aktb964

何でもない事 それが幸せの形

aktb964

何でもない事 それが幸せの形

最近の記事

日曜日の夜が霞んで

どうしても自身が自身であることに疲弊してしまいます。 一週間に一度、自身ではない自身に幸せな世の中を渡ってほしいという気持ちで字を綴っていました。 が、その子のルーツがどこにあるのか私のルーツはどこにあるのかそういったところに想いを馳せ、結果霞に囚われて何も考えることができなくなってしまいました。 皆様の幸せはどこにありますか? 私の幸せは今のところ、どこにもありません。 つい先日攻略した所謂エロゲーでは 鳥が殻を割って自由を手入れていました。 「鳥になったら大空を羽ばた

    • 【蛇足日記】【もう一回】

      『もう一回、もう一回』 最近、青春時代よく耳にした歌詞がYouTube広告で流れてきます。 いつのまにか下り下ってどん底な人生ですが、昔の私はここまで成れ果てた自身を想像できたでしょうか? 多分、出来たでしょうね。 人生もう一回やり直したいなんてのはよく聞く言葉です。 先が見えないからこそ此処から先も地獄だと感じ、そう願うのかもしれません。 では先が完全に見えた人生で人は何を望むのか。 最近、想定可能な範囲で自分の不幸を計算しながら生活しています。 日曜日の夜から金曜日の

      • 日曜日の夜に生きて

        実在性について考えます。 私が私であることはどうあがいても、証明がなくても、事実としてここにありますが インターネット上の『芥ちゃん』が実在するといった線引は果たしていったいどこにあるのでしょうか。 絵師のオリキャラ日記、バーチャルユーチューバー、インターネットエンジェル。 どれも架空ですが、どこか実在性を感じます。 おそらくそれは侵食の中にあるのだと思います。 雛は産まれて初めて見た生き物を親だと認識するように、ユーザーが初めて感じとったキャラクターが、その人の事実となるの

        • 【蛇足日記】

          『祈ること、学ばぬこと』 小さい子供は好奇心旺盛といいますが、昔から私は何も学んできませんでした。 ただその場の幸せだけを享受し、その慈しみを抱擁していました。 この世には神様がいて、人は幸せであって、そのまま命を全うするのだと切に願っていたのです。 何の信仰も持たないのに時折、何かに縋りたくなるのは、小さい頃の不安定なこの思想が原因だと振り返ります。 学ぶことは強さと自己の確立に繋がりますが、それに囚われ、学んだこと以外の美しさに目を向ける暇が無くなることが この情報過多

        日曜日の夜が霞んで

          日曜の夜に産まれて

          どうにも世の中と合わず、空に飛び込みたいという本能が湧いてくる。 それは私が私という一個人であるからで、世の中もう少し何とかなった世界線があるのかもしれない。 それが知りたいし、深淵を見つめてその深淵に見つめられたい。 恋だね。 といった具合で、私じゃない私がいたらどうなるのか、精神分裂症なんてものがあるがそんなものは気にせず、瀬戸際で生きる自分の欠片を世界に残したいと感じた。 だってこんな辛い世界、生きているだけでどうにかなってしまうので。 愛だよ。 今週の芥ちゃん ・

          日曜の夜に産まれて