「対案」なんてない。

おじいちゃんが死ぬ前、詐欺にひっかかった事がある。

 今書いても情けない話だが、「幸運の壺」を買ったという、戦後によくあった詐欺の一つだ。幸運の壺を売りに来るなんていう話はまじでマンガの中にしかなさそうだが、平成の最初の頃にはまだちょろちょろあったりした。今だって「ムー」を開けば幸運グッズはいくらでも売ってるだろう。

 そのじいちゃんのゴミのような遺品はゴミと同じように捨てられてしまったのだが、じいちゃんが何を思って幸運の壺を買ったのかはよくわからないままだった。そういえば一体なんで幸運の壺を買ったんだ?

 壺を買うお金で幸運の代替品はいくらでも買える。すくなくとも建設的なお金の使い方はあるはずだ、とまともな人なら誰だってそう思う。

 前に働いていた会社(もう潰れた)に、「代替品おじさん」と呼ばれていた人がいた。その人はよくいろいろなところに「これはほにゃららに替えられない」とよく書いていたからだ。

お金に換えられない。医学では分からない。他の健康食品とは比べものにならない。エトセトラ。

非常に嘘くさいキャッチコピーで、こんなの読んで買うヤツいるのかよと思っていたが、その手のものとしてはよく売れていたらしい。でも、ある日おじさんが会社にやってきた怪しげな人の会話を聞いていて得心したことがある。

代替品おじさんは、いつも他の何かと比較されないようにしていたのだ。他と比べられない、というのは僕が思ってる以上に多くの人に刺さることばだったらしい。

その代替品おじさんが、会社が倒産するかもというちょっとまえに「代案なんてねーんだよ」と大きな声を出したことがあった。よく書いていたことなのに、聞いてみると、すごい迫力があった。

僕はいまだに「代案」ということばをきくとこのセリフ以外になにも思い浮かばない。代替品おじさんはきっと「対案」を出してしまえば負けてしまうことを知っていたんだろうと思う。誰にとか何にとかは、大人の事情だからふせるし僕もよくわからないけれど。

ところで、二、三年前にある地方自治体の議員だか誰だかが、地方をもり立てるなんとかかんとかのイベントのなんとかかんとかにお金をだまし取られたというニュースを聞いた。この気持ちというか、藁にもすがる気持ちでこの詐欺にひっかかった気持はよくわかる、という意見をみかけた。

この事件の詳細は思い出せない。けれども、この事件にひっかかってしまう議員(としておく)の弱さを、代替品おじさんは知り抜いていたんだろう。

代案なんてなかったんだ。地獄への門はいつも美しいから。




昔のことや未来のことを考えるための、書籍代や、旅行費や、おいしい料理を食べたり、いろんなネタを探すための足代になります。何もお返しできませんが、ドッカンと支援くだされば幸いです。