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『ジェーン・バーキンのサーカス・ストーリ』は面白くなかったという話。

ジャック・リヴェットという非常にぶっとんだ映画を撮る監督がいる。どれぐらいぶっ飛んでるかは『セリーヌとジュリーは舟でゆく Céline et Julie vont en bateau (1974年)』とかを見れば一発で分かるだろうと思う。

僕はけっこう、リヴェットが好きだ、と思う。僕がリヴェットを見始めたのは20代の半ばぐらいでけっこう遅かった。その頃にはリヴェットはもはや古い映画監督の一人であり、伝説的な人物だった。そして、今年一月に彼は亡くなって本当の伝説になってしまった。

『サーカス・ストーリー』はいきなり、車がエンストして動かず途方に暮れている叔母さんのシーンから始まる。きた、と思った。つまりリヴェットはこうした勿体付けたような、しかし意味深でドラマのあるシーンから切り込んでくる。

そして案の定、一台の車が追い越していき、何事もなかったかのようにシーンは続く。次に向かいからやってくるのはポルシェだ。

きた、と思う。ポルシェに過剰な意味を持たせる伊達男、それがリヴェットだ。よくしらんがきっとそうだ。そこから下りてきた壮年の男性は、サングラスを掛けたまま無言で彼女の車をいじる。そしてエンジンがかかったのを確認すると、何事もなかったかのように……。すっと消えていく。

次に再開するのは街のなか。そして男は旅をやめ、女性とそのサーカス団の居候になる。

その女性は一五年前にサーカス団を追い出され、今では染め物商をしている女性だった。だが、サーカスのリーダーだった祖父の死をきっかけにサーカス団に戻ってきた。そのままサーカス団にいついた男は、そこでいろいろな物をみ、女性のトラウマを知る。

『サーカス・ストーリー』は大人の恋愛劇だという。なるほど、40代の男女はこんな風に遠い遠い恋をするのかもしれなかった。ラストシーンまでの、冗漫なシーンの連続はぼんやりとしていた。ただただ美しい南仏の風景が続き、街路樹もないパリの乾燥した気色があって、男のお節介が続く。

印象に残るシーンは何もない。残っていいはずのシーンはたくさんあった。美しい湖の横で染め物をするシーン。無数のサーカスでの一コマ。でも、僕はまだこの映画を見るには若すぎたのかもしれなかった。

単純な話だった。この映画は大人の物語なのだった。十五年も昔のことを引きずっている大人たちの気持ちが僕にわかるわけがなかった。そのつらさが一人の男性のちょっとした、そして大胆な療法で癒えてしまう事の意味が僕にわかるわけがないのだった。世の中は分からないことだらけだったが、たとえばそれでもこういう映画あっても構わないのだろう。


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