでとしよう。また、お会いしよう。

セカイシシさん、ありがとうございました。

――――セカコ「文明の成立や発展には、交易がとても重要な役割を果たしたんですね。エジプトやメソポタミア、エーゲ文明やインダス文明なども、それぞれ孤立して栄えていたんじゃなくて、お互いに交易ネットワークでつながっていたこともよく分かりました」

それでは時間も来たようですから、今回はここまでとしましょう。次回は、エーゲ文明やインダス文明など、アフロユーラシア各地の青銅器文明について、学んでいくことにしましょう。

――――セカコ「今回はありがとうございました。次回も楽しみにしています。さようなら。

重要語句まとめ

――――セカコ「この節で学んだ重要語句をまとめておきましょう。

1 乳香 
2 木材 
3 ラピスラズリ 
4 インダス文明 
5 金 
6 スサ 
7 エラム王国 
8 エーゲ文明

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