「子供が可愛い」って言える男は一皮向けている。

「子供が可愛い」と思えないけど「こどもがほしい」という男にあったことがある。

30代をこえた独身男性だった。バリバリ働いていた。僕は、要するに「子供」を経由してまだ見ぬ結婚していない「女」を見ているんだろ? と斜にかまえていたけれど、彼らの子供に対する憎しみをみていると、「子供がかわいい」と思うことはある種の才能だろうと思うようになってきた。

才能がいいすぎなら、特性のようなものだと思う。現代社会では大人男性は子供一般を相手にして感情を抱くような出来事に恵まれていないから、子供、といっても「ふーん」としか思わないと思う。それでも、ある段階で「子供がかわいい」というように思えるようになるのは何かのきっかけ、明確な決意がそこにはある。

でも「自分の子供がほしい」ということと、「子供は可愛くない」というのは家や血筋の問題とは無関係に両立する。

 そもそも、「子供は嫌いだけど子供を作ろう」と奥さんに言えるやつは頭がどうかしていると思う(だってそうだろ?)。でも、「子供をつくるために子供を好きになる」というプロセスを普通の男は踏んでいるのだ。

男性は、多くの事柄を「欲望」のレベルと「欲求」の2つのレベルで処理をする。「欲望」というのは、プロセスを踏んで欲しくなっていくものやこと。「欲求」というのはもっと生理的な条件反射的な願望だ。恋愛は欲望だが、セックスは欲求である。この2つを男は理性でcontrolする。できないやつもいる。・・・・・・普通はね。

子供が嫌いな男が子供を愛するようになるためには、子供が嫌いという欲求を排除して、子供を欲望するように転換しないといけない。こうしたプロセスはそれ自体で男子の快楽でもある。

つまり、覚悟を決める。

欲望を飲み込む。

このプロセスの踏み方はいろいろだけれど、内心の葛藤は凄まじいものがある。出産を経験できない男子にとって、子供ができる、というのはなんとなく押し付けられた荷物のように思う人も多いし、それが自分の子供である、かわいい存在である、つうかか可愛い、と思うためには「妻」という別の対象を経由しなければならない。基本的に男の子における「覚悟のススメ」はこういう別の何かを経由して、何かを愛することとか守ろうと決めることなのだ。

昔、テレビでみた自衛官のインタビューで、「身近な人を守りたいと思うから、それが日本を守ることにつながっている」っていうのを流していたことがある。これはいろんな意味で面白い発言だけど、文字だけとってよめばまさに「身近な人」を経由した「日本」への愛情表現なのだ。こういうのが男子の正しい覚悟の決め方であり、男の子はいつも愛○○のために面倒な心理的プロセスを踏んでいるのだ。

子供を作るぐらいなら離婚する、という男子もいる。それは覚悟の決め方をうまく踏めない人だ。男子はみんな、なんでもかんでもに覚悟は決められないので、子供とか家庭とか、あるいは仕事とかに踏ん切りがつかない事がある。でも、これはたぶんもうどうしようもないんじゃないだろうかと思われる。

子供が欲しいんだけど、夫がいいって言ってくれないという悩みを持つ女性は多い。はっきりいうけど、離婚したほうがいい。

でもでも、「子供嫌いだと思ってたけど、できたら可愛かった」っていう人もいる。

男子って難しいっていうかわがままっていうか、クソっていうか、面倒というか。

おしまい。

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