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押井守の自由度に『Fallout 4』は追い付いていない。

押井守が『Fallout 4』を遊んでいる。

押井守の『Fallout4』通信 第2回 「気がつけばテロリスト」http://jp.automaton.am/articles/osii-fallout4/20170415-44824/

とんでもないプレイスタイルで遊んでいる、と「はちま起稿」には書かれているけれど、遊び方としては別段特殊ではないと思う。適当にB.O.S.にちょっかいを掛けてパワーアーマーをパチッてくるのは常套手段だし、弾薬や武装を手に入れる上でもB.O.S.はそれなりに「うまみ」のある相手ですからね。

では何がすごいのか、といったら、そうする「動機」だとおもう。引用はnoteの都合で改行を省略している。ボールドは私に付した。

他人と関わりたくないくせに好奇心だけは旺盛な性分なので、早速彼らの前線基地を偵察に出掛けてみれば、ゲートには威圧的な黒いパワーアーマーを装着した歩哨の姿がありました。「民間人は立ち入り禁止だ」という恫喝に始まって「B.O.S.以外はゴミ同然だ」等の差別発言悪口雑言ヘイトスピーチの嵐です。他人の縄張りに勝手に入り込んできたくせに、数と力を背景に優越意識剥き出しの言いたい放題です。私の大嫌いな恫喝人間どもです。治安の回復を口実にしてはいますが、その内実が勢力圏拡大を狙った侵攻作戦であることは明白でしょう。血が逆流しましたが、ここで下っ端の頭を吹き飛ばせば寄ってたかって穴だらけにされるのは必至です。その場で戦端こそ開きませんでしたが、それ以来、廃墟で連中の偵察部隊を見掛けたらストーキングで背後から接近して愛用の50口径で狙撃。証拠を残さぬように皆殺し。身ぐるみ剥いでパンイチで転がすことに決めました。

というわけで、要するに「恫喝人間がむかつくので皆殺しにする」という非常にかっこいい動機が、このある種シンプルなプレイスタイルを押井守たらしめる話なのだと思います。

ただ、僕はここで「私の大嫌いな恫喝人間」というフレーズに、何か押井守という存在についてずっと腑に落ちないでいた何かが解けたような気がしました。

JIN-ROUのラストシーン

沖浦啓之が監督を務め、押井守が原作と脚本をつとめた作品に「人狼 JIN-ROH」という映画があります。

これは正直とてもとても不気味な映画で、あまり評価は高くないものの脚本と原作がみせつける暴力的を極める暴力を、監督はなんとか穏やかに、そして静謐であるがゆえに残酷なものに変えようとしていて、そのせめぎ合いが童話「あかずきん」の朗読の挿入という不気味極まりない演出となって輝いている不思議名映画です。

みれば見るほど不気味な映画で、実に一度見て欲しいなと思う次第。でも、面白いか、と言われればよくわからない。たぶん面白くしようと思って作ってない。面白くしようと思っていたら、たぶんこの無音の、すさまじく長い戦闘シーンはカットされていたと思う。

この『JIN-ROU』のラストシーン、無表情で男性が女性を射殺する印象的なシーンがあるんですが、その無表情の意味がよくわかりませんでした。

でも、これはよくわからなかったけれど、押井守の「恫喝人間」に対する態度の変形なのではないかと思うのです。押井が嫌いな「恫喝人間」とは、つまり表情ゆたかに人を殺す人、というか、つまり人を殺すときに感情や事情をはさんでしまうような殺しは外法なのだ、という理念が、『JIN-ROU』における人殺しの作法なのでした。

押井と戦争

ところで、近年押井はインタビューで戦争のリアリティについてこんな風に語っています。

押井は「戦争よりリアリティのないものはない」といいます。ここで言われる「戦争」は、たぶん『パトレイバー』から『東京無国籍少女』にいたるまでの変遷が反映されているけれど、基本的には、たぶんそうした時代ごとにおけるいろいろな変化が、一言で「戦争」といって想起されるそれが、ちょっと前の「戦争」よりもリアルになってきていると言いたいのだと思います。

ところで、『Fallout4』は押井守のような遊び方に対して、非常に限定的な進め方を要求してくるゲームでした。ストーリーテリングを重視した本作では、大きく三つの軍勢の中でどれを選ぶのかを要求されるし、その選んだ結果で世界は大きく変わってしまうんだけど、選んで進めていくと他の二つの軍勢は消えてしまうことになります。

 押井のプレイスタイルに見られるわかりやすいテロリズム、暴力性は「物語」として成立してしまうプロットをもちません。むかつく→殺すという短絡が押井の考える「リアリティ・戦争」そのものです。これはすさまじいことです。良い悪いではない。良い悪いの話はしていません。ただただすさまじい。請求書付きの物語をだしてくる『Fallout 4』に対する挑戦状。窮極の短絡によるゲームのハック。

でも、僕は予備動作なしの暴力、押井のいう「戦争」がこの社会でさらにリアリティをもって増大しているようにも思います。かつての「死ねばいいのに」が「殺そう」へ。「交渉して譲歩させよう」を「殺そう」に変えるこの短絡の、圧倒的なリアリティを2017年代に生きて感じない人はいないでしょう。

僕はそういえば今日1000円でローストビーフ丼を食べた。美味しくなかったが、美味しくないと思っただけでした。

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