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【蛇足日記】

『祈ること、学ばぬこと』
小さい子供は好奇心旺盛といいますが、昔から私は何も学んできませんでした。
ただその場の幸せだけを享受し、その慈しみを抱擁していました。
この世には神様がいて、人は幸せであって、そのまま命を全うするのだと切に願っていたのです。
何の信仰も持たないのに時折、何かに縋りたくなるのは、小さい頃の不安定なこの思想が原因だと振り返ります。

学ぶことは強さと自己の確立に繋がりますが、それに囚われ、学んだこと以外の美しさに目を向ける暇が無くなることが
この情報過多社会における一つの弊害かもしれません。

今、何に幸せを感じますか?

最近のインターネットは知識が前提のお話で溢れているように感じます。
でも、私達が最初にときめいたアレは
きっと学ぶといった気概で向き合わなかった一つの体験の中にあるかもしれません。
天使が目視できないのは、私達が思考で認識していないそういったソレに擬態しているからかも。

ムスリムでは一日5回の祈祷があるといいますが、近頃の私は一日に数十回と何かに対し祈りを捧げており、その信仰心はどこに帰化するのかと考えます。
あなたの畏敬する天使様はどこにいますか?





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