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「君の夢が叶うのは 誰かのおかげじゃないぜ」

なんだか急にThe pillowsの曲が聴きたくなった。

これまでの人生、いろんな曲を(人様に言えるほどの量ではないにせよ)聞いていたけれど、その中で忘れがたい曲がいくつかある。

若年の、いつもイラついていた僕にピロウズの「Funny Bunny」が刺さった。ピロウズの、これは名曲だ。

自信をもってそう断言できる。

Mr.Childrenの桜井和寿すらリスペクトするThe pillowsのことを、アニメの「フリクリ」で知るという体たらくの僕にとっても、この曲の放つ強烈なメッセージには心を奪われた。印象的なサビの、このフレーズ。

キミの夢が叶うのは 誰かのおかげじゃないぜ
風の強い日を選んで 走ってきた

20代の前半でいろんなことに戸惑い、苦しんでいた僕はこの曲にどれほど励まされたか、今ではよく思い出せない。いま聞けばちょっと気取りすぎにも思うぐらいの「だぜ」調のスリーピースバンド。

ギタギタのエレキギターと重打のドラム。80年代には星の数ほどあった、こんな単純なロックを歌うバンドの中でも、ピロウズはゼロ年代の感性を言い当てているかのように鋭い世界観を持っていて、そのあまりの先駆性は結局90年代ではうまく花開かなかったのかもしれない。

「ハイブリッド・レインボウ」には

ほとんどしぼんでる 僕らの飛行船 地面をスレスレに 浮かんでる
呼び方も戸惑う 色の姿 鳥たちに容赦なく つつかれるだろう

という歌詞がある。ここには作品の「世界観」と言っていい、事柄と事物の羅列がある。政治参加や現実の生活に対するアクティベートを歌うフォーク・ソングや、あるいは気分の上昇を目的としたダンス・ミュージックとも、あるいは生活実感とWe/theyを歌うヒップホップとも異なる、照れを含んで、斜に構えた世界をピロウズはずっと歌ってきた。

でも僕はそういうことでピロウズを好きになったのではない。

「耐えきれないような 出来事は たしかにあるけれど」

今日、久しぶりに「Funny Bunny」を聴いていて、この曲は聴衆の「キミ」を励ます曲ではなかったんじゃないかと思うようになった。ラストはこうやって終わる。

キミの夢が叶うのは 誰かのおかげじゃないぜ
風の強い日を選んで 走ってきた
飛べなくても 不安じゃない
地面は続いてるんだ
好きな場所へいこう
キミならそれができる


ここだけを抜き出すと、この歌詞は誰かを「見送る」シチュエーションだと理解できる。ピロウズの曲には「飛ぶ」という歌詞が、たくさん出て来る。飛びたい、飛んだ、飛ぼうとしている、でも結局は飛ぶことができない、というモチーフがなんども描かれる(「ハイブリッドレインボウ」もそういう曲だ)。

Mr.Childrenが「箒星」で

でもね 僕らは未来の担い手
人の形した光
暗闇と戯れあっては眩しく輝く「箒星」

とあっけらかんと歌う姿の対局にあるはずだ。

Funny Bunnyで描かれる「風の強い日を選んで走っていた」姿は、逆風に喜んで走っていた姿ではなくて、もしかしたら「飛ぼうとして失敗している姿」なのではないだろうか。結局飛ぶことができない「キミ」に歩くことを勧めていく「ボク」は、そのどちらもできない弱さを抱えている。ピロウズの歌は、端的にいって敗者の歌だ。

でもこれは明確な敗北ではない。絶望とも希望とも違う、曖昧な宙づりな敗北だ。ピロウズの曲はBUMP OF CHICKENやMr.Childrenがカバーを発表しているけれど、僕はどちらも本家よりはるかに劣ると思う。なぜそう思うのか自分でもよくわからないのだけれど、バンプもミスチルも「宙づりの敗北」を歌えないからじゃないか。


ピロウズの歴史は三期ないし四期に分けて考えられる、とよくいう。

the pillowsはなぜ世代を超えて愛される? 近道を選ばなかった25年の説得力 http://www.cinra.net/review/20141201-interfm

「ストレンジカメレオン」以降の第三期では「フリクリ」の微妙なヒットにも恵まれ、たぶん当人たちの「音楽的スケール」よりも遥かに広い範囲の人たちに強い影響を与えた。僕も以前取材した演劇人たちの何名かは「フリクリ」を自分の原点にあげる人がいた。「フリクリ」それ自体もまた結局は女を手に入れることができなかった斜に構えた子供の話で、そんな斜めなまんま(そしてフリクリは世界を真っ平らにしようとする話でもあった)大人になってしまった/ならざるを得なかったゼロ年代の若者たちの聖書となったのだろう。

一度だけライブにいった。ミスチルとの対バンという凄まじい組合で、病み上がりだった桜井さんに対して元気いっぱい、パフォーマンスもボイスもMCもすべてが凄いとしか言いようのないピロウズは、ミスチルファンの黄色い歓声の前に押し潰されかけていた。というよりも、僕は「ミスチルファン」というのがこんなにたくさんいて、他の全てを飲み込んでしまうような圧を持っているとは思えなかった。

ピロウズはまさしく敗者だった。僕はその、最高にカッコよくて、何もない負けざまを泣きながら見ていた。

ピロウズは最高にかっこよかったんだ。どこが、とか、何がじゃない。最高に最高だったんだよ。

**

ピロウズの曲に「MY FOOT」がある。これは僕は好きじゃない。自分の足であるくことを誇り高く、かっこよく歌った曲だけれど、僕の知っているピロウズはもっと「足」の頼りなさを歌ってほしかった。キミの弱さを歌ってほしかった。でも、そんなのはもういまさらの高望みかもしれない。

もう一つ、ピロウズで好きな曲がある。「I know you」という曲だ。月の下で吠えているキミはこんなことを言う。

「こんな星は大嫌い 必殺チョップで今に砕いてみせるわ」と
かまえて笑うけど 子供じみた瞳に ちょっと涙浮かべてた

ジャングルジムからデスペラードを待ち望んでいる子供の歌だった。
まったくもって絶望的な歌だった。2000年代はこんな絶望があちこちに転がっていた。本当に。だから「ボク」はこういうことをしたんだ。

いつかキミが捨てた 前人未到の宝島へのチケットは
ちゃんと拾っておいたんだ だって嘘みたいなことも キミなら叶えそうだぜ


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