5. デモ、コロナ禍、自殺念慮(中学二年〜高校一年)

「君の立場は?」

これはあの時一番よく聞こえる質問でした。

「当たり前でしょ。君と同じだよ。」

ごめんなさい、でも今、本当に言えません。

嫌い。

死にたい。本当に死にたい。

デモ、アイドルが脱退、暴言に言われて、

友達と絶交。

もう堪えられません。

あのことは導火線みたいで、僕は毎晩泣きました。目は腫れて登校します。ずっと繰り返しました。学校に行くことが嫌いになりました。

でも、家のことがもっと嫌いです。前で言った通り、僕は家で仲間はいません。あの時、iPhoneはスクリーンタイムは出ました。親は「君は君の従姉みたいになりましょう」に言われて、スクリーンタイムが設定、スマホ使うことを制限しました。小六の時の親はもうアプリを使って他のアプリをブロックします。カメラもブロックしました。「あれは必要ないでしょう。」に責められました。

12月、家が内装します。他のユニットで仮住まいました。

2月、コロナのせいで、学校は閉まりました。部活と塾など全部一旦やめました。その代わりに、アニメ見ると日本語を勉強しました。

3月、オンライン授業は始めました。母親も在宅勤務になりました。内装が終わった家に戻りました。

実はあの時、スクリーンタイムのパスワードが知りました。

ボクシング・デーでした。このことはバレました。親は僕を責められて、新しいパスワードを設定しました。

絶望に溺れました。本当に死にたいでした。家(1X階)から飛び降りたいでした。でもねじ回し(ドライバー)が探せません(格子窓を開けるため)。死ねませんでした。いつまで泣いてて分かりません。気絶まで泣きました。でも、親に気づかないために声を我慢しました。

学期終わる前は1ヶ月くらい学校に行くけど、2学期の試験はキャンセルされました。担任の一員は先生の仕事を辞めました。ずっと先生の世話になりました。本当に良い先生でした。

ちなみに、学校に行く時、僕はもう半年くらい家に閉じ込まれました。スクリーンタイムがあるからスマホがほぼ使えませんでした。友達と連絡できない…

少し病みました。

「大人しくなれ。」に言われました。

中三になりました。

僕の学校の中三生は辛そうの噂があります。担任は50代の女性でした。悪いことを思い出しました(2話)。

実は僕にとって、オンライン授業は悪くないです。フリータイムが増えました。ゲームして、日本語勉強して、親のおかげで気が長くなりました。

「甲斐無いこと、やらなくていいよ」

9月はオンライン授業、10月から11月は学校で授業、12月から2月はオンライン、3月から7月は学校…

僕の点が低いでした。周りは天才ばかりでした。どんなに頑張っても点は高くなれませんでした。それでも、音楽の筆記試験だけいつもクラスに一位でした。

高校生になれば自分で勉強する学科三つが選べます。勿論、音楽が選びました。物理と中国歴史選びました。

高一生になりました。友達と他のクラスにいました。僕はまた一人になりました。反抗期が終りそうなので親に怒られる回数は少し減りました。

でも始業の1ヶ月後、10月の僕は強迫行為になりました。どんな行為はまだ言えませんけど、このせいでどんなに暑くても長袖のセーターを着ました。なんでこんなことにハマっているのが分からないけど、傷できたら少し楽になります。でも傷は癒えていません、傷口はかせる時がまた剥がす、こんなに繰り返します。やめることを試したけどできません。

高一も2ヶ月くらいでオンライン授業しました。全香港は「夏休みを早める」だから、初めて夏休みで誕生日をしました。でも全然嬉しいことをしません。沢山の宿題がありました。文科も理科も分かりません。

5月は学校に行って、8月までです。7月と8月体育はツライでした。でも新しい友達ができました。

そして9月は高校二年生になりました。


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