京都の料理はマズい、のか?

谷山茂という京都女子大学の学長を務めた和歌文学研究者がいた。復員兵から出世出世でそこまでいった大人物で、千載和歌集、新古今集のあたりについては偉大なる先人である。

論文も大変勉強になる。でもその谷山がエッセイを書いていることはしらなかった。

『中世和歌つれづれ』。思文閣出版からでている。この前半は洒脱のきいた楽しいエッセイで、こんなことを書くのかと思ってとても驚いた。破顔一笑とはこのこと。

その中に、京都の料理はまずい、という話がでてくる。昭和40年代後半ぐらいかと思う。

本物は大阪にいかないと食べられないそうだ。

これは聞いていてハッと思った。そういえば京都の料理を積極的に「うまい」ということは2000年代になるまであまり言われなかったことのように思う。

でも、思い出すのは京都のおばんざい屋さんに連れて行ってくれた人のことだった。何で連れて行ってくれたのか覚えていないけれど、そのあと病気で大変なことになったと聞いてずっと心配していた。心配していたけれど、連絡もつかなかった。

それが何かの拍子でTwitterでフォローしてくれていたのが、ひょっこりアカウントが復活していたりした。そういうこともあるんだと思って感動した。

どうも京都の人とはバイブスがうまく合わないことが少なくなく、「東夷」の僕にとってはちかよりがたい「天上人」という感がある。しかし京都ののほほんとした緊張感と、賀茂河から眺める天空の青さは何か代えがたいもののように感じるのだった。

京都の料理っておいしいですかね?

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