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キレイな肌でありつづけるなんて!

男性用スキンケア用品は多く「顔・体用」と書いてある。

顔も体も皮膚なのだから、両方に使えないってことはないだろう。でも女性用には明確に「顔用」と「体用」が分けられていることがある。とくに何種類もつけたりぬったりする化粧品ではこの区分は極めて強力でかつ明確だ。

保湿ということばには魔力がある。保湿はなんとなく「ぴちぴちした肌であること」のようなふんわりしたイメージで捉えられるけれど、科学的にはかなりの肌状態の幅を持っており、定義が難しいと聞いた。以前、肌がまだらに白くなってしまうといってトラブルになったことがあると思うけれど、あれもまた美白と保湿が見せた一夜の悪夢ということである。

肌がキレイなことは特別なことだ、と女性は考えていると覚しい。

そこで男がいうべきことはこうだ「肌がキレイであろうと、肌がキレイでなかろうと、君が好きだよ」と。<君>が一定のスペックを越えていればきっと彼女は振り向いてくれるだろう。

肌をキレイにしたいというのは、難しい欲望だと思うけれど、その難しさには個々人でかなり大きな幅がある。昔知り合った人は、アトピーで首裏のあたりが赤くなっている。顔や肌には大きな、というか目立つ傷も荒れもない。

「だからこそ、気になるの。」

そのひとはそう言って、オロナインとオリーブオイルを混ぜた(?)よくわからない自家製の化粧水を使って保湿に努めていた。医者にいっても治らなかったし、ステロイドに少し反応が強いらしく、いろいろと行き着いたのがそこだったのだという。髪を下ろすとかゆい、髪をあげると、目立つ。

 その時は髪をあげていたように記憶するけれど、僕からしたら全然「言われてやっと気づく程度」のものでしかなかった。また、そのアトピーが彼女の人生に一定の困難を与えていたとしても、それが魅力を損なうものだとはまったく思わなかった。

僕は申し訳なさそうに「たいへんだね」みたいな事をあいまいに言って、彼女尾はおそらく今迄の人生で何十人と言われてきたであう心のこもらないねぎらいに、はっきり失望したような顔をした。

結局のところ、肌のキレイさと、キレイな肌を維持するための困難は人それぞれだった。年齢が上がれば細胞の劣化に伴って保湿はより困難になり、その困難を穴埋めする幻想を信じられないほどの大金を出して買う。素直に医者に行けば1000円で処方してくれるものの半分程度の効果がある化粧品を四万円だして購入するのだった。

もちろん、僕はそれを止められないし、笑うこともできない。だからただ、ただ静かに黙って、頷きたい。人はみなそうすべきだ。だまって、頷くべきなのだ。


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